緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

運指クイズに挑戦(3)【解答】

2024-01-25 21:08:38 | ギター
昨日記事にしたヴィラ・ロボスの前奏曲第4番【問題A】と練習曲第1番【問題B】の一部フレーズの運指について、現代ギター1983年7月号の解答より転載させていただく。

【問題Aの解答】



昨日の私の答案を再掲する。



まず、出だしの音は4弦で正解だった。
4弦にする根拠として中川氏の解説によると、「同じ音色で統一するのが望ましい」ということであった。
私も同感。3弦のナイロン弦の音と5弦、6弦の金属巻き弦の音色は本質的に異なるので、同じフレーズ内で混在は避けるのがより音楽的には良いと感じる。

しかし最後の音(ミ)を私は1指にしたが、正解は何と3指。
オリジナル譜のアラストレを無視しているではないか。作曲者の意図を尊重するならばここは1指が正しいと思うのだが。
あとこの音を3指にすると、次の小節の出だしのミの音も3指で出音するので、同じ指をかなり長い距離、跳躍しなければならなくなり、押えミスの確率は1指の場合よりも若干高くなると思われる。



あと3指だと、2小節目全音符ミの音が最後で音価を維持できずに切れてしまう。



そのためこの音(3小節目最初のミの音)は4指で弾いた方がより音価を維持できそうだ(ただ小指の力は弱いので人によっては押さえにくいかもしれない)。
2小節目全音符ミの音を1指にすればより音を保持できると思う。

弦の指定は変更するにしても、アラストレのようにかなり曲のイメージに影響する表記をオリジナルから変更することについては見解が分かれるであろうが、このあたりはギタリスト諸氏がどのように弾いているか興味のあるところだ。後で録音を聴き比べてみたい。
(この曲の最後のアラストレは難しい。全体にわたりアラストレを省いて弾いている方の方が多いのではないかと思う)

【問題Bの解答】





これは正解だった。
この運指選択の理由は特段説明不要と思われる。

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運指クイズに挑戦(3)

2024-01-24 22:04:59 | ギター
運指クイズの3回目は現代ギター1983年6月号に掲載された、ヴィラ・ロボスの前奏曲第4番と練習曲第1番からの出題となる。
ヴィラ・ロボスの曲を初めて聴いたのが、イエペスの6弦時代の録音で、練習曲第1番と前奏曲第3番とショーロス第1番だった。
中学2年生の時だった。

イエペスの弾く練習曲第1番の驚異的なスピード、それは神業と言っても大袈裟でないほどの速さだったと今でも思っているのだが、中学生だった当時、あらゆるジャンルのギターの中で最も難しいのがクラシック・ギターだと確信するに至った曲でもある。
そして同じクラスで、エレキギターこそがギターの中で最も難しいと信じて疑わず、有頂天になっていた同級生にこのイエペスの超絶技巧を聴かせてギャフンと言わせてやろうと思って、テープレコーダーを学校に持っていってそいつにテープを聴かせたものだった。

その後まもなくジョン・ウィリアムスの弾く前奏曲第4番を、NHKギターを弾こうのミニミニコンサートで鈴木巌氏の演奏で前奏曲第1番やショーロス第1番を、高校に入ってからはジュリアン・ブリームの演奏でブラジル民謡組曲(4曲)と12の練習曲集、セゴビアの弾く前奏曲第1番、イエペスの10弦ギターでの前奏曲集、そしてジュリアン・ブリームの演奏でギターと小オーケストラのための協奏曲と順次聴いていった。
楽譜は全て紙質の悪い、誤植の多いマックス・エシッグ社によるものだ。運指は殆ど付いていない。

