ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

医療報酬改定(2)

2008年02月28日 | 気にかかる
          オンシジューム・オブリザタム
          近来種らしい 始めて見ました
           米粒ぐらいの小さな花です
             (大阪 三番街)

9日の雪の日「タラセアの展覧会」を見に行った時から始めての大阪行きです。
さて今日はどの程度の上着を着ていくのがいいのか?にまず戸惑いました。「風邪完治」とはいかない様な気もするので暖かくしていきました。

私の様に真冬スタイルの人、少し春に近づき上着丈が短めの人、思いっきり薄着の人で大阪は相変わらずの人出でした。15分前に集合場所に着いて、たかこさんが来られるまで不安でした「今日だったよね。間違いないよね」と自分に問いただしていました。何だか、自分に自信がない、不安なんです。

きみこさんが少し遅れて、その旨を「としこさんの携帯に入れたけれど通じなかった」と急いでこられました。としこさん「携帯は家に忘れてきたよ」。私たち年代の携帯電話ってそんな程度なんですよね。私も良く「不携帯電話」をやります。

ランチ、2ヵ所から選ぶつもりだったのですが、5人とも「近くがいい」と言う事で「和食」と決まりました。特別美味しいというわけではないけれど、メインのご馳走は「お喋り」ですから、1人1千円で1時間半居れるのでありがたいです。

食後のコーヒーまで頂いて、丁度時間となりました。コーヒーは若い人が運んできてくださいました。5人の中では私が一番年長ですから、ありがたくお世話に成りました。

皆さんで一言づつ今日お休みのやすこさんにお電話しようとしたのですが、私の携帯からは掛からず、みねこさんの携帯をお借りしてお話しました。

コーヒーは飲んだので、今度は和風喫茶に行こうという事になりました。そこでも又取り留めの無い事をお話し、次回は「野崎の花見・4月初め」と決め、元気を一杯貰ってお別れしました。

ところがです「病み上がり」の私、帰り着くなりぐったり、ソファーで寝込んでしまいました。以前はこんな事無かったな~?楽しみの後は元気溌溂になったものなのに年齢は私を変えて行きます。


昨日の女性医師の話の続き。
『出来の悪い医師でも開業すれば外車を乗り回し、息子や娘を私立の医大に入学させる事が出来るほど稼げるのです。唯の風邪やどうでもいい病気に延々と多種類の薬を出して、のうのうとしている開業医がどれだけ居るでしょう。

勿論真面目にやっている多くの開業医が居る事に触れながら、女性医師はこんな提案をする。<手術軒数や治療成績などで医師の正しい能力評価をし、優秀な医師には其れに見合った収入が入るようにすべきです。駄目な医師や開業医でも充分な報酬が得られるのは納得がいきません>・・・中略・・・

今度は患者に対してです<医療事故が皆無で、完璧な治療をうけるて当たり前と言う患者の態度に精神的、金銭的報われなさを感じている勤務医は多いです>』

産婦人科医が減っていくのも、産科は医療ミスがおきやすく、其れを直ぐ訴える患者が増えたからと言う事も聞きます。私達ぐらいの年齢になりますと、医者に掛かる回数もそこそこあり医者の良し悪しは漠然とではありますが感じるものです。

ホームドクターに関してはいいお医者さんに掛かっていると思っていますし、ありがたいことだと感謝しています。他の科の医者で「この人は駄目、誠意が無い」と感じる人に掛かっています。「近い」と言う事で利用しているのですが、これがいけないのだと反省しています。


コメント
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