晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

西條奈加 『ごんたくれ』

2024-08-17 | 日本人作家 さ
「暦の上では秋」と書いたところで気休めにもならないとは分かっていながらもつい書いてしまいます。鎌倉時代の「徒然草」に「家の作りやうは、夏をむねとすべし(家を作るときは夏の住みやすさを優先させたほうがよい)」とあるように、暑いのと寒いのと比べたら寒いほうがまだ我慢できるということと、あとはたぶん家屋の耐久度も考えてのことなのでしょうね。まあ七百年前の夏は今よりも暑くはなかったんでしょうけど。

以上、吉田センパイのいうとおり。

さて、西條奈加さん。初めて読みました。

舞台は江戸後期の京の都。当代人気ナンバーワン絵師の円山応挙の家の前で、応挙の悪口を言っている者がいます。そこに出てきたのは若い侍。じつは若い侍は応挙の弟子。悪口をやめないので刀を抜こうとしたとき「彦太郎、何をしている!」と止めに入ったのはこの若い侍、彦太郎の兄弟子である幸之助。兄弟子は自己紹介をして、男の名前を聞くと「我が名は深山箏白!京随一の絵師!」と叫びますが、どこの誰かもわからず、彦太郎は相手を殴ってしまいます。
師の応挙が帰ってきて、先程の騒ぎのことを話すと、応挙は以前、池大雅の家を訪れたときに箏白の絵を見た、というのです。しかも、筆のうまさだけなら私より上かも」などというではありませんか。ところが、独創性に走って奇をてらい過ぎだ、といいます。しかし、たとえ師を馬鹿にされたとはいえ殴ったことは良くないので彦太郎に謝ってこいといいます。

箏白の住んでいる長屋で住民らしき人に絵師は住んでいますかと尋ねると「あの、ごんたくれか」と吐き捨てるようにいいます。ごんたくれとは、浄瑠璃や歌舞伎の「義経千本桜」に出てくる「いがみの権太」という嫌われ者からきているそうで、じつは彦太郎も子どもの頃にそう呼ばれてたことを思い出します。深山箏白は号(芸名)で名は豊蔵。
豊蔵は留守で、勝手に中に入ると部屋じゅう絵がいっぱい。その画力に彦太郎は圧倒されます。そこに豊蔵が帰ってきて、殴ったお詫びで銭を渡すと「一緒に出かけよう」と誘います。着いた先は茶店で、声を掛けると中から女が出てきます。じつはこの女も絵師でお町、号は玉瀾。豊蔵は奥の部屋にいた男に「秋平さん邪魔するで」と声をかけます。この男こそ、円山応挙と人気を二分する人気絵師、池大雅だったのです。四人は意気投合し宴会が始まります。豊蔵が帰ったあと、お町が「あの人があんなに心を開いたのはめずらしい」と感心します。しかしこの翌年、池大雅は急死します。豊蔵は行き先も告げず旅に出ます。

それから十年、彦太郎は師の代理として南紀白浜にいます。今では吉村胡雪という号で、京の都では有名になり、遠方からの仕事の依頼は彦太郎が受け持つことが多くなっています。都から有名絵師がやって来たとあって仕事依頼が舞い込んで、南紀串本の寺の襖絵を書くために滞在していると、なんとそこに豊蔵が。伊勢から白浜へ行くと応挙の弟子が来ていると噂を聞いてやって来たのです・・・

やがて、彦太郎こと吉村胡雪は兄弟子の幸之助(源琦)とともに応挙の両腕としてさらに有名になっていきますが、好事魔多し、なんと大坂で人妻と駆け落ちをして・・・

あとがきによれば、深山箏白と吉村胡雪はモデルとなった絵師がいるそうです。円山応挙と池大雅だけでなく、文中には名前だけですが与謝蕪村、その弟子でのちに四条派グループの代表となる月渓(呉春)、さらに伊藤若冲も登場して、江戸後期の化政文化と呼ばれるこの時代の京の都における絵師のスーパースターが続々登場して、そこまで絵画には興味なくても某お宝を鑑定するテレビ番組で聞いたことある名前ですね。なんといいますか、読んでてエンタテインメント性があってとてもワクワクしました。

西條奈加さん、とても読みやすく表現力も豊かで、またひとり好きな作家が増えてしまいました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 井上ひさし 『四捨五入殺人... | トップ | 安部龍太郎 『開陽丸、北へ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本人作家 さ」カテゴリの最新記事