前置きが長くなったが、今回の出題は以下のとおり。
まずは前奏曲第4番の冒頭。左指の運指を付けるというもの。



次に、練習曲第1番の終結部手前のアルペジオに左指の運指を付けるというもの。





練習曲第1番の方は難しくはないと思う。指の置き換えを最小限にするため、同じ音を押さえている指は離さないでいるという考え方だ。
前奏曲第4番の方はどうか。
オリジナルの譜面は弦の番号が印刷されている。出だしの音は何と3弦が指定されている。
この指定で弾いているのはジョン・ウィリアムスの先述の録音くらいか。ナイロン弦と金属弦との音は本質的に違うから、音の統一性を考えるのであれば、出だしの音は必然的に3弦ではなく4弦になると思う。実際、ブリームを始め多くのギタリストは4弦で弾いているはずだ。
次に1小節目3拍目最後の音(レ)から2小節目最初の音(ミ)にかけてアラストレの指示が記載されている。
となるとこの両音の運指は1となるか。以下、私の答案である。



しかし3小節目最後の音(レ)から4小節目最初の音(ミ)にはアラストレの指定が記載されていない。





丁度1段目最後と2段目最初に小節がまたがるから、記載を省略したのか?。あるいは記載したけど、印刷用に写譜する際にオペレーターがアラストレの線の意味が分からず、記載漏れしたのか。ここもアラストレとなるのが自然だと思う(それとも2回目は1回目と差異を付けるためにアラストレはあえてつけなかったのか)。

練習曲第1番の答案は下記。





解答は後日に。

【追記】

10代から20代にかけて少しずつ集めてきたマックス・エシッグ社版の楽譜をこの機会に本棚をから引っ張り出して(みんな異なる位置に差し込んであったが)、写真にとった。
一番最初に買ったのは前奏曲第3番。これは中学3年生のときに、兄が札幌のヤマハで買ったものを後で譲ってもらった。
次が前奏曲第1番とブラジル民謡組曲の「マズルカ・ショーロ」。これは高校2年生のときに好楽社から切手で買ったものだ。
それから大学1年生の時にあの暗い店員のいた札幌のかさはら3条ギター店で12の練習曲集を買い、次は好楽社から前奏曲第2番、その後はブラジル民謡組曲の「ワルツ・ショーロ」や前奏曲第5番だったと思うが、それ以外は就職で東京に出てきてから揃えていったような気がする。









下の楽譜の2曲目(第2番)の調性が「ハ短調」と誤植になっている。

















何を付けたのか?。広範囲にわたって染みが付いている。





一番最後に買ったコンチェルト。



ブラジル民謡組曲のショリンホだけは買っていない。





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合奏練習後の安堵感のなかで弾いたアルハンブラ

2024-01-21 20:26:54 | ギター
今日は冷たい雨の降る寒い日であったが、東京マンドリンクラブの合奏練習のために東京某町に出かけた。
今日の合奏練習の感触としては、ほぼほぼ弾けるようになってきてはいるが、細かい箇所での課題は多数ある。
まあ演奏会は9月だからまだあせる必要はないのだが、2月から千葉マンドリンクラブの定期演奏会に向けての合奏練習が始まるので、そうのんびり構えてはいられないのである。

でも今日の合奏練習も楽しかった。やはり指揮者を始め、メンバーとの音を通してのコミュニケーションが心地よいのだ。
今日は朝10時からの個人練習から始め、7時間殆ど通しで演奏したのでだいぶ疲れてしまった。
練習後はたいてい有志での反省会があるのだが、今日はいつものメンバーの大半が欠席だったので見送られた。

家に着いたら、先日注文していたクリスチャン・フェラス演奏のJ.S.バッハ作曲、無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ全曲のCDが届いていた。
フェラスの生活が荒れだしてからの演奏録音で、マイナーレーベルから発売されたものの、殆ど流通しなかったようで、数が少ないことから高値であったが、これはもう聴くしかないと思って買った。反省会、3、4回分くらいの値段だった。たまたま今日は反省会が無かったので、1回分の金額は回収出来たか。
フェラスのバッハの感想は後日記事にしたい。

