晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

夏目漱石 『三四郎』

2009-10-15 | 日本人作家 な
今になって漱石を読みはじめるという軽いマイブームは、これで
ようやく4冊目、『三四郎』を読みました。
まあ漠然とあらすじは知っていて、さらに東大構内にある池は
「三四郎池」と呼ばれており、これはこの小説に由来する、とい
う知識もあったので、物語に池が出てくるんだなあと読む前から
推察をしてしまいました。

九州から東京の大学に進学することになった三四郎は、都会で
の生活を送るにあたり、とにかく田舎モノと思われないように、本
人の努力、というにはいささか皮肉めいた表現ですが、スタイリッ
シュたらんと心がけます。
大学の友人、与次郎には振り回されるような日々、郷里の縁者で
理科大学の研究者の野々宮先生、その師の広田先生といった面
々と接するようになり、そして美禰子という女性と出会い、やがて
三四郎はこの女性に惹かれます。

郷里の母から来る手紙には、田舎での瑣末な出来事が書き綴ら
れていて、それを読む三四郎は、そんな田舎を軽くバカにします。
ほんのちょっと前に自分もその田舎から出てきたのに、これでは
過去の自分の否定、それではアーバンライフを勤しもうとしても、
土台がぐらついているので、アイデンティティの確立は難しいとい
うことに三四郎本人は気付かずに独り煩悶するのです。

友情や恋愛は、はじめのうちこそ、さもドラマチックに三四郎の心
を占めますが、友人にちょっと猜疑や軽蔑を抱いたり、好きにな
った女性との恋が成就しないとなるや、風が頬をなでる程度に
「別に、気にしないよ」くらいに受け流すのです。
これは現代にも、いや過去にも、そして世界のいたるところでも
同じような青年期の悩みとして描かれているので、普遍的なテ
ーマということなのでしょうけど、ともすれば自分を見失いかね
ない、そこまでして得るものは何か?

単なる「強がり」といってしまえばそれまでですが、三四郎が最
後につぶやく「迷羊(ストレイシープ)」の言葉に集約されていま
す。
コメント
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