非国民通信

ノーモア・コイズミ

やる気に満ちた職員

2010-01-04 22:50:08 | 編集雑記・小ネタ

 さて皆様は役所の仕事ぶりにはどんなイメージをお持ちでしょうか。世間的には怠けていることになっているわけですが、実体験としてはどんなものでしょう? あなたがどれだけ一所懸命に働いていたところで、あなたの上司は「たるんでいる」と査定を下すように、役所を訪れる住民の大半はこうした「上司の目」で職員の働きぶりをチェックするものなのかも知れません。本人がいくら頑張ったところで、それが認められるとは限らないものです。ところが私の場合は「やる気に満ちた」職員に当たることが多いです。特に雇用保険がらみの窓口で。

 長大な待機期間があるだけに実際に失業給付を受け取るところまで進んだことはないのですが、取り敢えず離職票が出た段階で手続きは始めておくわけです。しかるに、ハローワークの受付の職員がいつも「やる気」に満ちています。言うなれば「仕分け人」のごとき態度で「絶対に支出を削減してみせるぞ」とばかりの決意を前身から漲らせていたりします。社会保障費の削減こそ自分の使命、その使命のためにはいかなる犠牲をも厭わない、そんな覚悟を感じさせる仕事ぶりの職員が実に多いように感じるのですが、偶々でしょうか?

 ことによると生活保護関係の窓口を担当する職員も同様に、「やる気に溢れた」職員が多いのではないかという気がします。「水際作戦」などは(例えば私のような)仕事に不真面目な人間では務まらないでしょうから。そこはもう(想像上の)大日本帝国軍人のごとき態度で任務を全うしようとする、それぐらいのやる気に満ちた職員が目を光らせているのではないかと。いい加減な職員だったら法で定められたとおりに漫然と書類を渡し、正当な権利として保証された額を支給すべく黙々と処理を進めてしまうものでしょうけれど、そうならないように事前にストップを掛けるべく「頑張っている」職員はたくさんいると思います。

 頑張っている方向が違うと言うのは簡単ですが、それも結局のところ国民(市民)が望んだ結果ではないでしょうか。「赤字八百兆円、子供のツケで酒を飲んでいる親みたいじゃないか」とは昨年末の朝日新聞の広告ポスターの記載ですが、これは決して朝日新聞独自の見解ではなく、国民の大多数の感覚でもあるはずです。赤字国債に関しては「貸し手」を無視して語られているところも大いに問題なのですが(参考)、それ以上に重要なのは発行した国債の使い道の喩えとして「酒を飲んでいる」と出てくる辺りで、これはすなわち公的支出とは浪費であり、削減すべきムダであるとする発想が根底にあることを示しています。世論の大勢が「大きな政府」には否定的であり、議員定数の削減や公務員の削減など「小さな政府」路線を歓迎しがちなのは、結局のところ行政の使う金はムダであると、そう思っているからに他ならないでしょう。

 ましてや社会保障受給者を不正な受益者と見なしたがる風潮は衰えるところを知りません(参考)。そこで行政の支出はムダであり、社会保障の受給は不正であるとするような、世論の大勢によって共有されているであろう世界観に照らしてみるなら、上述の「やる気のある」職員はどう評価されるのでしょうか。社会保障の給付を阻み、行政の支出を減らせば減らすだけ、「血税」を節約したと褒められてもおかしくないくらいです。国民(住民)が公的支出の削減を望み、社会保障を不正に結びつけてしか考えられないのなら、行政サービスの利用を「阻止」すべく頑張っている職員こそ市民の期待に応えていると言わざるを得ません。

 生活保護にせよ失業保険にせよ給付を抑制すべく頑張っている職員には、もっと「いい加減」になって欲しいです。申請されるままに処理してくれれば良いんです。どうせおまえのカネじゃないだろ?と言ってやりたいくらい。国民(市民)の血税だのなんだのと騒いで、行政のカネを使うことにやたらとプレッシャーを掛けたがるのが近年の流行であり、それはエスカレートするばかりではありますが、カネは使わないことこそ最大のムダなんですから(参考)。支出を減らすことばっかりが称賛されがちな時代ですけれど、それではデフレと景気悪化が進むばかり、電子申請なんかの行政サービスの「利用率」などに敏感になれるのなら、眠っている「カネ」の利用率の向上を目指したって良いのではないでしょうか。

 

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コメント (12)
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