晩御飯後に、練習が終わったあとの安堵感のなか、半音上げアルハンブラを弾いてみた。
マンドリン合奏でのラスゲアード多用で爪が削れてしまって、粒のそろわないトレモロになってしまった。


合奏練習後の安堵感のなかで弾いたアルハンブラ 2024年1月21日夜

【追記202401212123】
今日帰宅後に届いていた、クリスチャン・フェラス演奏のJ.S.バッハ作曲、無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータ全曲のCDを今、全曲聴き終えた。
いまだかつて、これほど悲しいバッハの無伴奏ヴァイオリン組曲を聴いたことは無い。
大半の曲を、涙無しに聴くことは出来なかった。
済んだ音の奥から深い悲しみが、ピッチのずれた音程から心の苦しみが心の叫びのように伝わってくるように感じられた。
クリスチャン・フェラスは1975年から1982年まで公的な活動からは退いていたという。その間、うつ病に苦しんでいたという。
何が彼を不幸な死に追いやったのだろうか。
しかしこの演奏は1977年に録音された。
この録音が流通しなかった理由が何となく分かった。
正統的、折り目正しいバッハを望む方には絶対お勧め出来ない。
しかし、私にはこのバッハは最高レベルの演奏に感じた。
ヨハンナ・マルツィ、潮田益子(初回録音)とともに、私のベスト盤の1枚となった。
(後日、記事にあげます)
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Zoomを使ったアンサンブル練習(6)

2024-01-20 20:46:48 | ギター
今日は午後から、東京マンドリンクラブのギターパートのOさんとZoomでアンサンブル練習をした。

昨年11月初めに東京マンドリンクラブのパート内演奏会があり、有志の演奏発表ということで、oさんの朗読、私のギターで、テデスコの「プラテーロと私」より、「メランコリア」と「子守歌」、そしてoさんのリコーダーと私のギターでフォーレの「パヴァーヌ」を披露させていただいた。
この演奏会のためのアンサンブル練習として、zoomを活用した。
5回にわたり練習したがその時の記録は毎回記事に残しておいた。
昨年11月の発表会が終わってからも活動は継続していきましょうということになり、千葉マンドリンクラブの活動が一段落した1月から再開することにしていたのである。

今日はリコーダーとギターとのアンサンブルで、「グリーンスリーブス」と、朗読とギターのアンサンブルで「プラテーロと私」より「プラテーロ」を練習した。
下は「プラテーロ」の楽譜。





ところがグリーンスリーブスを練習したところで、問題発生。
私のスピーカーから聴こえてくるoさんのリコーダーの音がワンテンポ遅れて聴こえてくるのである。また、リコーダーの音も途切れ途切れだ。
たしかに去年、パヴァーヌを練習していたときもそんな現象が起きていたことを思い出した。
oさんの側はどうかというと、音のズレはないという。ただギターの音はときどき途切れることがあるのだという。

昨年、oさんと初めてzoomを試した時には、楽器の音をマイクで拾うためには専用のマイク(単一方向性)が必要だったり、zoomのマイク設定をミュージシャン専用の設定にするなど、試行錯誤のうえ解決してきたが、今回、楽器どうしのやり取りにおいては課題を残した(ちなみに朗読とギターは全く問題なかった)。
これについては次回の練習までに調べて解決しておくことにした(zoomでアンサンブル練習する方はたくさんいるだろうから、何かしらの情報がネットにあるはずだ)。

グリーンスリーブスは技巧的には難易度が低く、有名な曲でなじみがあったので初回練習にしては上手く行ったと思う。
しかし「プラテーロ」の方は殆ど練習せずに臨んだため、初見で演奏したようなレベル。
oさんが言うには、この曲はテンポがゆっくりだと朗読が間延びしてやりにくくなるとのこと。
しかしこの曲をハイテンポで弾くのはかなり難しい。
練習後に福田進一と山下和仁とセゴビアの録音を聴いてみたが、福田進一の演奏はかなりテンポが速い。
このテンポは無理。
山下和仁のテンポが一番最適だと感じた。
テンポの変化の取り方、表現力も山下氏の方が一歩上という感じがした。



