若者を中心に“オンラインゲーム依存症”が深刻化している。
「どうしてもゲームをやめられない」「高額の金を使ってしまう」などと病院に相談する件数は急増。ネット依存の専門外来を設ける病院も現れた。
(中略)
ゲームは原則無料だが、100~1000円の有料アイテムを使えば、キャラクターの体力や攻撃力を高めることができる。ゲームで知り合った「仲間」から、「強いね」とほめられると心地よかった。
高校に入ると、アルバイト代など毎月8万円前後をつぎ込み始めた。お年玉の10万円は10日間で消えた。5万円の督促状が自宅に郵送され、親に発覚した時には、既に100万円以上を投じていた。寝不足で遅刻を繰り返すようになり、体重も数キロ減っていた。
家族に連れられて民間団体のカウンセリングを受けたのは高校2年の冬。一時的にゲームから離れたが、今春、専門学校に入学すると再び別のゲームにはまってしまった。「もう限界。このまま死んじゃうんじゃないか」と不安を口にする専門学校生だが、やめられない。「将来に希望がもてない。でも、ゲームの中では着実にキャラクターが成長していき、現実社会にはない達成感がある」と話す。
似たような話を目にする機会も決して珍しくはありませんけれど、深刻さの度合いとしてはどれほどのものなのでしょうね。一般的なケースではなく選りすぐりの事例として出てきたのが「100万円以上」というのなら、まぁ大人しい方ではないかとも思います。車やオーディオなど、もっとお金のかかる趣味も多いですから。ましてや接客業のおネエさんやおニイちゃんにはまりこむとなるや、時には数千万円単位の横領事件に繋がったりするなど規模は飛躍的に拡大しますし、これが投資やギャンブルともなれば経理上の誤魔化しを駆使して会社の金を秘密裏に注ぎ込み、挙げ句の果てには無辜の従業員をも危機的状況に追い込む場合だって出てきます。その辺を鑑みれば、ゲーム依存は可愛い方だな、と。
まぁ、伝統というか普及度合いというのは大事だな、といつもながらに痛感させられます。モチよりも蒟蒻ゼリーが規制されるのと同じで、より新しいもの、馴染みのないものにこそ我々の社会は警戒感を持つわけです。食中毒は甘く見られる一方で放射性物質に関しては、およそ日常生活を困難にさせるレベルで気にする人もいる、アルコールやニコチンより毒性や依存性は弱くともドラッグに分類される限りは大騒ぎされる、そういうものなのでしょう。そしてゲームはまさに典型と言えます。例えば囲碁や将棋、あるいは野球にサッカーなど一定の社会的ステータスのある趣味であれば、それこそ学校生活に支障が出るレベルではまり込むことがあろうと世間は理解があるかも知れませんけれど、「ゲーム」は別なのです。
「ゲームの中では着実にキャラクターが成長していき、現実社会にはない達成感がある」と取材を受けた人は語っています。この辺は、過去の記事で私も触れてきたところで繰り返しになってしまいますが、ともあれ現実社会よりもゲーム内の方が努力が報われる世界になっていて、それがモチベーションを高めることにもなっているわけです。ゲームの世界の中に入って、ずっとそこから出て行きたくないって思う人は割といるんじゃないでしょうかね。まぁ、私の場合は「他のゲームもやりたいから」という理由から、一つのゲームにはまり込むことは割と少なかったりしますが。
ニンジンの質が悪くなっている、と言えるでしょうか。現実の日本社会における「ニンジン」がゲームなどの仮想世界のニンジンに劣るからこそ、現実社会でのやる気を失い、ゲームの方により強い魅力を感じる人も増えるわけです。これはゲーム以外でも同じ、例えば大学生が勉強しない云々と言われて久しいですけれど、では大学生にとって勉強する動機となるニンジンは存在するのでしょうか? 日本の大学は「入るのが難しい」と言われます。そして昨今こそ沈静化傾向にあるものの、一昔前は過酷な受験戦争云々と盛んに言われたもの、概ね日本の受験生はしっかり勉強しているように思います。それは何故でしょうか?
名の知れた大学への入学というニンジンがあればこそ、受験生は勉学にも励むわけです。ところが大学に入ってから先はと言えば、大学の成績なんてそれこそケツを拭く紙にすらならないのが近年の日本です。大学の成績を問われるよりも、むしろ血液型を問われる機会の方が多いくらいでしょう。大学で勉強することで知的好奇心は満たされるかも知れませんが、それだけの話です。昨今の就活生が就職にかける並々ならぬ熱意には驚嘆させられるところも少なくありませんけれど、この情熱を誘導するニンジンはどこにあるのか。大学で優秀な成績を収めれば就職で有利になるような社会であれば、就活生は必死で勉強します。でも、勉強しても就職できない社会であれば、学生はより就職に当たって求められる別の何かのために力を注ぐのです。
あるいは、過去には就職活動を有利にしてくれるものであったとしても、それが競争の中で陳腐化してしまう場合も少なくありません。資格の類は特にそうで、頑張って資格を取得しても、周りの人間も続々と資格を取得することで「持っているのが当たり前」レベルにまで資格の価値が暴落してしまうことは珍しくないわけです。こうなると資格取得へのニンジンも失われてしまう、そのために努力することに希望が持てない人も増えるばかりです。そして念願叶って就職しても、やはりニンジンの質の悪さは変わりません。必死で働けば将来が保証されるかと言えばさにあらず、いずれは無能な中高年だのノンワーキングリッチだの既得権益だのとそしられ、若者の雇用機会のためと称して会社から追い出される日が待っています。このような状況下でモチベーションを失った人をカウンセリングにかけたりするのが我々の社会なのですが、もうちょっと他に直すべき点はあることでしょう。
ゲームの方がまだしも、整合性を取ろうとする姿勢が見えますからね。現実の方は単に出来が悪いという以前に、その出来の悪さを改めようとする気運に乏しいところがありますし。
人生には電源ボタンしかないですからね。