今年もぼくの属する研究科で購読雑誌が削減される。各教員の希望が聴取されるものの,結局,その分野を研究する教員が少ない分野ほど雑誌が削られるだろう。教員は自分で何とか入手するとしても,バックナンバーが図書館に残らなくなるから,現在または未来の学生たちが不利益を被ることになる。
その分野を専攻する教員が少ない大学院は,今後ますます魅力がないものになっていく。マーケティングのようなマイナーな分野でさえ,ある程度の幅の分野やアプローチをカバーするのに,ファカルティに5~10人くらいは必要ではないか。米国ではそれが普通だといっても,日本でその条件を満たす例はほとんどない。
今後こうした分野については,研究者養成を目指す大学院は地域ごとの拠点に集約し,そこに資源を集中していくしかないと思う。教員は,学部については様々な大学に分かれて教えつつ,博士課程についてはその拠点に集まって教える。図書のような研究資源もそこに集中させる。院生は様々な授業が取れるし,指導教員を幅広い範囲から選択できる。
教員にとってもそのほうがいいはずだ。博士課程の院生と研究することは非常にメリットがある。いま,MMRCのプロジェクトで,東大の博士課程の院生数人と共同研究しているが,まさにそうした例だ。こうしたことが,集約された研究大学院において頻繁に起きると期待される。
実際問題,多くの大学で博士課程の定員を充足できなくなっている。このままいくと,COEがそうであるように,多くの資源が特定大学だけに集中していくだろう。しかし,そうした大学にしたって,すべての分野で研究拠点になれるわけではない。一校では無理なことを,個々の大学の枠を超えてオープン化することで実現する(その意味じゃ,大学の枠にこだわるCOEには問題がある)。方向は間違っていない気がするんだが…。
その分野を専攻する教員が少ない大学院は,今後ますます魅力がないものになっていく。マーケティングのようなマイナーな分野でさえ,ある程度の幅の分野やアプローチをカバーするのに,ファカルティに5~10人くらいは必要ではないか。米国ではそれが普通だといっても,日本でその条件を満たす例はほとんどない。
今後こうした分野については,研究者養成を目指す大学院は地域ごとの拠点に集約し,そこに資源を集中していくしかないと思う。教員は,学部については様々な大学に分かれて教えつつ,博士課程についてはその拠点に集まって教える。図書のような研究資源もそこに集中させる。院生は様々な授業が取れるし,指導教員を幅広い範囲から選択できる。
教員にとってもそのほうがいいはずだ。博士課程の院生と研究することは非常にメリットがある。いま,MMRCのプロジェクトで,東大の博士課程の院生数人と共同研究しているが,まさにそうした例だ。こうしたことが,集約された研究大学院において頻繁に起きると期待される。
実際問題,多くの大学で博士課程の定員を充足できなくなっている。このままいくと,COEがそうであるように,多くの資源が特定大学だけに集中していくだろう。しかし,そうした大学にしたって,すべての分野で研究拠点になれるわけではない。一校では無理なことを,個々の大学の枠を超えてオープン化することで実現する(その意味じゃ,大学の枠にこだわるCOEには問題がある)。方向は間違っていない気がするんだが…。