ちなみにセゴビアの演奏はゆっくり目だ。私には努力してもこのテンポまで行けるかどうかというところ(セゴビアの音が何といっても素晴らしい)。

あとoさんから重要なポイントの指摘があった。
次の部分。ベルベン社のオリジナル譜と独奏用のリコルディ社の譜面の両方を掲載する。





この部分は、"pero fuerte y seco por dentro, como de piedra"(でも、芯は石のように堅くて強い)というナレーションが入る。
Oさんが言うには、2つ目の和音を軽く流すのではなく、より「重く堅く」弾くというものであった。

次の重要なポイントは以下の部分。これもベルベン社とリコルディ社の両方を掲載する。









この部分は、Tien'a - se - ro... Tiene acero.(お百姓たちは「彼は鋼のようだ」と言う。そう鋼づくり。)というナレーションが入る。

この「鋼」の表現を後の小節の低い方の和音で行うのだという。要するにより力強く堅く弾くということだ。

なるほど。さすがだと思う。詩の意味を理解せずして楽器を安易に鳴らすことは真っ向から否定されたかたちだ。

今日のアンサンブル練習は久しぶりだったが、楽しかったし、勉強になった。
これから月1回のペースであせらずゆっくりやっていこうという話になった。
グリーンスリーブスの方は今年の定演後のパート内発表会で披露しようということになったが、「プラテーロ」の方は1年以上かけてから披露することにした。

プラテーロと私をアンサンブル出来る機会というのはとても貴重な体験だ。
そのためにも練習、頑張らなくちゃ。
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2トラック・38センチ・オープンリールテープ復刻シリーズ「ヨハンナ・マルツィ演奏 バッハ部伴奏ヴァイオリン」を聴く

2024-01-19 21:15:23 | バイオリン
今日、注文していた、オリヴァー・ヴルルという企業(GRAND SLAMレーベル)が製作した、2トラック、38センチ、オープンリール・テープ復刻シリーズの、ヨハンナ・マルツィ演奏「J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」のCDを聴いた。



ヨハンナ・マルツィ(1924-1979)を知ったのはいつ頃だろう。
過去の記事を調べてみたら、2016年の12月頃のようだ。その時の投稿記事にこんなことが書いてあった(2017/1/15)。

「最近、ヨハンナ・マルツィ(Johanna Martzy 1924-1979)という女流ヴァイオリニストの存在を知った。
Youtubeでしか未だ聴いていないが、彼女の弾くバッハのシャコンヌやメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調の音に釘付けとなった。」
「今まで聴いたヴァイオリニストの誰よりも力強く、生気に満ちた音、演奏であった。
幸いバッハのソナタとパルティータの全曲録音が出ており早速注文したが、楽しみだ。
ギターのセゴビアのように、楽器の持つ音の神髄を真に熟知した演奏家かもしれないと思った。
これもいつか記事にしようと思っているのであるが、Youtubeでセゴビアのドキュメンタリーがいくつか投稿されており、その撮影の中で生演奏されるセゴビアの音が物凄いのだ。
これだけの音を楽器から引き出す能力はまさに神業といっても大袈裟な言い方ではないとその時思った。
ヨハンナ・マルツィの音も同様な感じがした。」

そして2017年9月23日の記事でメンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲ホ短調を聴いたときの感想として、こんな感想をコメントしていた。

「今、こうしてマルツィの演奏を何度も繰り返し聴いていると、楽器の音って人間の感情そのものなんだな、思ってしまう。
そのくらいマルツィの音は精神的、感情的なものに満ちている。
聴いていると、心の底に眠っていたものが意識に上がってきて、力が出てくる。いろんな感情が湧き起ってくる。
こんな演奏をできるヴァイオリニストが何人いるのだろうか。」

