晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

夏目漱石 『門』

2011-06-24 | 日本人作家 な
漱石の『門』といえば、「三四郎」「それから」と
三部作と呼ばれる三作目にあたる作品で、これらの
作品はシリーズ化されているわけでもなく、作者の
意図か、読者の解釈か、「三四郎」の(それから)が
「それから」で、「それから」の(それから)が
『門』ということになっています。

まあ、あえて共通のテーマを探すとすれば、主人公の
男が、何がしかの苦悩を持っていて、その解決を見出
せず(見出そうとしていませんが)にもがいている、
とでもいいましょうか。

東京の裕福な家に生まれた宗助は、不自由なく暮らし、
京都の大学に進むも、ろくに勉強もせず、挙句、親友
の安井という男の妻であった御米とデキてしまい、地方
を転々として、今は東京に戻り借家住まい。

裕福だった実家は、宗助の父の死後、叔父に遺産管理
を任せていたのですが、どこでどう転んだのか、宗助
のところにはお金が入ってこず、その叔父が死んでし
まい、叔父の家に預けられていた宗助の歳の離れた弟
を引き取ることに。

ところが薄給の宗助にとって弟の学費を捻出するのは
困難で、叔母に助けを求めるのですが、断わられます。

宗助と御米は互いに会話こそしますが、世間並みの
付き合いなどは全く無く、厭世の観があり、それは
かつて親友の妻と結ばれてしまった(御米にとっては
夫に対しての裏切り)ことへの贖罪ということなの
でしょうか。

ところが、ある出来事がきっかけで、大家と付き合い
がはじまり、ある日、大家宅に行った宗助は、そこで
なんと、安井の消息を耳にするのです・・・

この後宗助は、具合が悪くなったといって療養をかね
た小旅行へ出るのですが、じつは御米にも内緒で、鎌倉
の禅寺へ行くのです。
寺で修行したからといって、安井が大家のもとに来なく
なるわけでもなし、東京に戻った宗助にとって事態が
好転したといえば、大家が弟を書生として引き取って
くれるということくらい。

エンディングの夫婦の会話は、「道草」の終わりの夫婦
の会話と同じくらい、なんとも後味の悪い締めくくり方
となっています。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ディーン・R・クーンツ 『ハ... | トップ | 三浦綾子 『天北原野』 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本人作家 な」カテゴリの最新記事