ちいさな幸せ

幸せの基準ってある?
それは自分の心の中にあると思う。
私は何時も陽だまりのような幸せの中に居た。

横田早紀江さんの本(3)

2006年09月23日 | 読みました
           (見~つけた)
      我家にも在るが今年は咲かなかった
    コンクリートとブロックの隙間に咲いていた

★平成9年2月14日(1月に北朝鮮に拉致判明)以降、主人と私は様々なところへ陳情に出かけました・・・アムネスティ、法務省人権擁護局、日弁連、人権擁護委員会、自民党の訪朝団団長の中山正暉議員、小渕恵三外務大臣(当時)、武見敬三外務政務次官、小沢一郎自由党党首、総理大臣となられた小渕さん、高村雅彦外務大臣ほか数え切れません。・・・人権擁護局に行ったのは平成10年10月6日のことです。私達の話を聞いてくださった方は「拉致は究極の人権侵害です」といいながらも、人権擁護局の仕事というのは、マンションの騒音公害の調停や、マスコミによる人権問題を扱うことが主であるといわれました。「日本人が被害者で海外に居るような前例はない」「人権問題と言うより刑事事件である」「救出すれば、人権侵害は解決できるが、救出の交渉をするのは外務省」「外務省も公務員として人権を守るのは当然で、法務省から勧告は出来ない」・・・人権擁護局の名に相応しくない内容でした。・・・私は、相手方の杓子定規な話しぶりを聞いているうちに、怒りがこみ上げてきて・・・「規則だから、何々課が扱うとか何々局が扱うとか、そうゆう事ではなくて、こんな大事な問題は皆さんが一つになって、本気で考えなくてはいけないことではないのですか」相手の方は渋い顔をして聞いておられましたし、私も後になって、少し言い過ぎたかなと思ったのですが、名称どおり国民の人権を擁護する国の機関であれば、きっと何か良い方法を考えてくださると期待していただけに、失望も大きかったのです。

日本のお役所が縦割り社会であるといわれる所以です。

★事件の早期解明を政府に求める署名運動を始められたのは新潟の小島さんでした。・・・2カ月間で(横田家に)25万5千人もの署名を頂きました。・・・新潟の小島さんのところにも同じく25万名ぐらいの署名が集まっていました。・・・お願いしてから半年も経たない短期間のうちに合計57万名もの署名が集まりました・・・首相官邸にお届けしました。その後も多くの署名をいただき累計で100万人を越え小渕外務大臣(当時)にお渡しした。

最終的には150万人とも言われています。私達夫婦もその中の2人です。

★平成10年7月「北朝鮮に拉致された日本人を救う為の全国協議会」が、安明進さんを日本に呼ばれました。新潟空港での安明進さんは記者会見で、こんなことを仰っていました。「実は率直に申し上げまして、私は3年前までは、北朝鮮に拉致された日本人の事について、祖国の統一(韓国との統一)の為には当然であるというような考え方を持っていました。ですから、北に居た時も拉致された人に対して、本当に同情心を持って対することが出来なかったことを、まずお詫び申し上げたいと思います。私がそのように考えた理由は、北朝鮮当局から、わが国の分断された原因の大きな部分は日本のためである、と言う事を何回も何回も教育されましたので、統一の為に日本人が犠牲になることは当然だというふうに思っていたことであります。

朝鮮の分断に日本が何をしたと言うのでしょう。洗脳の恐ろしさです。平成11年5月2日に日比谷公会堂で「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」がありました。各界の130人の方々が呼びかけ人となった。その代表は桜井よし子さんがなった。

★よし子さんの「呼びかけ」の抜粋:政府は北朝鮮に拉致された日本人は、めぐみさんを含め7件10人居るとの点を明確にしました。ここまで明確に事態を把握しているのであれば、政府は、拉致された人々の救出を、国政の最優先課題とすべきでした。理由は言うまでもなく、政府の第一義の責任は国民の生命と財産と人権を守ることに在るからです。・・・国民を守りぬいた上で、国は初めて国際社会のためにも役立つ活動をすべきなのです。

阿部総裁は「拉致問題」の専門の部門を作るという。実行力のある人を選んで、一日も早い解決の日を待っています。
コメント (2)
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