ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

二人の子持ち

2006年09月26日 | 思い出話
             木立性ベコニア
         ミセス橋本(ピンクレディー)
         真っ白なミセス橋本もいいが
         このピンク色も名の通り可愛い

45年前の今日、次男が生まれた。年子であるが兄が早行きの為学年は一年開く。この子は3800gの大きい子だった。それもそのはず予定日ジャストに産まれた律義な子なのだ。

「今日が予定日なのに・・・」と検診を受けに行った。「直ぐに入院しなさい」と言われ夕方生まれた。大きい子だったからだろう、その夜出血がひどく着換えても着換えても寝巻きを汚した。

退院後も成熟して生まれた子に多いとかで体中に水ぶくれが出来、毎日少しずつ潰してもらいに通院した。年子だったから、私のお乳の出が悪く2カ月ほどでミルクに切り替えた。母乳と違ってミルクの子の便はコロリと出るのでオムツ洗いは楽だった。

お給料日にはまずこの子の1カ月分のミルクを買いに神戸のダイエイに出掛けた。買って来た缶の山を見ると安心できた。今思えばよくアレだけのミルク缶を持てたな~と思う。若かったんだな~。

兄と同様幼稚園は3年保育に入れた。入園式の日仲良しのとしくんが隣で泣くので初めは何か話しかけていたが、としくんが泣き止まないので、とうとう二人で泣きだしてしまった。としくんは4カ月ほど後に生まれている。この年頃のこの差は大きい。

こどもの日としくんの家に遊びに行った彼が帰ってきて「としくんのお人形は顔も手も(甲冑武者人形)あるのに、僕のは何で兜だけなん」と聞いた。私はなんと答えたのか覚えていない。小さい時から周りをよく観察する子供だった。

本は色々読むのではなく一冊の本をぼろぼろになるまで読むタイプだった。

いたづら坊主で幼稚園の先生は「XXちゃんが始めた事で叱ろうとしても本人は直ぐ止めて、その真似をしている子を叱る事になる。先日子供達に『好きな子、嫌いな子』と聞いたんです。XXちゃんはどちらかに名前が必ず出てきた。これは皆の心の中に必ず居るって事なんです。こんな事も珍しい」と言われた。

年長さんの時の運動会で「大太鼓」のお役の時があった。一生懸命の顔をして、センセイのタクトを見つめていた。音が大きいだけに間違わないかとひやひやして、私も先生のタクトを彼と同じように見つめていた。

高校受験は母ちゃん先生と頑張った。父親との約束どおり滑り止めなしで希望校にパスした。滑り止めなしは本人も随分心細い思いをしたと思うが、約束を守らせた事は正解だったと思っている。それも担任の先生が良い先生で、よく連絡を取ってくださったお陰と感謝している。

人並みに浪人もし大学に入り、卒業したその年の暮れに所帯を持った。一年後に子供が生まれたので、年の割りに子供が大きい。もう高校生だ。

初孫が生まれた時、私は京都の病院に会いに出かけた。そっと人差し指を手に近づけると、生まれて数時間の子とは思えない力で私の指を握った。

     何思い 何を感じて 我を見る
           命の流れ 受け継ぎし君

     初孫を 抱きて見れば こんにちわ
           僕ショウマですと 瞳ぬれぬれ

8年の間が開いて今度は女の子が生まれた。私はほっとした。これで息子の老年は寂しくないだろうと、女の子なら常に実家とは連絡を取るだろうからと思った。自分の居なくなった後の事など心配しなくてもいいのに、親は何時までもわが子の事が心配なのである。

この女の子も4年生になって「パパは子供の時どんな子だったん」とよく聞くようになった。私も思い出しながら話してあげる。この子も後4,5年もすれば友達の方が良くなって会うことも少なくなるのだろうな~と思いながら・・・。

コメント (4)
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