晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

安部龍太郎 『開陽丸、北へ 徳川海軍の興亡』

2024-09-05 | 日本人作家 あ
八月が終わってしまいました、ということは一年の三分の二が終わってしまったのです。なんだか某政治家構文みたいになってしまいましたが。我が家には猫がおりまして、寒い時期には寝るときにベッドで人間にくっついて寝るのですが、暑くなってくると廊下や風呂場など涼しい場所で寝てまして、それが数日前からベッドに乗ってきて足元で寝るようになってきたのですが、まあ多少は涼しくなってきたということなんでしょうね。

以上、動物の本能。

さて、安部龍太郎さん。歴史小説というと戦国時代か幕末が多いのですが、シンプルにこの時代が面白いということなのでしょうけど、大河ドラマもそうですが、過去に放送されたのは戦国と幕末が半分以上なのだそうで、まあ伊達政宗とか坂本龍馬とかカッコいいですもんね。

ペリーが日本に来て十年ちょっと、海防の強化を急いだ当時の幕府が、オランダに軍艦の造船を依頼し、その船は開陽丸と名付けられます。その船に乗ってオランダ留学から帰国したのが艦長の榎本武揚と副艦長の沢太郎左衛門。ところが帰国した半年後には大政奉還、つまり江戸幕府が終わります。開陽丸は新しく開港したばかりの兵庫港に停泊している欧米の軍艦や商船を監視するために大阪湾にいます。ちょうどこの頃、薩長と朝廷の新政府が徳川家の処遇を決めていて、なんとか徳川家がいち大名家に留まることになります。ところが江戸では薩摩藩士を筆頭に倒幕派と称する浪人たちが乱暴狼藉を行います。鳥羽・伏見の戦いで幕府側が朝敵となり、時の将軍徳川慶喜は大阪城から脱走して開陽丸で逃亡します。それからのゴタゴタをぜんぶ書いているとキリがないので、なんだかんだで無血開城、そして上野戦争となります。そこでも負けて開陽丸はほかの幕府所有の軍艦といっしょに東北へ向かうのですが、途中で嵐に遭い・・・

史実のとおりにいきますと、このあと東北でも仙台藩が新政府側について負けて、敗残兵を乗せた船は蝦夷の箱館(函館)へ。そこでまた嵐に遭って沈没するのですが、じつはこの物語の冒頭、昭和五十一年に行われた開陽丸の引き上げ作業が行われ、そこに南雲さわという八十近いおばあさんが作業を見守っている、というシーンからはじまるのです。さわがまだ小さい頃に祖母の富子から開陽丸のことをよく聞いていていました。太郎左衛門がまだ貧乏御家人の息子だったころ、隣に住んでいた御家人の娘、南雲富子と夫婦になる約束をしていたのですが、富子の母が病気になり、太郎左衛門もオランダ留学が決まって延期となります。しかし留学から帰ってきたら南雲家は一家ごといなくなっています。はたして二人は・・・というロマンスの話もあります。ちょっとタイタニックっぽいですね。ラストシーンに思わず涙。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 西條奈加 『ごんたくれ』 | トップ | 髙田郁 『花だより みをつ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日本人作家 あ」カテゴリの最新記事