晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

宮本輝 『ここに地終わり海始まる』

2010-05-23 | 日本人作家 ま
昔のヨーロッパ人は、大陸の西端、ポルトガルやイギリスよりも西、
つまり大西洋の「向こう側」は、滝のように海が流れ落ちると想像
していたそうです。つまり、地球は球体ではなく、半円状で、その
平面の上に陸地があったと考えていたのです。

古代エジプトでは地球は球体であることを分かっていたのに、それより
ももう少し時代が進んで、地学が退化したというのは、宗教観が絡んで
くるのでしょうか。フランスのモン・サン・ミシェルという修道院は、
湾上に浮かぶ島の上に建てられていて、なぜそんな(辺鄙)な場所に教会
を建てたのかというと、海の向こう側は人生の終焉、神の審判を意味し、
つまり現世と来世の境界線で、大天使ミカエル(フランス語読みでミシェル)
はその門番というか守護者である、と。

ヨーロッパの西端、ポルトガルのロカ岬に『ここに地終わり海始まる』という
碑文があり、ここから、日本で6歳から24歳まで18年という長い時間、
結核治療のため療養所で過ごして来た女性に絵はがきが届くのです。

その絵はがきは、文は短いながらも簡潔に「あなたが好きだ」という意味が
こめられていて、しかしこの患者、志穂子には身に覚えがありません。
というのも、送り主は、有名なミュージシャンだったのです。

人気コーラスグループに在籍していた梶井克也は、芸能界の汚濁に疲れ果て、
メンバーの女性と逃避行。しかし旅先で揉めて別れてしまい、女性は旅先で
知り合った宝石商と結婚、梶井はポルトガルに辿り着き、以前チャリティー
で訪れた長野の療養所で見かけた美しい女性――のちに職員に名前を訊いて
いた――に手紙を出します。

結核が完治する見込みは薄い志穂子のもとにこの手紙が届き、不思議と彼女
の心の中になにかが芽ばえ、そして病状はみるみる回復してゆき、とうとう
退院できるまでになったのです。
単純に恋心なのかというとそうでもなく、手紙にあった「ここに地終わり海
始まる」という一文に心惹かれたのです。
しかし、なぜ梶井が自分なんかに手紙をくれたのか、退院してから志穂子は
梶井の所属する事務所へ一人で出かけることに。
そこで、梶井は勝手にメンバーを脱退し仕事を放棄して逃げたと聞きます。

事務所の社長が来るまで、ビルの喫茶店で待っている時に、ウェイトレスを
している、のちに志穂子の親友となるダテコと知り合います。
ダテコは梶井を知る人物から、彼の居場所を聞き出します。尾辻という男が
志穂子の手紙の件を梶井に訊くと、どうやら人違いで出してしまったらしく・・・

志穂子にとっては、それまで一生療養所暮らしだと思っていたところに舞い
込んできた手紙に、まさに生きる喜びをもらいます。
家族に支えられ、徐々に社会に適合していこうとする志穂子。新しく出会った
ダテコや尾辻といった人たちとの友情、そして梶井。

志穂子に関わる登場人物それぞれが、なにがしかの過去を背負い、しかし未来に
向かって前向きに生きていこうとしています。
人生の大事な時期、6歳から24歳までをベッドで過ごした志穂子にたいして、
からかいや蔑視などといったことは誰一人言いません。自分は世間知らずだと
考える志穂子に、周りは、それは違う、病院というところは社会の人生の縮図
だから、あなたは誰よりも世間を知っているはずだと諭します。

志穂子の周りの人物はおしなべて「いいひと」(一部、事務所の社長などダメ
なやつもいる)であって、これが、やたらリアルを追求する現代小説だと「現実
離れ」な感があるのですが、なにも、安直に世間の現実、人間の汚らしい部分を
フィーチャーしたものが正解かというとそうではなく、たとえ登場人物がみんな
「いいひと」であっても、筆の力でそれを不自然に思わせない、それが小説を読む
醍醐味なのだ、というしごく当たり前な事を再確認させていただきました。

コメント
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