昨日のメンデスゾーンのヴァイオリン協奏曲に続き、クリスチャン・フェラスの最盛期と思われるライブ録音を聴いた。
シベリウス作曲ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op. 47。
そもそもシベリウス(1865-1957、フィンランド)という作曲家の曲は殆ど聴いたことがない。
ピアノ小曲集で「5つの小品(樹木の組曲) Op.75」という組曲(5曲目の「樅の木」は必聴に値する)と、この「ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op. 47 」くらいだ。
ヴァイオリン協奏曲の方は、2021年6月にたまたまNHKFMラジオで生放送されていたNHK交響楽団の定期演奏会でこの曲を初めて聴いた。
この時のソリストは青木尚佳さん。
食事をしながらの鑑賞だったのあるが、この曲と演奏に惹きこまれてしまってネットでこの日のN響のプログラムを検索していたら、何と翌日にも同じプログラム、同じ演奏者(青木尚佳さん)で開催されるではないか。二夜連続の同じ曲、同じ演奏者での定期演奏会は聞いたことがない。
幸運にもコロナ渦だったこともあり、チケットはすぐに入手出来た。
このときのプログラムをどこかにしまいこんでしまったので会場がどこか記憶が定かではないのが、サントリーホールだったと思う。
演奏はさすがN響というだけのことはあった。しかし最も期待していたシベリウスの協奏曲は、二夜連続ということもあってかソリストの青木さんの演奏が前日に比べてわずかに疲れを感じさせるものであったと記憶している。素晴らしい出来であったことは間違いないが。
その後、学生のコンクールだったかでラジオで1度聴いたような気がするが本格的に聴くことはなく時が過ぎたが、昨日のクリスチャン・フェラスの演奏との再会をきっかけに、この曲にたどり着いた。
1965年5月。パリでのライブ録画。
指揮は若い時のズービン・メータ、オーケストラはフランス国立管弦楽団だ。
これは素晴らしい演奏だ。すごいとしか言いようがない。是非聴いて欲しい。
昨日聴いたメンデスゾーンのヴァイオリン協奏曲のライブと同様、左指を見ず、殆ど目をつむったままで、心理学的に表現すれば、顕在意識の領域が殆ど後退し、代わりに潜在意識(あるいは魂)の成すままに演奏しているとしか思えないような演奏だ。
人の意識は顕在意識が5%、潜在意識が95%を占め、潜在意識は顕在意識の2万倍のパワーを持つと言われている。
クリスチャン・フェラスはこの2万倍のパワーを持つ潜在意識をフルに働かせて演奏していたのではないだろうか。
もちろん本人はそんなことは意識していないだろうが。
しかしこれほどの超絶技巧、聴き手の心の奥底にあるものを震わせるほどの音質と表現能力、凄まじいほどの感情エネルギーを兼ね備えているのにもかかわらず、今日殆ど名前があがってくることはなく、言わば埋もれた、忘れられた存在のようになっている演奏家もめずらしいのではないか。
このシベリウスの協奏曲の演奏は間違いなく超名演だと思う。
とくに第2楽章が素晴らしい。忙しい人でもこの第2楽章だけでも是非聴いて欲しい。
必ず心に感情が湧き出てくるに違いない。
クリスチャン・フェラスが不幸な死を遂げたことは本当に残念でならない。
これほど素晴らしいものを持った人が何故?。
輝かしい栄光の陰に、底なし沼のような恐ろしいほどの孤独感、深い葛藤の苦しみがあったのであろうか。
刹那的でない死の遂げ方は自分ではどうすることも出来ない心の闇、絶望感を長く持ち続けていたからではないかと推測する。
第2楽章の終わり近くで、彼の表情がアップに映し出されるが、左目の下に光るものが見える。汗か、いや涙ではないか。
クリスチャン・フェラスのことを、彼のためにもこれからも記事に取り上げていきたい。
