ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

何のために?

2008年12月09日 | 今日この頃

     
                 神戸花鳥園のお土産のフクロウ  
                    「幸福の鳥ふくろう」  
                  福来朗: 福が来て朗らか  
                  福 籠: 福が篭る  
                  不苦労: 苦労しない  
                  福 老: 老いて福



       置物ではありません 陸に上がったオシドリ 初めて見ました


近頃の天気予報は良く当ります。午前中は良いお天気でしたが、予告通り4時ごろにはポツポツと降り始めました。

たかこさんから先日の中之島線の写真のお礼の電話が掛かってきました。明日、四国88ヵ所無事結願のお礼に高野山に上るそうです。これで一年間にわたるツアーが終了だそうです。明日はお天気も良さそうです、良い旅でありますように…


私も遍路をしながら四国を歩いている時、来し方を思い出したり、これからの事を色々考えました。アレから早6年がたちました。フッとあのしんどさが懐かしくなる事があります。

近頃、体力の弱りが気の弱りと言いますか考え込む時があります。身近に人の死を迎えたりすると尚のことです。

73年も生きてきて、今更おかしいのですが、私は何のために生まれてきたん?
そしていまだ生かされているのは何故? 人一倍の苦しいときもあったけど、身近な人に支えられてまっすぐに生きてきた。でも私は人を助けようとはせず、人の為に何かしようともせずに生きている。そんな時、私は何のために生きているのだろうと考える。答えの無いまま涙が頬を伝う。若い時からこんな事を考えていたわけではない。生きる命の先が見え始めた今、時々フッと浮かぶこの疑問なんです。

今は只、周りに迷惑を掛けないで消える命であって欲しいと願っている。其れが私のできる人助けだろうから…

今日は何でこんなに湿っぽいのかと言うと、10月に屋久島の叔母が亡くなった。この人の死によって、姑の兄弟姉妹は彼岸に集まったのです。その喪の明けたお印が届いたのです。数年前屋久島に行った時、脳血栓で身体の自由が利かなくなっていた叔母は、私の「お会いしたい」と言うのを「不自由な身体を見られたくない」と断りました。私自身もそんな気持ちですから納得していました。92歳まで頑張って姉妹の待つ彼岸に旅立ったのです。その叔母の夢を昼寝の時に見たのです。
コメント (2)
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