Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

大学院の集中と開放

2006-07-15 23:51:44 | Weblog
今年もぼくの属する研究科で購読雑誌が削減される。各教員の希望が聴取されるものの,結局,その分野を研究する教員が少ない分野ほど雑誌が削られるだろう。教員は自分で何とか入手するとしても,バックナンバーが図書館に残らなくなるから,現在または未来の学生たちが不利益を被ることになる。

その分野を専攻する教員が少ない大学院は,今後ますます魅力がないものになっていく。マーケティングのようなマイナーな分野でさえ,ある程度の幅の分野やアプローチをカバーするのに,ファカルティに5~10人くらいは必要ではないか。米国ではそれが普通だといっても,日本でその条件を満たす例はほとんどない。

今後こうした分野については,研究者養成を目指す大学院は地域ごとの拠点に集約し,そこに資源を集中していくしかないと思う。教員は,学部については様々な大学に分かれて教えつつ,博士課程についてはその拠点に集まって教える。図書のような研究資源もそこに集中させる。院生は様々な授業が取れるし,指導教員を幅広い範囲から選択できる。

教員にとってもそのほうがいいはずだ。博士課程の院生と研究することは非常にメリットがある。いま,MMRCのプロジェクトで,東大の博士課程の院生数人と共同研究しているが,まさにそうした例だ。こうしたことが,集約された研究大学院において頻繁に起きると期待される。

実際問題,多くの大学で博士課程の定員を充足できなくなっている。このままいくと,COEがそうであるように,多くの資源が特定大学だけに集中していくだろう。しかし,そうした大学にしたって,すべての分野で研究拠点になれるわけではない。一校では無理なことを,個々の大学の枠を超えてオープン化することで実現する(その意味じゃ,大学の枠にこだわるCOEには問題がある)。方向は間違っていない気がするんだが…。

行動経済学とマーケティング・サイエンス

2006-07-12 19:36:30 | Weblog
Journal of Marketing Research の最新号は,行動経済学(behavioral economics)の特集だ。行動経済学とは,心理学・認知科学的アプローチを全面に取り入れた経済学の新領域である・・・といっても Herbert A. Simon 以来の歴史を持つ。最近,行動ファイナンスの興隆が契機となって,脚光を浴び始めた。

Tversky, Kahneman らの理論の導入という意味では,マーケティング・サイエンスは経済学よりはるかに先行していたはずだ。しかし,使えるものは何でも使うというアドホックな姿勢だったので,「体系化」という話になると経済学者に頭を下げざるを得ない・・・ということか。

・・・などと減らず口をたたいたが,冊子自体はまだ手元に届いておらず,RSSリーダを通じて知ったのである。American Marketing Association (AMA) 会員の特典としてオンラインでも閲覧できるようになったのはうれしいが(ただし2000年以降の号のみ),先日突然アクセスできなくなった。AMA の会費を振り込むのが遅れていたせいである。紙媒体だけの時代には,会費支払いが多少遅れてもどうってことはなかったが,いまや即座にサービスが停止される。

それにしても,初めて行動経済学に関心を持ってから,どれだけの月日が流れただろう。そして,自分の原点を振り返ってみると「選好の形成,変化,進化」という最も関心の深いテーマに沿った研究を,いま,どれだけ,しているのか,という問いに直面する。

コトラー,ブランドを語る

2006-07-12 09:58:45 | Weblog
コトラー教授が「ブランド構築」について講演する。といってもシカゴでの話。受講料はAMA会員割引で595ドル(正規で895ドル)。彼の米国での講演料は5万ドル(日本では10万ドル)と聞いたことがある。200人くらい集まれば十分元が取れる,という感じだろうか。

ウェブページに "Over 100 books have been written about branding. This course will present the main ideas and skills necessary to establish a successful branded offering." と書かれている。ブランド本を何十冊も読むよりも,マーケティングの世界的権威から直接話を聞いたほうが,はるかに効率的というわけだ。

確かにコトラーは「まとめ」の天才だ。9.11の直後,東京で彼の講演があって,聴きに行ったことがある。そこそこに新しい話題も聞け,並の学者より話が面白かった。受講料は10万ぐらいだったか(豪華ランチ付)・・・会社が出してくれたが,自腹でも行く価値があるかというと,ないだろうな・・・(ただ,独立したコンサルタントで参加している人はいた)。