Sibelius - Violin Concerto in D minor Op. 47 - Christian Ferras
シベリウス作曲ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op. 47。
そもそもシベリウス(1865-1957、フィンランド)という作曲家の曲は殆ど聴いたことがない。
ピアノ小曲集で「5つの小品(樹木の組曲) Op.75」という組曲(5曲目の「樅の木」は必聴に値する)と、この「ヴァイオリン協奏曲ニ短調Op. 47 」くらいだ。
ヴァイオリン協奏曲の方は、2021年6月にたまたまNHKFMラジオで生放送されていたNHK交響楽団の定期演奏会でこの曲を初めて聴いた。
この時のソリストは青木尚佳さん。
食事をしながらの鑑賞だったのあるが、この曲と演奏に惹きこまれてしまってネットでこの日のN響のプログラムを検索していたら、何と翌日にも同じプログラム、同じ演奏者(青木尚佳さん)で開催されるではないか。二夜連続の同じ曲、同じ演奏者での定期演奏会は聞いたことがない。
幸運にもコロナ渦だったこともあり、チケットはすぐに入手出来た。
このときのプログラムをどこかにしまいこんでしまったので会場がどこか記憶が定かではないのが、サントリーホールだったと思う。
演奏はさすがN響というだけのことはあった。しかし最も期待していたシベリウスの協奏曲は、二夜連続ということもあってかソリストの青木さんの演奏が前日に比べてわずかに疲れを感じさせるものであったと記憶している。素晴らしい出来であったことは間違いないが。
その後、学生のコンクールだったかでラジオで1度聴いたような気がするが本格的に聴くことはなく時が過ぎたが、昨日のクリスチャン・フェラスの演奏との再会をきっかけに、この曲にたどり着いた。
1965年5月。パリでのライブ録画。
指揮は若い時のズービン・メータ、オーケストラはフランス国立管弦楽団だ。
これは素晴らしい演奏だ。すごいとしか言いようがない。是非聴いて欲しい。
昨日聴いたメンデスゾーンのヴァイオリン協奏曲のライブと同様、左指を見ず、殆ど目をつむったままで、心理学的に表現すれば、顕在意識の領域が殆ど後退し、代わりに潜在意識(あるいは魂)の成すままに演奏しているとしか思えないような演奏だ。
人の意識は顕在意識が5%、潜在意識が95%を占め、潜在意識は顕在意識の2万倍のパワーを持つと言われている。
クリスチャン・フェラスはこの2万倍のパワーを持つ潜在意識をフルに働かせて演奏していたのではないだろうか。
もちろん本人はそんなことは意識していないだろうが。
しかしこれほどの超絶技巧、聴き手の心の奥底にあるものを震わせるほどの音質と表現能力、凄まじいほどの感情エネルギーを兼ね備えているのにもかかわらず、今日殆ど名前があがってくることはなく、言わば埋もれた、忘れられた存在のようになっている演奏家もめずらしいのではないか。
このシベリウスの協奏曲の演奏は間違いなく超名演だと思う。
とくに第2楽章が素晴らしい。忙しい人でもこの第2楽章だけでも是非聴いて欲しい。
必ず心に感情が湧き出てくるに違いない。
クリスチャン・フェラスが不幸な死を遂げたことは本当に残念でならない。
これほど素晴らしいものを持った人が何故?。
輝かしい栄光の陰に、底なし沼のような恐ろしいほどの孤独感、深い葛藤の苦しみがあったのであろうか。
刹那的でない死の遂げ方は自分ではどうすることも出来ない心の闇、絶望感を長く持ち続けていたからではないかと推測する。
第2楽章の終わり近くで、彼の表情がアップに映し出されるが、左目の下に光るものが見える。汗か、いや涙ではないか。
クリスチャン・フェラスのことを、彼のためにもこれからも記事に取り上げていきたい。
Sibelius - Violin Concerto in D minor Op. 47 - Christian Ferras