世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

旅の思い出 3

2007年09月04日 22時57分05秒 | Weblog
尾道の西国寺。

門に大きな草鞋が掛けられている。
ここでお祈りをすると、足の病が治るらしい。
この足のむくみ、改善するかな…。

夕方。
西国寺の階段下で、おばちゃん達が井戸端会議をしていた。
その中の一人が、私を見るなり、
「あんた、●●さんとこのミキちゃんに似とるで」
とか言う。
「そうやね、似とるわ」
と他のおばちゃんたちも言う。

日中太陽熱で温められた階段の石。
腰かけると、気持ちが良いらしい。

少しだけお喋りをして、さようならをした。
来年は、石の温もりをこの尻で感じたい。

あのあたたかそうな会話をこのココロで感じてみたい。


キーポン、萌え

2007年09月04日 22時00分45秒 | Weblog
幼児の発達心理学の研究のために作られたキーポンに萌え。

音に合わせて踊ったり、お辞儀したり…んもぅメロメロ。

「欲しい!」
と思ったが、研究用のみに作られたため、販売されていないらしい。

なごむ…。


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私の優先順位

2007年09月04日 22時00分06秒 | Weblog
私がまともに包丁を握って調理という行為をしたのは、おそらく高校2年の家庭科の時間が最後である。
油で何かを揚げるという行為にいたっては、未体験である。

実家にいた頃、手伝いはよくさせられた。
特に洗濯物をたたむ作業は私のルーティンであり、怠ると母親に殴られた。

しかし、母親と一緒に台所に立つことは一度もなかった。
手伝ってもらうよりも自分でやった方が早くて正確じゃん?…という母親の合理的な意見に甘え、私はいまだに「料理=彼女の仕事」だと思い込んでいるフシがある。
だから上京するときに買ってもらったキッチンセットを「使用しないから」と簡単に棄てることができたのだろう。

独り暮らしをしていると、
「毎日何食べてるの?」
という質問をよく受ける。
そのときの私は、考えるふりをしながら「ふふふ」なんて笑うようにしている。
この件に関しては徹底的に返答を曖昧にしている。

元々、食には興味がない。
煙草とご飯、どちらかを1日我慢しなければならないとしたら、迷わずご飯を我慢するだろう。
だから毎晩、外食、しかも喫煙できる店でそそくさと夕食を済ませている。
労働力や時間的なことを考えるてみると、私の場合に限っては、外食の方が自炊をするより遥かに経済的で効果的だ。

料理だけではない。
風呂掃除は、する度に強いストレスを感じる。
途中でバスマジックリン滴るスポンジを投げつけて、その場に蹲ってしまうことが多々ある。

でも、途中までできたことに納得する。

そんな風に前向きに考えられるようになったのは最近のことである。

ちょうど1年前、私の通っている心療内科のクマ医師に、何もできない自分を相談した。

「例えば?」

と訊かれた私は、つらつらと「自分ができないこと」を答えた。
…それらを考えると何もしたくなくなることも。

クマ医師は電子カルテに何かを書き記しながら、うなずいていた。
そして
「あなたが生きていくために、それらって、どうしても必要なことですかね?」
と言った。

意外だった。

ポカーンとしている私に、彼はこうも付け加えた。

「できなくても、生きていければいいじゃないですか。風呂場にカビが生えていても生きていけますよ。あなたにとっての優先順位を明確にして、下位にあるものを無視してみましょう」

と。


そうなんだ。
そんなシンプルなことだったんだ。

行為をするのは私なんだから、できないことを考えて落ち込むことはないんだ。
自分が納得して生きていければ上出来なのである。

そう思った。


「今日、自分が出来た一つ一つのことを誉めてあげましょう」
一年間、クマ医師のその言葉を信じて実践してきた。

薬の量は当時より増えたが、幾分、自信を持てるようになった。

「今日、出来たことは何だろ?」

夕食後、煙を吐き出しながら、日課となった一日を振り返る作業を今日もした。
明日はどんなことができるようになるのかな。


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