晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

東野圭吾 『さまよう刃』

2010-02-25 | 日本人作家 は
江戸川乱歩賞を受賞し、その後数々のヒット作を世に送り出し、
映画化やドラマ化もされる、そんな東野圭吾という作家、いわゆる
「ハズレのない」稀有な作家の一人であることは既知ですが、一般
的に、乱歩賞の受賞者といえば、華々しいデビューといってもよく、
「新人でありながら実力あり」のお墨付きをいただいているような
もの。プロ野球でいうなら、ドラフトの目玉で1位指名。しかし、
同じようなスタートをした作家は数多くいても、全員が全員、東野
圭吾のようになれるわけではありません。

そこらへんの違いは、テーマであったり筆力であったり、あるいは
乱暴な解釈を許してもらえるならば「時代、タイミング」でしょうか。

『さまよう刃』は、一人娘を陵辱されたうえ殺された父親が、なぞの
匿名電話により二人組の犯人を教えてもらい、まず一人を殺し、残る
主犯格のひとりを追います。
警察は、犯人の目星がついた矢先の、被害者遺族による加害者を殺害
という、なんともやりきれない事件を扱うことに。
しかし、警察が父親宅に向かったときには、すでに不在で、しかも
家にあるはずの猟銃がありません。
彼らは未成年で、指名手配はできず、仮に逮捕できたとしても軽罪で
出所してしまう、この国の法律を、父親は嘆きます。
当然マスコミも黙って見ているはずもなく、世間ではこの父親の罪を、
そして復讐は正義かを問います。
やがて父親は、残る犯人を探しに長野までたどり着き、憎き男を追う
のですが・・・

復讐心に燃える父親、たとえ殺人者に成り果てたとはいえ彼らをかばう
親、二人目の殺害をさせまいと懸命に追う警察、そしてこの事件を面白
がるマスコミ。

正義とはなにか、ほんとうに裁く権利のあるのは誰か、というテーマを
扱うときに、その物語のオチというか、どうやって話の「オトシマエ」を
つけるのか(ガラ悪い表現ですみません)が、その作品の価値となるの
ですが、ここで大事なことは、以前、某文学賞の選考委員だった宮部
みゆきさんの「作家が神になってはいけない」という表現。
これが正義だと断定して、踏み込んではいけない領域に登場人物を踏み
込ませてはいけないのです。

単純に勧善懲悪であれば、ラストに犯人を銃でぶっ放して、ああスッキリ
した、となるのですけど、だからといって「私はこういう結論にしました」
的な締めくくりというのもなんとも寂しいというか。
『さまよう刃』では、ラストに、こういう結論にしたという話のあとに
さらにもうひとつの問題提起があります。
ここが面白い作品とそうでないものとの境目ですね。


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