講演料は話の面白さと順位相関すると思うが,金額そのものは面白さと非線形の関係にある(加速的に跳ね上がる)。プロ野球選手の給料と同じ。その理由が「ブランド」だとしたら,なぜ彼がそうなり得たかの自己分析を聴いてみたい気がする。

ちなみに,このページには
Success = Strong Brand Promise + Reliable Customer Delivery
という公式も書かれていた。

ジダンの頭突き

2006-07-12 02:57:43 | Weblog
W杯決勝でのジダンの頭突きの理由は何だったのか。多くの人が,何か人種差別的な発言があったのではないかと想像したはずだ。あのジダンがかっとするぐらいだから,マテラッツィはよほど酷いことをいったに違いない,と。報道もそれに近い情報を流している。

だが,別の可能性として,ジダンがほとんど勝手にキレてしまった,ということはないだろうか。サッカーはそもそもお行儀のいいスポーツではない。あのジーコの,ボール唾吐き事件だってあったじゃないか。勝負をめぐって極限状態にあるとき,何が起きても不思議ではない。

市場調査の公益性

2006-07-09 13:23:21 | Weblog
日経Rの鈴木さんが,同社のレポートで,市場調査のための住民基本台帳の閲覧ができなくなる問題について論じている。法案提出側の見解では,世論調査,学術調査ならいいが,市場調査,ダイレクトメールのための使用は「公益性」がないからだめだという。それに対して,市場調査は個人情報を保護しつつ,消費者のニーズにあった製品開発などに使われるのだから,公益性はあるというのが鈴木さん,あるいは調査業界の主張だ。全くそのとおりだと思う。

では,ダイレクトメールはどうなのか? DM業界からすれば,個々の消費者に必要とする情報を提供している限り,公益性はあるはずである。問題は,たとえば一人暮らしの老人を狙った悪質なセールスのような行為が紛れ込むおそれ。それは,調査を口実に起こる可能性もある。したがって「悪用」の可能性を考えると,閲覧禁止ということになる。

『デスノート』完結にあたり,こんなコメントもある(ちょっと関係なかったかな・・・)。悪の可能性の完全排除という発想がいいことなのかどうか。悪質な行為の可能性を最小化しつつ,営利目的の利用を可能にするという「大人の」解決方法があるはずだ。だが,マーケティング「業界」にそういうロビイングを行なうパワーがあるかどうか。

マスコミは,世論調査さえできればよいので静観するのか(日経Rさんは微妙?)。こういうときこそ電通さんにパワーを発揮してほしいし,調査のクライアントである財界,あるいはサポーターたるべき経産省はどうしているんだろう・・・。

それにしても,学術調査や世論調査だけは「公益性」があるという考え方も腑に落ちない。それだって「商品」なんだよ,実際は。

最強のカルビ

2006-07-09 02:00:02 | Weblog
dancyu8月号は焼肉特集。そこに懐かしきあの店が出ている。前の職場での「肉の会」でよく行った。Y隊員の結婚→立て続けの出産,M隊員の転職→東京滞在時間の激減等々により,いつの間にか解散状態。しかし,O隊長はその後も独自に探求を続けており,近々Mは,彼女のその後の研究成果の検証に乗り出す予定。

やはり焼肉はカルビだ。一度だけ行った鹿浜のスタミナ苑で「上カルビ」をパスしたのがいまだに心残りになっている。どこが最高のカルビを出すのか,この問題はまだ決着していない。

カレシの元カノの元カレ

2006-07-08 14:11:40 | Weblog
社会ネットワーク分析(SNA)の第一人者,安田雪さんをお招きしての研究会。いつもより参加者が多い。まずはウェブ上で収集された共起関係の分析例。これらは「関心の共通性」という社会的な側面があるものの,SNAが本来の対象領域を超えて,データ解析手法として一般化し,クラスタリングやMDSと同列になることを予感させる。

次いで紹介された Krackhardt の Structual Leverage Model は友人関係を利用したサンプリング(試供品配布)の効率性を扱っている。Networks in Marketing (1996) はざっと眺めたつもりだったが,こんな論文が出ていたとは…。ただ,単純な仮定に基づく数理モデルであり,すぐ意思決定に使えるというより,洞察を与えるタイプの研究だ。

