晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宮本輝 『ドナウの旅人』

2010-05-04 | 日本人作家 ま
ヨーロッパの2大河川といえば、ライン川とドナウ川。ライン川は
スイスからはじまり、ドイツ・フランス国境を流れ、ルール工業地帯
を通り、オランダへ、そして北海に注いでいます。
こちらは東西冷戦時代でいう「西側」諸国を通過するので、ライン川
下りをやろうと思えば容易にできますが、一方ドナウ川はというと、まず
ドイツ南部「黒い森」が水源とされ、そこからオーストリアの首都、音楽の
都ウィーンへ。そこからは「東側」、つまり社会主義国家圏内へと向かう
のです。
ハンガリーの首都ブダペスト、ユーゴスラビア(旧)のベオグラードを
通り、ルーマニアとブルガリアの国境沿いを流れ、やがて黒海に注いで
いるのです。

ライン川はゲルマン民族が「父なるライン」と呼んだのに大して、ドナウ
は母なる川。
人間という、自然にとってはあまりに小さくあまりに無力な「こどもたち」
を暖かく優しく、時に厳しく見守ります。
ときに「こどもたち」は、つまらない意地や見栄の張り合いでいさかいを
起こすのですが、それでも母は見守り続けるのです。

ドイツで5年間働き帰国、日本に住む麻沙子のもとに、ドイツから母の手紙が
届きます。父宛てには、ちょっとフランクフルトへ旅行とだけ書いてあったの
ですが、娘には、17歳も年下の男とドナウ川下りを楽しんでくるという衝撃
の内容。
麻沙子の父は厳格で、母は20歳ほど若く見え、それが時に娘の目にも危なっか
しく映り、父の退職を機に別々の道を歩むことになるんだと思っていた矢先の
母の狂乱ともいえる行動に麻沙子は怒りを覚え、母を連れ戻しにドイツへ向かい
ます。

まず、フランクフルトでかつての上司の八木夫妻に久しぶりに会います。八木の
妻は、麻沙子のドイツ在住時代の恋人シギイの話を振ってきます。
ふたりは2年ほど交際したのですが、将来が見えず、別れてしまったのです。
とりあえず母の行き先に見当をつけ、ドナウ沿いの街にあるホテルに片っ端から
連絡を取って探します。
数日後に日本人ふたりが予約を入れているというホテルを見つけ、麻沙子は向かお
うとしますが、母の連れの男に会いたくなく、元恋人シギイの親友ペーターと供に
行ってもらうことに。

しかし、ペーターの運転する車は行き先とは違い、ニュルンベルクへ。ペーター
は麻沙子に、シギイと再会させるつもりだったのです。
そして、ふたりは恋の炎を再燃させます。

母と男の泊まるホテルに着いた麻沙子とシギイ。母と会い、恥知らずな親と詰り
ます。しかし母の父に対する嫌悪や、旅の決意を聞いて、説得を諦め、シギイに
男の方を説得してもらうようにします。
しかし、この長瀬という男は、日本で事業に失敗し、とんでもない負債を抱え、
死地に赴くつもりで今回の旅に来たのです・・・

ここから、なんだかんだで、麻沙子とシギイ、麻沙子の母絹子とその恋人長瀬
という奇妙な4人でドナウ川下りの旅がはじまるのです。
ウィーンで出会う日本人留学生たちやタクシーの運転手、そしてハンガリー、
ユーゴスラビア、ルーマニアで出会う人たち、さらにペーターや、長瀬を追う謎
の日本人と、さまざまな人たちがさまざまなかたちでこの4人に関わります。

旧共産圏である東ヨーロッパへ入る一行。入国審査などで嫌な思いもしたり
しますが、そこに住む市井の人々は、民主主義圏に住む人たちと変わらず、
困ってる人があれば助け合い、そしてそこには笑いも悲しみも当たり前のよう
にあり、基本は同じ人間なのです。

「自分以外の人の心というものに重きをおかないやつは、どんなに勉強ができ
ても馬鹿だ」
「人間に優劣をつけたがるのは中流のやつらだ。暮らしがじゃない、心が」
全体を通して、「他人に対する意識」というテーマがあるように感じました。

文中、ドナウ川、その沿岸に暮らす人たちの思い出の音楽がとても印象深く
描かれています。「モルダウ」「ツィゴイネルワイゼン」、そしてジプシー
の音楽。これらの曲を聴きながら読むというのもまた一興かと。
コメント
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