議員の立場考えて/何が問題なの? 陛下に手紙、官邸前デモ参加者も賛否(朝日新聞)
「脱原発」への思いを書いた手紙を天皇陛下に手渡すのは、やりすぎかどうか。山本太郎氏(38)が参院議員になる前から関わっていた首相官邸前デモの参加者たちの間でも、賛否は割れた。
1日午後6時過ぎ。毎週参加するという都内の女性(57)は「天皇にお手紙書いちゃいけないの?」と書いた紙を掲げた。「福島の人の命が脅かされているのに、手紙を渡したぐらいで何が問題なのか」。福島第一原発では汚染水問題も解決されないままだ。「大切なことは何か、政治家も国民も考えてほしい」
千葉県松戸市の篠崎清さん(69)も「天皇の政治利用なんて大げさ。原発反対の思いを伝えたい一心だったのだろう。今まで思いつかなかった表現方法で、彼の思いが伝わるのでは」と評価した。
一方、首をかしげる人もいた。都内の福祉施設に勤める金子佳史さん(40)は「芸能人のノリのままでは許されない。熱意は分かるけど、議員という立場であることを慎重に考えてほしかった」。都内の女性(65)は「批判する口実を与えることになり、原発推進派の人たちを勢いづかせる結果にならないか心配です」と話した。
先日は山本太郎が秋の園遊会にて天皇に怪文書を渡したということで、結構な話題を攫っています。これを天皇へ直訴状を渡そうとした田中正造になぞらえようとする向きもあるのですが、どうなのでしょう。私の世代ですと小学校の国語の教科書に田中正造の伝記風小説が載っていて、直訴状を渡そうとして取り押さえられた場面で天皇が「正造は狂人である」と言い放つ一幕がありました。これはフィクションが混じっていますけれど、ともあれ当時の制度上では直訴した者は死刑、そこを天皇が「狂人である」と言ったことで有耶無耶になって田中正造は処刑されずに済んだと、そんなエピソードが書かれていたものです。今回も事態収束のため「山本太郎は狂人である」ぐらいに天皇が言ってくれれば、私は何となく納得してしまいますね。
田中正造が闘った足尾銅山の鉱毒問題や水俣病に代表される各種の公害と、昨今の原発問題とでは決定的な違いがあります。つまり公害の場合は「初めに健康被害があり」、そこから原因の追及と解決策を求める動きがあったわけです。一方で原発問題の場合は「初めに結論=脱原発」があり、それを正当化するために「健康被害が捏造される」と。原発を何が何でも悪とするために、「被害」をでっち上げてしまう、それだけでも実に不毛なことですし、その過程で福島(東北)に纏わる諸々が被害をもたらしうる危険物であるかのごとくに喧伝されてきました。公害との戦いは被害者を守るためでしたが、反原発は新たな被害者を創り出すため、という点で全く逆の方向を向いていると言えるでしょうか。
山本太郎の行為については、逆の意味で天皇の政治利用を願っている層からの逆ギレ的な反発もあれば、天皇を政治利用することの危険性を記すメディアもまた少なくありません。一方で、これを擁護する人もまたいますし、個人に止まらず新聞社としてこれの正当化を図ろうとする類もまた存在するわけです。
山本太郎議員の行動、識者の見方は 園遊会で陛下に手紙(朝日新聞)
山本氏には「公人の立場を考えるべきだった」と指摘しつつ、政府内の批判にも違和感があるという。天皇陛下が出席した4月の主権回復式典を踏まえ、「政府の方こそ利用しようとしており、あれこれ言う資格はない」。
(中略)
■政治利用と言うには違和感 明治学院大の原武史教授(政治思想史)は、「今回の行為を政治利用と言ってしまうことには違和感がある。警備の見直しについても議論されるなど大げさになっており、戦前の感覚がまだ残っていると感じる。政治利用というならば、主権回復の日の式典に天皇陛下を出席させたり、IOC総会で皇族に話をさせたりした方がよほど大きな問題だと感じる」と話した。
陛下に手紙「政治利用」か? 山本太郎議員の処分検討(朝日新聞)
今年9月の国際オリンピック委員会(IOC)総会への高円宮妃久子さまの出席を、下村文科相らが宮内庁に強く働きかけた。今年4月に安倍政権が主催した「主権回復の日」式典では、閉会後に天皇・皇后両陛下が退出する際、会場から「天皇陛下万歳」のかけ声が起き、壇上の安倍晋三首相も万歳をした。
民主党政権時代の2009年には、鳩山内閣が天皇陛下と来日した習近平(シーチンピン)・中国国家副主席(当時)との会見を慣例に反する形で実現させた。