最後に現在研究中の「カレシの元カノの元カレ」モデル。人間関係をたどっていって,何人目でHIV感染者に到達するかという問題。これが面白いのは,一般のSNAのように特定の関係を所与として分析するのでなく,ある(潜在的な)関係が成立し得る確率を扱っていることだ。マーケティングでは未知の関係を扱うことが重要になると思っていただけに,我が意を得た感じ。

ただ,数理的に解くためにかなり制約的な仮定が置かれており,ぼくならもう少し plausible な仮定を置いて,シミュレーションするほうを好む。まあこれは,好みの問題。数理モデルのほうが美しいのは確か。

蛇足だが,Q&Aで「構造」と「機能」,「関係」と「行為」に関する議論があった。社会学者にとってはうんざりするトピックだと思うが,ぼく自身,SNAに満足しきれない思いが,このあたりにあると感じた。ただ,安田さんの答えは,SNAですべて答えを出す必要はない,というもの。それはそうだ。ただ,一つのモデルで全部統合したいという,身の程知らずな欲望を持つのも事実。

ということで,お忙しいなか来ていただいた安田先生に感謝。残念ながら,こちらからお返しになるようなフィードバックができたとは思えない。もっと精進せねば…と思いつつネットにアクセスしたら,「広告の短期効果」校正原稿が届いている…


瀬戸際戦術―狂気の効用

2006-07-07 08:21:29 | Weblog
北朝鮮がミサイルを連発し,「瀬戸際」戦術の本領を発揮している。専門家の間には,北朝鮮にとって最大の目的は現体制の維持であり,生き残りであり,すべてはそのために合理的に計算されているという見方がある一方で,最近指導者の判断力が低下している,軍部が暴走している,などという見方もある。

ゲーム論的にいえば,北朝鮮が生き残りを最重視しているとわかった段階で,彼らの交渉力は低下してしまう。だから,彼らが「交渉」の場から完全に降りたとき,何をするかわからない,という狂気を示す必要がある。米国が強硬姿勢に出たとき,自動的に破滅的な報復に出るというコミットメントを信じさせる必要がある(退路を断つ)。

だが,狂気の度合いが増してくると,こうした「交渉」を続けること自体のリスクが高まり,ゲームの枠組みを変えようという選択を相手が選ぶ可能性もある。だから,おそらくこのゲームの「均衡」は安定していない,だから瀬戸際なのだ(…これ以上ゲーム理論もどきを続けると馬脚を顕すのでやめておこう)。

狂気は武器になる(ただ度を越すと自滅する)。研究(あるいはしばしば教育)において,狂気が必要だと思うことがある。その状況で最も合理的な意思決定をしているだけでは,よい研究は生まれてこない。マッド・サイエンティストになること…ただし,それには二種類ある…「狂っているがすごい人」と「ただおかしい人」。

採点という仕事

2006-07-07 07:21:16 | Weblog
アングラ向け「マーケティング」の最終試験を採点する。昼食をはさんで約10時間。評価に一貫性を持たせるには,なるべく一気にやるしかないが,それだけの間集中力を維持するのは難しい。Google desktop 上で常時更新されるニュースも気になる(テポドンその他…)。受講者が100近いかそれを超える場合には工夫と割り切りが必要だ。前からわかっているはずなのに…。

「階層帰属意識」改稿はこれで週末に延期…。

踏み車を踏み続ける

2006-07-05 23:39:55 | Weblog
ニューシ委員初仕事。できる限り優秀な学生に来てもらうことは,大学にとって非常に重要なことである。だから多くの教員が動員され,かなりの時間と労力が注ぎ込まれる。コストと成果のバランスがとれているのか,つい疑問に思ってしまうが,そうした議論が専門のはずの経済学の先生たちでさえ黙々と取り組んでいる。

それが一段落したので「階層帰属意識と消費」の改稿を進めるが,なかなか進まない。そのうち再計算もしなくてはならない。今週中に送るという約束を果たせるかどうか。そして,今学期の試験の採点も今週中に終える必要がある。いろいろな課題が徐々に予定より遅れ始めている。

理想は,学会発表したあと,半年以内に論文を仕上げて投稿するサイクルを作ることである。あるいは,工学系のように,学会発表の半年前にそれなりの予稿を用意するようにすること(でないと,工学系では学会発表できない)。

…などと思うものの,「階層帰属意識」は学会発表から1年半以上経っているし,昨年学会発表したもので,現在まで論文執筆が済んだのは「広告の短期効果」ぐらいだ。しいていうと,WCSS向けに予稿を書き上げたことはよかったといえる。工学系での発表を増やしていけば,論文にいたるサイクルは短縮され,生産性が上がるだろう。

ひたすら踏み車を踏み続けるような毎日。ただ,全く前進していないわけではない。そのうち,もっと加速がついてくる日を夢見ているのだが…。

アマゾンからの電話?

