安倍首相、北方4島返還「国民、困難さをよく理解」(朝日新聞)
安倍晋三首相は30日に放送されたラジオ日本の番組で、北方領土をめぐる日ロ交渉について「今、残念ながら4島には日本の島民が住んでいない。ロシア人しか住んでいない中で、その帰属を日本に変えることの困難さを(国民に)よく理解していただいているのかなと見ている」と語った。
首相は11月の日ロ首脳会談で、歯舞(はぼまい)、色丹(しこたん)の2島の日本への引き渡しを明記した1956年の日ソ共同宣言を基礎に、平和条約交渉を加速することで合意した。ラジオでは4島返還を求めて合意に反発する世論が大きくなっていないとして、その感想を問われた。
北米大陸はアメリカ固有の領土である――トランプだったら、それぐらいの認識を大まじめに持っていそうな気がしますが、普通の人にとってはどうでしょうか。もちろん歴史を紐解けば時代と共に住む人や君臨する国家が変遷していくことは、全く珍しくありません。それでもなお「固有の領土」として信じ続けられるものがあるわけです。
現在の北海道は江戸時代までは蝦夷地と呼ばれ、日本の領域外でした。明治時代に入ってから本格的な「開拓」が始まりましたが、そこは決して無人の荒野ではなく、「和人」とは別の人々が住む地域でもありました。この北海道よりも遠いところにある島までもが現在では「固有の領土」と呼ばれているのは広く知られるところですが、さて――
100年あまり昔のこと、ロシアから獲得した領土が少ないと不満を持った人々が、大規模な暴動を起こしたことがありました。世に言う日比谷焼打事件で、戦前から一貫してお調子者として知られる朝日新聞などは、「(ロシアとの)講和会議は主客転倒」「桂太郎内閣に国民や軍隊は売られた」「小村許し難し」等と国民を煽ったとされています。
似たようなノリで桂や小村のところに安倍の名を入れる人は今でもいるような気がしますが、ともあれ日比谷焼打事件の際は、国民の認識として「もっと領土を獲得できて当然」というものが前提にあったようです。日本にはロシアから領土を奪える正当な理由がある、それが出来ないとしたら政府が悪い、と考えられていたのですね。
報道によると、安倍首相がいわゆる北方領土の「帰属を日本に変えることの困難さを(国民に)よく理解していただいているのかなと見ている」と語ったそうです。この「国民に」という括弧書き部分は報道による注釈ですが、どうしたものでしょう。少なくとも私には、問題の困難さが国民に理解されているとは思えません。
日露戦争の戦後処理の場合は、国策報道の結果として国民が「戦争に勝った」と信じ込んでいたことが大きかったようですが、では太平洋戦争の戦後処理の場合はどうなのか、やはり国策報道によって国民があらぬ誤解をしていないか、どうにも私には過去の轍を踏んでいるように感じられるところです。捕鯨に関しても触れましたが、報道が「挙国一致」になっている類いほど怪しいものですから。
敗戦後、日本は台湾や満州、朝鮮半島と共に千島列島の領有権も放棄する形で条約を結びました。しかる後、北方領土と呼ばれる諸島は千島列島に含まれないと、日本が言動を翻し始めたことで領土問題が生まれます。そこでロシア(ソ連)との間で当初は「二島山分け」で話が進みました。ここから1956年の日ソ共同宣言に繋がっているわけですが――
残念ながら日ソの平和条約を良しとしなかったのがアメリカで、「2島返還で合意したら沖縄を返還しない」と日本を恫喝したと伝えられています。結果、日本は突然の「4島返還論」を唱え始め、当然のごとくソ連との交渉は立ち消えとなりました。結局、日本がアメリカを優先した時点で領土問題は「日本側から」切り捨てられたと考えるべきでしょう。何を今更、ですね。
日本が今になって北方領土の「返還」を訴えるのは私には滑稽にしか見えませんが、領土獲得を夢見る国民の精神は100年前から変わっていないのでしょうか。そして仮にプーチンが辺境の小島を売り渡したとしても、その先をどうするのか日本の誰も考えていないようにも思います。北海道ですら札幌中心部以外は廃れているのに、そのさらに辺境となる地域を日本は支えられるのか、漁業権が云々と言いつつ日本の漁業は補助金と外国人頼みの衰退産業ではないか等々。
「進め一億火の玉だ」とは戦中のスローガンですが、当時の日本の人口は台湾人や朝鮮人を含めないと「一億」には達しませんでした。この大日本帝国の臣民として「一億」に組み込まれていた人々が戦後にどうなったかと言いますと、「日本人ではない者」として扱われたわけです。日本の国籍は、限られた人にしか与えられなかったのですね。
その結果として「中華民国籍」や「朝鮮籍」という、国家とは紐付かない奇妙な「籍」が産まれたりもしました。この辺は結構な根深い問題に繋がっていたりもしますが、では「北方領土」がめでたく日本の領土となった場合、そこに住む人々はどうなるのでしょうか。この辺、考えることすらが拒まれている分野ではないかと思います。
捕鯨問題と同様、この北方領土問題も政党レベルでは左右の違いがないと言いますか、挙国一致の趣があります。そして国民の認識も大差ない、日露戦争終結後と同レベルの期待を抱いているし、メディアも煽り立てる方向にばかり進んでいるわけです。しかし、いい加減に現実に向き合うべき時ではないか、いつまでも夢を見ている場合ではないだろうと、私はそう感じます。