……ようするに朝日新聞は「他もやっているじゃないか、山本太郎ばっかりが批判されるのはおかしい」と言いたいようです。これと同一のロジックは、極右層が戦前の日本及び日本軍の蛮行を正当化する流れで、よく聞かされるでしょうか。つまり「他の国でも同じようなことをやっている。日本だけが非難されるのはおかしい」と。その筋の頭の人の中では「他の人(国)もやっていることなら、自分が同じような罪を犯しても、自身を正当化しうる」ことになっているわけです。朝日新聞もまた然り、他の○○もやっていることなのだからと、山本太郎による天皇の政治利用の問題から批判の矛先をすり替えようとしていると言えます。
左派と目される政党は中核派みたいな左翼崩れとは徹底して距離を置いてきたのが一般的と思われますが、昨今では状況も変わってきたようです。中核派の支援する候補に統一会派結成を呼びかけたり小泉に尻尾を振ったり、脱原発無罪が合い言葉なのか組む相手を選ばない様子が窺われます。付き合う相手を間違えると自身の信用も失うと私などは考えるところですけれど、カルト化が進んでしまうと色々と見えなくなっていくものなのかも知れません。本来なら、山本太郎みたいなのは落選させることで自浄能力を発揮することが脱原発を掲げる政党や支持層には求められても良さそうなものです。しかし、原発や電力会社を罵ってさえいれば後は不問で手を組んできた結果として今に至るのでしょうか。
そして冒頭の引用です。都内の女性(65)は「批判する口実を与えることになり~」と陰謀論的な語りを披露していますけれど、ならばこそ山本太郎のような被害妄想型の脱原発論とは距離を置くべきではなかったかと問いたくもなります。しかし脱原発無罪な人々(及び新聞社)には何を言っても無意味なのかも知れません。他にも「手紙を渡したぐらいで何が問題なのか」と問題を理解できていない人の声が何の注釈もなく伝えられ、篠崎清さん(69)による「天皇の政治利用なんて大げさ。」との言葉が続くわけです。ふむ、戦前を実体験として知るには惜しい年代でしょうか。
間違いなく日本の戦前を実際に生きてきたはずの瀬戸内ジャクソン寂聴氏は「(原発が稼働する時代より)戦争中の方がまだましでしたよね」と語りました。他でも反原発デモの扇動者が伝えるところでは昭和3年生まれの女性が「原発は戦争より悪い」と言い切ったとか。私が歴史を学んで知った限り、戦争中の方が今よりもマシであるとはとうてい考えられないのですが、実際に当時を生きてきた人が原発稼働よりも戦争の方が好ましいと言い切っているのですから、まぁ私の方が認識を改めなければならないのかも知れません。戦争中の方がマシ、原発は戦争より悪いと戦前を生き抜いた人が証言しているのです。戦争ってのも、そんなに悪いものではないのでしょう。
そして結構な年を召した人の口から「天皇の政治利用なんて大げさ」云々と躊躇いもなく出てくるわけです。民主主義としての手続きをスルーして天皇を政治上の権威として担ぎ出すことの危険性に、もう少し敏感な人がいても良さそうに思ったものですけれど、そうでもないようです。かつての日本が引き起こした戦争行為への反省や、そこに至るまでに行われたことへの戒めの意識が完全に抜け落ちている脱原発系の人や新聞記者もまた少なくないのでしょう。過去を歪曲したがる歴史修正主義者ばかりではなく、そう呼ばれない人々もまた過去を忘却し、自分の都合の良いように塗り替えていると言えます。戦争中の方がマシ、天皇の政治利用なんて大げさと、そう公言されてしまう時代にはハト派の立つ瀬はありません。
ところで読んでいて気になったのですが、文中の「戦争中よりも今の方がマシであるとはとうてい考えられないのですが・・・」という部分、これはうっかりの書き間違いではないでしょうか。
後に続く文脈の整合性からいうと「戦争中のほうが今よりもマシであるとはとうてい考えられない・・・」という内容に自然となる気がいたします。
結局、右も左も自分たちの意見にお墨付きが欲しくて「聖断」を欲してるようにしか思えません。右は靖国、左は脱原発でしょうか。
朝日論説は擁護にもなっていないですね。「政府が前にやったから山本は問題ない」ではこれから類似する事例には全く対処できないでしょう。もし維新の平沼あたりが同じことした場合にこんな論調だと批判できなくなると思うんですがね。
ご指摘ありがとうございます。仰る通り書き間違いで文意が逆になっておりましたので、訂正させていただきます。
>唐揚げさん
結局、戦前の天皇制の残滓を克服できていないどころか、同じことを繰り返そうとしているんですよね。今や朝日新聞のロジックは歴史修正主義者や極右層のそれと同じで、「他国も(似たようなことを)やったのだ」という正当化論を否定できない域にまで落ちてしまいましたし。
そんなわけで朝日新聞の論理で山本太郎をかばい立てしている人は、朝日新聞ロジックで旧日本軍の蛮行を正当化する人の主張に反論する資格はないと思いますが、まぁダブスタが当たり前の人たちなんでしょう。