2006-07-03 22:51:23 | Weblog
日経ビジネス6/26号に「アフターサービス調査」の結果が紹介されている。そのなかで注目されるのが,インターネット通販部門での,アマゾンの満足度ランクの低さである。たとえば,電話での問い合わせができない,といったことが顧客の不満になっているという。アマゾンでは新たな電話サービスの導入を検討しているが*,一方でそれはコスト要因となって,アマゾンの効率的なビジネスモデルを損ねることが懸念されると(…ではどーしろと?)。

*電話番号を入力すると,アマゾンから電話が来る。

すべての顧客の声に応えるべきではない,というのが一つの答え。しかし,割れ窓理論がいうように,小さな不満がいずれ大きな問題になるかもしれない。サービス…特に日本におけるそれは,一筋縄ではいかない(先日の講演会でも,グーグルの木を鼻でくくったようなメールへの対応に文句を言っている人がいた…何でも自分のサイトに無報酬の広告しか配信されなくなった…といった苦情であった)。

それにしても,この特集の次の見出しは笑える…「追随許さぬ低評価」…これはマンション業界のアフターサービスを扱った記事である。

ニューロ・ブランディング

2006-07-02 16:16:28 | Weblog
脳神経科学の経済学への応用が進んでいる。その延長線上に「ニューロ・マーケティング」ということばも生まれている。これについて,面白い実験の概要がスライドで紹介されている。それによると,コカコーラとペプシをブラインドで飲み比べさせると,大脳の辺縁系が活動する。ところが,コカコーラというブランドのラベルを見せると,被験者はコカコーラのほうを選好するが,そのとき前頭前野が活動するという(ただし,ペプシに対しては活動しない…)。

つまり,味覚と嗅覚だけで評価するときと,言語情報が与えられるときとで,使われる脳の部位がはっきりと違うということだ。感覚的・情動的な意思決定と,認知的な意思決定が違うメカニズムに従っている可能性が,大脳での活動部位の違いから示唆される。

ブランドのような「ことば」が絡むかどうかで意思決定のあり方が変わることは,すでに様々な実験で示されており,それ自体は驚きではない。ただ,脳神経科学的な基盤を与えられることで,より確実な知識になったということだろう。つまり,脳科学によって,いままで気づかなかった新しい発見が得られるというより,現象的にはわかっていたことに確証が与えられる,対立する仮説のどちらかに軍配を上げることができる,といったあたりが貢献ではないかと思う。

・・・味覚と言語なんて話になると,放置したままの「ワインのテイストテスト」のことを思い出す。昨年のいま頃も,何とかせねばと悶々としながら,過去の文献を読んだりしていた。それから1年間・・・何とかしないと・・・。

インタープレイと微笑み

2006-07-01 23:44:24 | Weblog
練馬春日町にあるLadyDayに昨夜「地元の友達」と行った。中山英二(b),硲美穂子(vio),森丘裕希(p)のライブ。遅れて入ったのに,一番前の特等席だけが空いていた。目の前1mの範囲内で繰り広げられるインタープレイ。生の音がびんびん身体に入ってくる。ミュージシャンたちは,たまにお互いに目を合わせてニコッと微笑む。あれってどういう感覚なんだろう…。

学会発表で,共同研究者どうしがお互いに目を合わせて微笑むなんて光景は,ほとんど見かけない。ただ,見事な掛け合いという意味では,Allenby と Lenk による階層ベイズのチュートリアルを思い出す。それぞれが属する Ohio State と Michigan がアメフトにおけるライバル校であることをうまくネタにしていた(実際,Ohio State の生協では,Michigan と書かれたトイレットペーパーが売られていた…)。

研究者どうしが,お互いに対話して学び合うというレベル(それ自体難しい)を超えて,それを第三者に開示して,エンタテイメント(あるいはエデュテイメント)にできるのはすごいと思う。そういうインタープレイができるためには,何が必要か?