晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

夏目漱石 『草枕』

2012-06-07 | 日本人作家 な
国語のテストで、有名な小説の冒頭だけ出して、さて、このタイトルは
なんでしょう、という今にして思えば意味不明な問題がありましたね。
読んでもいない小説の冒頭1行を「覚えている」ことが国語の能力とどう
関係があるのか・・・

まあ漱石でいえば「吾輩は猫である」「坊ちゃん」の冒頭はあまりにも
有名ですが、『草枕』の冒頭「智に働けば角が立つ、情に棹させば流され
る・・・」も知られています。

明治時代の小説は、それまでのわかりやすい、例えば勧善懲悪といった
シンプルな、ときに物語を面白くする流れ上、ちょっと無理があるんじゃ
ないの、という展開を否定するといったムーブメントがあって、それら
の多くはヨーロッパで主流だった自然主義に傾倒していったのですが、
漱石はその流れに乗らず、周りの「主流」な小説家、批評家たちは漱石
の小説を貶していたりしていました。

かといって漱石も負けじと批判していたかというとそうでもなく、逆に
物語性や人物描写を重視する「分かりやすい」小説を書き続けることに
よって、自分なりのスタンスを保っていたように思います。もっとも、
後世の評価によると、当時の自然主義作品よりも漱石の小説のほうが
よほど「自然主義」だ、ということらしいですが。

さて、『草枕』ですが、「自然派、西洋文学の現実主義へのアンチテーゼ
を込めてその対極にある東洋趣味を高唱」ということで、物語性があるには
あるのですが、ところどころ破綻があったりします。なんといいますか、
主人公の「心情」がときに物語の進行をジャマするくらいに長々と描かれて
います。

基本的な筋としては、東京に住む若い画家(文中では「画工」)が地方の
山奥にある温泉に向かい、そこの宿屋にいる那美という女性に惹かれて、
そこに住む人々との交流などがありますが、画工がいっこうに絵を描こう
とせず、那美を描きたいと思い、「これ」という一瞬の表情を待ち・・・

といった、これだけ見ると「普通の小説」のようですが、前述のように、
物語はところどころで途切れて、漢詩や俳句はしょっちゅう登場、ここまで
敢えて心情をこれでもかと描くのはデフォルメしているようです。

そして、初期~中期の漱石の作品にしばしば登場する、房総半島の一周旅行
が『草枕』の中でも出てきます。よほど忘れられない旅だったのでしょう。



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