この後、マルツィのセットもののCDなどを集めては聴いてきたが、特に素晴らしいと感じたのは今日取り上げる「J.S.バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ全曲」の録音(1954、1955年)である。
これは韓国のユニバーサルというレーベルから発売されていた13CDのセットもので聴いたが、古い音源(モノラル)であるにもかかわらず録音状態は良く、彼女の格調の高い、合わせて清冽で感情に満ちた演奏に感銘を受けた。



このマルツィのバッハ演奏をきっかけに無伴奏ソナタとパルティータの全曲録音している奏者のCDを買い集め、聴き入った。5年くらい前のことだ。
今日数えてみたら35枚種類ほどの数であった。
これだけたくさん聴いても、心に強く刻まれる演奏というのはそうあるものではない。
バッハに限らず、クラシックの録音で数千枚の中でも生涯聴き続け、自分の人生に影響を与えてくれるほどの出来の録音というものはせいぜい十数枚というところであろう。
バッハの無伴奏ソナタとパルティータの全曲録音に関しては、上記マルツィの録音と、潮田益子の1971、1972年の録音の2つしか強いインパクトを与えなかったようである。

韓国のユニバーサルレーベルでの録音を聴いた後、Profilというレーベルから発売されていた、アナログ盤(LP)から録音されたいうトランスファーCDを買って聴いてみた。
その時はユニバーサルレーベルよりもインパクトがあると感じた。これがよりオリジナルに近いのか、と思った。



そして、今回、GRAND SLAMレーベルから「2トラック、38センチ、オープンリール・テープより復刻! これぞ決定盤といえる大注目盤! !」というキャッチ・フレーズに惹かれて衝動買いしたのが冒頭に記載したCDである。
ライナー・ノートの解説を書いている平林直哉氏によると、「マルツィのバッハはCDだけでも複数の復刻盤が存在する。そこに新たな2枚組を加える意味があるのかといぶかる人もいるだろう。しかし、従来の復刻CDについて、不満を抱いて人が意外に多いのに気がついたのである。使用した、2トラック、38センチのオープンリールは、幸いにして保存状態は非常に良好だった。ひととおり聴いてみて、これならば市場に出す価値はあると判断した。もちろん、手に取ったすべての人がもろ手をあげるかどうかはわからないが、かなりの高い確率で賛同を得られるのではと思っている。」とのこと。

今日、上記平林氏の解説のとおりか、下記4推類のCDの聴き比べをしてみた。

①韓国ユニバーサルから発売されたセ13CDのセットもの
②EUのTHE INTENSE MEDIAというレーベルから発売された10CDのセットもの



③Profilというレーベルから発売されていた、アナログ盤(LP)から録音されたいうトランスファーCD
④今回購入したGRAND SLAMレーベルの復刻CD

全曲全て聴くのは長時間を要するので、下記の曲で聴き比べした。

1.ソナタ第1番より、フーガ
2.パルティータ第1番より、アルマンド、ドゥーブル、終曲ドゥーブル
3.パルティータ第2番より、ジーグ
4.パルティータ第3番より、ブーレ

結果は以下のようになった。
まず①と②の差は感じられなかった。殆ど同じと言っていい(もしかすると同一の音源かもしれない)。
③は他の音源と比べて、かなりの有意差を感じた。恐らく、LPの再生音に、ホールのような反響効果を人為的に付加して後加工したと思われるような音であった。
反響音がかえって音をぼやけさせ、輪郭の不明瞭な音として感じられた。
では肝心の④と①(②)の違いはどうか。
2のパルティータ第1番より、アルマンド、ドゥーブル、終曲ドゥーブルと3.パルティータ第2番より、ジーグでは大きな差異は感じられなかったが、1.ソナタ第1番より、フーガと4.パルティータ第3番より、ブーレは大きな差を感じた。
その違いとは、④の方がより楽器の生の音がリアルに再現されていたのと、これは最も重要なことであるが、奏者の感情エネルギーがより強く感じられたことである。
音はより清冽、瑞々しく、聴き手の感情がより刺激される。
バロメーターは聴き手の感情の動きである。より感情が強く沸き起こってくるかである。
今回判明したもう一つの重要な側面は、③の音源のように、後から人為的に電気処理された音というものは、「肝心の奏者の感情がシャットアウトされてしまう」ということであった。
演奏というものは、奏者の感情が楽器を経由して音に変換されて放出されるものであることは疑いのないことであろう。
しかし、人為的に生の音を後から電気処理を施すなどして別物に変換してしまうと、演奏で最も重要な要素である奏者の感情が遮断されてしまうのである。
だから③の音源を聴いても何も感情的は変化が起きなかった。
このCDを買った当初は反響音の心地よさに感覚を胡麻化されていた、ということではなかったかと思うくらいだ。
LPレコードのCD化も注意を要するということだ。

