
我が山城は南に奈良市内、北には京都市内、西には大阪河内地域、滋賀県甲賀,近江、さらには三重県伊賀地域と境を接する古い歴史を秘めたいわば隠れた縁の下の力持ちと言われて居る地域です。
京田辺市三山木から奈良県生駒市に抜ける府道65号線は右手の小高い丘に同志社大学の田辺キャンパスを過ぎた辺りから長閑な田園地帯と成って生駒山系北端の山裾へと入って行く。
ちょうど山裾辺りの登りを道路がカーブを繰り返し高度を上げる事になるがその左側の斜面一面に広がる棚田を見渡すことが出来る。
この辺りが僕が勝手に名付けた打田の棚田、集落は坂を登り切って奈良県との県境付近の道沿いに軒を連ねて居る。
この道路はダンプカーや自家用車が生駒、河内方面から山城方面への抜け道として利用するため周りの景観の割には交通量は意外と多い。
登り始める第一のヘアピンカーブから南方を望む
五月の下旬棚田に水が引き込まれ田植えが始まろうとしている
何度かのヘアピンカーブを曲がった一番上段からの棚田。
下方の農道に侵入すると棚田は田植えの時期と有って人出も多く賑やか
真夏の午後は全く人っ子ひとり見かけなく、青田を渡る風だけが話しかける
八月下旬厳しい残暑の中でも棚田の稲穂は黄金色に色づいて居る。
撮影2010.5.22~7.10~7.17~8.28