ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

千枚田(棚田)

2006年09月12日 | 今日この頃
            アマリリス
      もう一色あるが今年は咲かなかった
       植え替え時期を逃した故である

実りの秋が其処まで来ています。田んぼの稲も黄金色にいろずき、頭を垂れております。田んぼで雑草を取っている人が居ました。私は聞いてみました「この畑は何時頃刈入れなさるのですか?」「20日頃かな・・・これは買ってもらっているので、そちらの都合もあるので」「先日青々としている所を写真に撮らせていただいたので、刈り取り前にもう一度写させていただきたいとおもったものですから・・・」「20日までは大丈夫ですよ」「今年は台風に倒されなくて良かったですね。なぎ倒されている年もありましたね~」「そ~なんよ」とにっこり。

年によっては無残なまでに横倒しになっている時があったので、人事ながらすっくと立っている稲を見て嬉しい。どこかの会社か個人の方かは知らないけれど、自分のものとしてお米を作ってもらって食べるなんて最高の贅沢ですね。お米大好きな私は羨ましい。後で気付いたのだが「この広さで、どのくらいのお米が取れるのですか?」って聞けば良かった・・・私って何時も何か抜けてる~。

千枚田で有名な高知県檮原(ゆすはら)町は標高差は250~1455mがある。平地の少ない山間の急勾配の傾斜地を開拓したのは平安時代初期に伊予(愛媛県)から律令(りつりょう)体制から逃亡してきた人達である。班田収受法により田は戸籍、計帳に基づいて政府から受田資格を与えられた貴族や人民に与えられた。死亡者の田は政府に返された。これらの土地は課税対象であり収穫から租が徴収された。

伊予の班田収受法がきつくて土佐に逃れてきたということか・・・私は歴史は日本史も西洋史も好まなかった為、テストの時は一夜漬けで、終われば全て忘れると言う学生生活を送った為今恥ずかしいほど何も知らない。今になって過去を知る大切さを知って後悔している。

逃れてきた民の土地は、カルスト台地の岩盤を砕き、砕いた石で石垣を築き、僅かな面積を平地にして、谷底から水をくみ上げ、少しずつ田を作り続けた。中でも神在居(かんざいこ)の千枚田は、谷底から天に向かっているスケールの大きなものだ。此処を訪れた司馬遼太郎さんは万里の長城にも匹敵し、人類の大遺産だと感嘆した。

檮原町は平成4年から神在居の「千枚田オーナー制度」を開始し、他地域の人たちの交流の場としている。

遍路で歩いている時、山の中に小さな棚田を見た事がある。それは緩やかな傾斜を持ったもので、谷底から天に向かっている感じではなかった。一度見てみたいと思うが、山奥にあるのだろうか?棚田を見た経験から言えば上から下を見た方がより解り易い気がするが、司馬さんの表現からすると下から見上げている感じだ。

「百聞は一見にしかず」見てみたいな~。と調べてみると「オーナー」は田植え時期と稲刈り時期に行き、普段は地元の方がお世話くださるようだ。しかし台風にでもあえば狭い棚田は鉄砲水の様な水流に流されるようだし、稲刈りをして稲木に干しておいても雨が多ければ米にならずその場で又芽を出す事もあるという。「オーナー」になるのもストレスがたまりそう。

実りの秋ごろ撮影会もあるらしいが、載っていたのは今年の日付けではないので毎年あるとは限らないらしい。

あそこに行きたい、これも見たいと次々と際限なく思うものだと我ながらあきれる。でもそれを調べているだけでも愉しい。パソコン様様だ。
















コメント (6)
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