千葉大、海外留学を必修化 2020年度から全入学者に(朝日新聞)
国立千葉大学は24日、2020年度以降の学部・大学院の全入学者を対象に、原則として1回の海外留学を必修化すると発表した。千葉大によると、学部生は計約1万人、大学院生は計約3500人。文系・理系をとわず「全員留学」を義務付けるのは、全国の大学でも極めて先進的な取り組みだとしている。
千葉大は、発信力や自己表現力・コミュニケーション力を備え、世界で活躍する「グローバル人材」の育成を進めたいとしている。そのために、16年度に設けた国際教養学部で必修化した「全員留学」を全学に広げることにしたという。
学部生の留学期間は、最長2カ月程度。同大は現在も海外留学用のプログラムを備えているが、「全員留学」に合わせ、語学や異文化学習から専門研究まで新たなプログラムを拡充する。大学院生は、研究内容を中心に自分でプログラムや期間を考えるようにする。留学を支援するため、担当教職員を設けるほか、外国人教員を新たに配置し、英語による専門科目も開設する。
提携校に千葉大のプログラムで留学する場合は、大学が授業料などを負担する。財源を確保するため、大学側は経費節減を進めて収支状況を見直した上で、20年度からの新入生の授業料の見直しも検討するという。授業料が一定程度値上げとなる可能性もある。
記者会見した徳久剛史学長は「グローバルな人材育成には、実際に海外での経験が必要。異文化を学んで、本人の将来を決めるスタートにしたい」と話した。(寺崎省子)
まぁ大学の就職予備校化が指摘されて久しいわけですが、これなどはどうでしょうか。自称「極めて先進的な取り組み」とのことですけれど、確かに就職予備校としては先進的なのかも知れませんね。曰く「発信力や自己表現力・コミュニケーション力を備え、世界で活躍する『グローバル人材』の育成を進めたい」だとか、なるほど日本企業のウケは良さそうです。
この千葉大が称揚する「発信力や自己表現力・コミュニケーション力」とやらは、いかにも日本企業が求人の際に並べ立てる決まり文句のようにしか見えないのですが、これを備えれば「日本の外で」活躍できるのか、私は疑問です。「グローバル人材」を求める日本企業はいくらでもありますけれど、それは日本の外で求められる人材に合致するのでしょうか?
全員留学を義務づけると言うことで、学生の志望は考慮されないようですが、しかるに「最長2カ月程度」なのだそうです。では「最短」なら、果たして何日程度になるのでしょうね? いずれにせよ、1週間でも2週間でも2ヶ月でも、その程度では留学というより「旅行」と呼んだ方が適切に見えます。「留学経験」と称すれば就活には有利になりそうですけれど……
そして「英語による専門科目も開設する」とのこと。これもいかにも流行に迎合した感じですが、むしろ私としては「大学に行ってまで英語の勉強なんてするな」と言いたいです。使える言語が増えれば人生の選択肢は増えますけれど、しかし英語なんて大学に行かなくても勉強できます。それこそ運転免許と同じで、就職の際には問われても、大学でやらねばならないことかと考えれば、そこにも疑問を感じるわけです。
運転免許は自動車教習所、英語は英会話学校に任せて、大学には大学でしか出来ないことを期待したいところですが、就職に強い大学、補助金をたくさんもらえる大学を目指す上では、そうも言っていられないのかも知れません。ただ大学で学べる4年間――まぁ「真面目に」就活すれば正味は2年半ぐらいでしょうか――は本当に短い貴重な時間です。英語はいつでも勉強できますが、大学生でいられる時期は僅かしかないはずです。
もちろん1ヶ月なり2ヶ月なりの、長めの海外旅行でも得るところはあるのでしょう。フランスのように長期のバカンスが制度化されている国なら、大学卒業後でも同様の「留学」は可能ですが、日本の就労環境では色々と難しいわけです。ならば学生の夏休みや春休みを利用した留学ごっこも悪くない経験なのだと、そういう意見もありそうです。
ただ、短い学生生活の中「もう日本の大学では学べることがない」ならいざ知らず、学部や修士のヒヨッコならば、他にいくらでもやれることがあるような気がします。本当に先端的な研究をやりたいなら、日本にとどまってもいられないでしょうけれど、圧倒的多数の学生は、当然ながらその域に達することはありません。海外に行かなければ学べないのか、それとも国内でまだまだ学ぶことがあるのか、それは考えられるべきです。
後はまぁ、逆の立場で考えてみることですね。海外出身の学生で、自国の大学では日本語で授業を受けていたのが自慢で、日本には2ヶ月程度「留学」したことがある、とりあえず日本語は得意――そういう人が「グローバル人材」を称して日本での就職を希望していたらどうでしょう。少なくとも私が採用担当者だったら、ちょっとアピールが足りないと感じます。
ただ、全員にという発想には公平さを感じます。制度のおかげできっかけを掴める子が出る可能性はありますし、若い時に一目見ておくのは大事です。否定的な考えが蔓延している日本を離れて、そんなに便利でなくても普通に幸せに暮らしている人たちがいることを自分の目で見るのもいいかもしれません。
2週間-1か月くらいだと研修旅行ですから下見のような感じです。後は世界の奨学金を調べて飛び立ってほしぃですね。日本人は信用されていますから、言葉をしっかり身につければ世界で仕事ができると思います。
で、千葉大の留学でも、1週間では意味が無いと言う人も居るが、私は意味があると思うし、実際私の場合、博士課程ではあったが意味があった。但し、自分で一切を手配しないと意味がない。本当の旅行になってしまう。
渡航の手続きも深く知ることが出来たし、現地でも自分からしゃべらないと生きていけない。結構苦労したけど、何か生きていく自信が付いたことは確かである。
必修らしいので腰が重い人にこそお勧めである。
>麦酒大好きさん
何だって、勉強にもなれば考えが変わるキッカケにはなります。海外旅行で得るものもあれば、ブラック企業勤めで知ることもありますし、入院して人生観が変わることもあれば、親の介護で何かを学ぶこともある、パチンコを打っていて何かをひらめくこともあれば、国内の大学の講義で開眼することもある、それに貴賤はありません。ならば留学ごっこからも、何かを得る人はいるでしょう。
だからこそ「留学(ごっこ)」という企業ウケの良いモノばかりを、しかも全学生に押しつける、その一面的かつ短絡的な千葉就活大の方針は、考え方として「貧しい」と感じるわけです。望む人に、望む期間だけ機会を与えるのが理想であって「全員に」「期間指定で」やらせるのは公平とは真逆の、ただの押しつけですよ。
後は本文最後の繰り返しになりますが、英語が出来るだけの人ってのは、(日本で就活する場面以外では)日本語が出来るだけの人と大差ない――ということを意識して欲しいと思っています。