しかしモノラル録音で1950年代の磁気テープでこれほどの再現能力を示している録音は極めて貴重だ。奇跡に近いといっていい。
元々のオリジナルの録音が極めて優れていたからこそと言える。
昨今の電気処理された録音と比べても雲泥の差だ。比べること自体が論外と言っていい。
当時の録音技術者の思いがこの録音を通して伝わってくる。
恐らく、彼らは、まさに今この奏者が弾いている音そのものを100%忠実に再現することを究極の目標として仕事をしていたに違いない。
そこが現代主流の、オリジナルに人工的な味付けやお化粧を施して、別物に仕上げてしまうような安易な製作精神とは全く次元の異なる信念を感じさせるのである。

古い音源というのはたいていマスターテープが劣化してオリジナルの音のままでは商品化出来ないから、リマスターによって手を加えられるのであるが、これも技術者の主観によりオリジナルとは別物になってしまうことは避けられないだろう。
今回聴いた音源のように奇跡的に劣化せずに保管されていたのであれば、現代の高度化された機器によりオリジナルに忠実な音源の再現も可能なのかもしれない。

電気処理されたり、オリジナルがゆがめられたリマスターのCDをいくら高額のオーディオ機器で再生してもあまり意義を感じられない。
高額のオーディオ機器で聴くのあれば、お金はかかるが、初プレスのレコードを買って聴くことのみ意味があるようにも思える。
再生機器も例えば、ヘッドフォンの違いでも音は大きく違って聴こえるものである。
このように考えると、コンサートの生演奏、出来ればベストの位置で実際の本物の生を音を聴くのが最も優れた鑑賞方法ではないかとさえ思える。

【追記】
過去の記事を調べてみたら、こんなことを書いていた記事が見つかった(2018/2/4)。
以下抜粋。

「聴き手と演奏家との相性は絶対あると信じている。
マルツィの表現、音楽に対する考え方は私の普段求めているもの、感じているものと合致する。
ヴァイオリン協奏曲ホ短調の冒頭の演奏からそれを感じる。
この曲に私がこうして欲しいというと思うことが、彼女の演奏が実現している。
そして偶然の機会に出会い、その一致を感じた時、その瞬間にたとえようもない感動と共感を覚える。
演奏家が死んでこの世の中にいなくても、その人と触れることができる。

彼女はある根拠の無いスキャンダルが原因でキャリアに大きな傷が付き、病気に苦しみ最後は癌で54歳の生涯を閉じた。
彼女が亡くなった時には、その存在がすっかり忘れ去られていたという。
こんな素晴らしい演奏家なのに信じられない。」

上記のスキャンダルとは何かの本に書かれていたと記憶している(図書館で借りた本だったようだが)。
先の大戦に関わることだったと思う。
ちなみにウィキペディアには殆ど情報が書かれていない。
しかしタワーレコードで彼女の録音を検索すると、2017年の頃に比べて、発売されている録音が大幅に増えている。
中には完全新規製作限定のLPレコードも何種類かあった。
現在、彼女の功績が正当に評価されてきた証であろう。



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