ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

お米 そして藁

2008年12月18日 | 新聞から
    




             武庫之荘の個人宅のツリー  
       夜にはツリーのラインでピカピカ光るのでしょうか



昨日は居間の壁紙を張り替えて絨毯も新しくしました。前の絨毯は30年も経っても色こそ褪せましたが、擦りきれることはありませんでした。今度は30年も持たなくてもいいからと格下げしました。やっぱり値は値なりですね、足ざわりが違います。

私が働いたわけではないのです。隣の部屋で編み物をしていただけなのに、職人さんが居るというだけでど~っと疲れたんです。

跡形ずけも半分して、今日になってから片付けました。何もしない主人も「疲れた」を連発、しかし好きなサウナだけは欠かしません。


もう直ぐお正月が来るし、迎える「しめ縄」つくりの講習がアチコチで行われているようです。そうする事で「しめ縄」の造り方が未来にと受け継がれていくので、いい事だな~と思っています。

しかしその藁がなかなか手に入らないようです。お百姓さんが藁を作らなくなったようです。尼崎でも以前は「稲のはさかけ」を見たものですが、今は全然見なくなりました。刈り取ると、即自宅に持って帰られるようです。

はさかけで干したおコメは少々お値段が張るようです。風とお日様に当てて自然乾燥させたおコメは美味しいのです。今は機械で乾燥させているのですね。

米食が減ったとはいえ、相当量の稲は作られているのですから藁がないというのが考えられないのですが、穂を取った後は手間をかけずに燃やすのでしょうか。

昔は「ワラを燃やすと笑われる」と言う格言があったほどワラは捨てるところがない便利なものだったそうです。私の知っているのは草鞋、注連縄、畳の床、位ですけど…。

畳の床は一畳造るのに、直径5.6センチの藁が7つも要るそうです。ワラ床のたたみは長時間座っていても疲れないし、湿気も良くすってくれるそうです。私が結婚した頃はまだ、ご近所揃って「大掃除の日」と言うのがあって、家中の畳を外に出して日にあってて、下に敷く新聞も新しくしてと言う一大行事がありました。

今は発砲スチロールの床も増えているそうですね。私も知らぬ間に発砲スチロールの畳に座っているのでしょうか? 座った感じが違うのでしょうか?

この度の旅の宮崎の高千穂では段々畑の上にワラが三角につんであるのを見かけました。運転手さんに聞くと、牛の餌にする為と言っていました。この段々畑の風景は棚田百選に選ばれているんですと自慢していました。

私がこの光景を目にしたのは四国でした。遍路で歩いている時に見かけました。私にとっては珍しく、日本的ないい風景だな~と思いました。都会で育った私は自然の美しさを知らずに生きてきました。その反動でしょうか、今は自然の美しさを感じたくて仕方がありません。足腰丈夫な間に自然の美を求める、そんな旅をしたい気持ちでいっぱいです。
コメント (2)
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