晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

夏目漱石 『虞美人草』

2010-02-04 | 日本人作家 な
これまで漱石の作品をいくつか読み、うしろの解説も読むことが
楽しみなのですが、漱石は、明治時代当時の文壇では孤立とい
うか、批判されている向きもあったのです。
当時は、散文形式を取ったいわゆる「自然主義文学」が主流で、
坪内逍遥が、それまでの勧善懲悪といったような物語構成を否定
し、またこの時代の自然主義作家は、漱石の作品に登場する人物
を「概念的」とこき下ろしています。

人物描写を、最後まで性格の変わらない一貫性を「概念的」だと
する思考は、漱石のような、人物描写を重要なファクターとして
物語を構成させてゆく作品は、低いフェーズ(段階)とみなして
いたのでしょうが、武士政権の終焉とともに新しい文明が開化し、
それまでの文学を踏襲せず、一旦破壊し、創造し直す作業はある
意味時代の流れだったのかも知れません。

しかし、それまでの文学は、完全には熟しきっていなかったので、
自然淘汰はされなかったのでしょう。つまり、スムーズなバトン
タッチが行われなかったようなもので、結局、戦後に物語文学に
主役の座を明け渡してしまう自然主義文学もまた実が熟しきれず
に落ちてしまうことになります。

漱石が自然主義文学の趨勢に抗い、物語を書いたことに、確固たる
信念があったかどうかは定かではありませんが、当時の文壇を推測
するに、世の中をリードしている花形職業意識、ちょうど1980年代
の「ギョーカイ人」のような鼻持ちならなさがあったように思えて、
そうした一般読者を見下して物を書く立場から一線を画すのはまさに
『石に漱(くちすす)ぎ流れに枕す』のペンネームが体を表している
ようです。

『虞美人草』は、大学を卒業するときに天皇から銀時計を賜るほどの
秀才である小野が、美しくもやや傲慢な気質の藤尾と、恩師の愛娘の
小夜子の二人の女性を天秤にかけます。
東京での生活も慣れ、学術界での出世意欲のある小野は、恩師の娘と
の結婚に二の足を踏みます。そして藤尾との結婚に意思を固めようと
しますが、恩師からは裏切り者の謗りを受け・・・

軟着陸を試みようとするも、優しさゆえに他人を傷付けてしまうこと
もあり、非常な決断を迫られます。立ち位置が定まらないと、どち
らを向いているのか判りません。
小野は、我が理不尽なのか、自分の周囲が理不尽なのか悩みます。

物語の解釈として、不誠実な態度を取っていた小野が原因で、ある
悲劇が起こるのですが、小野を悪者にせず、悪いのは悲劇の側だと
するのは、理不尽の方向性に固執してしまったように思えます。
ただしそれが、登場人物の変わらない性格がゆえに起こさざるをえな
かった悲劇かというとそうではなく、登場人物が俗世から解脱していな
いからこそそこには悲劇があるのです。
コメント
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