世界で最も豊かな国ってどこなんでしょう? それはもちろん豊かさの指標は人それぞれですが、一般的な目安としてはGDPが使われます。ではGDPが世界最大の国はどこでしょう? これは割と簡単で、1位がアメリカで2位が日本、不動の2トップです。ところが購買力平価で見てみると、今度も1位はアメリカですが2位は中国、日本は3位で、4位にはインドが入ります。モノの値段が安い国の順位が上がってくるわけですね。
とはいえ、いかにモノの値段が違うからと言っても人口10億人の国と3億人の国、1億人の国ではそれぞれ事情が異なります。国全体のGDPや購買力平価ではなく、人口一人あたりのGDPや購買力平価の方が豊かさの指標としては適切かも知れません。では、人口一人あたりで考えた場合に、世界で最も豊かな国はどこになるのでしょうか?
答、ルクセンブルク
ルクセンブルク? まぁ、知らないと言うことはないでしょうし、どの辺にあるかぐらいはご存知かと思います。とは言え、ルクセンブルクがどういう国か具体的なイメージの浮かぶ人は余りいないのではないかとも思います。どのみち、あまり話題に上ることのない国、日本でニュースになるようなことも滅多にない国です。
ルクセンブルクの一人あたりのGDPはなんと$80,080、日本が$35,672ですから、驚愕のダブルスコアです。購買力平価を見ても$75,863とこれも世界一で、$30,889の日本の約2.5倍です。何とも圧倒的な大差ですね。貯蓄額を見ると日本の方が多いようなのですが、実際に使える額となると雲泥の差が出るようです。
ちなみにルクセンブルクの面積は2,586k㎡と、日本のおよそ150分の一、人口は僅かに465万人と日本の約280分の一です。日本と比較すれば本当に小さな小さな国なのですが、それがどうして国民一人あたりのGDPは世界一、このことが示すのは、すなわち国民が豊かになるには大国である必要はないと言うことでしょうか。
さて、日本は大国なのでしょうか、それとも小国なのでしょうか? 思うに、右寄りの考え方を持つ人ほど小国意識が強いようです。右寄りの人ほど、日本を小国として位置づけたがる、日本の国土を小さい、狭いと考えたがる、資源がないと強調したがる、自国の経済的影響力を無視したがる、周辺諸国の軍事力を過大視したがる、そんな傾向があります。
それはもしかしたら、「生存圏」の概念を正当化するのには自らを小国と位置づけた方が好都合だからかも知れません。国土が狭いから、生き延びるために領土を獲得する必要がある、資源がないから、生き延びるために外から獲得する必要がある、周辺諸国から脅かされているから、「防衛」のために備えを固める必要がある、そう主張するためには日本を小さく見積もった方が好都合なのでしょう。
ただヨーロッパ諸国と比べると日本の人口は抜きんでて多いですし、国土面積も広い部類に入ります。地下資源に乏しい国など珍しくもありませんし、費やされた軍事予算の額も他を圧倒します。そして経済的な規模は言うまでもないことで、むしろ大国としての自覚を持つことの方が国際社会での齟齬をなくすためには重要かも知れません。
そしてもし仮に日本が小国であるとしても、ルクセンブルクや北欧諸国の例からも明らかなように「生存圏」など考える必要はなく、別に大国にならなくとも国民が豊かになることは可能である訳です。広大な国土や無尽蔵の地下資源、他国を脅かす軍隊など無くとも国民が豊かになることは別に難しいことではない、その可能性を考えてみるべきでしょう。
さてルクセンブルクの一人あたりのGDPが極めて高いわけですが、その理由は何でしょうか? 別にルクセンブルクの企業が際だって国際競争率が高いとか、あるいはルクセンブルク人の労働生産性が際だって高いとか、そういう理由ではありません。理由はもしかしたら単純なことかも知れませんが、要するに儲かる職に就いている人の割合が高いからなのです。
それが良いことか悪いことなのか、ここでは考えを留保しますが、現代では実際の商品の取引で動くお金の量よりも、数値上の争いである金融取引で動かされるお金の量の方が遙かに多いわけです。実際にモノを作って売るビジネスよりもマネーゲームの方が遙かに大きな投資対象となっており、製造業の勝ち負けではなく金融市場の勝ち負けがその国の経済の浮沈を左右する、そんな時代なのです。
そういう中では必然的に最もお金が動く金融業界はGDPへの影響も強く、逆に農業や製造業などは金融に比べると小さな額しか動かない、GDPへの影響も小さくなります。そしてルクセンブルクの場合ですが、農業従事者、製造業従事者の割合が極端に小さく(どちらもOECD諸国で最下位)、金融業従事者の割合が抜きんでて高いわけです(世界一!)。GDPを押し上げる金融業に従事している人の割合が突出していることで、国全体のGDPも跳ね上がるわけですね。
日本でも金融業中心にすればいい、というものでもありませんが、製造業や建設業を軸とした「ものづくり」型の国家がいつまでも通用するとは限らないわけです。人口規模が大きいだけに製造業中心でも国全体の経済規模は大きいものになっていますが、しかし人口一人あたりで見てみると金融業中心のルクセンブルクの半分以下です。そして農業もそう、日本の農業従事者の割合はOECD参加国中では真ん中くらいですが、基本的に収益の上がらない職種を助成金で無理矢理維持している側面も強いわけで、GDPのことを考えるならば、農業は足かせになってしまいます。
そうでなくとも日本は大企業に比して中小企業が非常に多く、産業の集約化が進んでいない、農業も個人農家が大半であり、農業大国の大規模農場にはとても太刀打ちできない、旧態依然とした構造が色濃く残っています。生き方としてそれは悪いものではないかも知れないのですが、日本一国で経済が完結するならいざ知らず、諸外国との関係の中で生きている現代には色々と問題も出てくるわけです。
例えば資源がないなどと言いながら、資源を必要とするビジネスモデルを続ける、人件費が高いと言いながら、低賃金の労働者に依存するビジネスモデルを続ける、そのためにはどこかしら歪みも出てくるもので、安価な労働力を求めて雇用が海外に流出したり、あるいは国内に貧困層が作られたりと、あまり良いことがありません。資源がないから資源の争奪戦に力を入れる、ではなく、もっと日本の国勢に適したビジネスモデルを模索していくことが必要でしょう。
一国で完結する経済を良しとするのではなく、強みを生かす経済を考えないと今後の見通しは立ちません。ただルクセンブルクのような小さすぎる国は日本にとって参考にはならないかも知れませんし、産業構造に偏りのあるビジネスモデルへの転換は色々と痛みも伴うでしょう。しかしルクセンブルクに匹敵する圧倒的なGDPと購買力を手にできたならば、経済的な理由による行動の制約も減りそうです。それこそ収入が倍増するならば、その収入によるゆとりが自由を生むこともありそうですが、どうしたものでしょうか。