先だって紹介した般若寺十三重石塔の作者で、日本の石造文化の発展に甚大な力を尽くした名石工「伊行末(いのすえゆき)」の作になる石塔が、此処大宇陀山中の大蔵寺境内にも残されている。
大蔵寺は国の重要伝統的建造物群保存地区として知られた、大宇陀松山地区と吉野宮滝方面を結ぶ国道370号線より約1km、右手西方山中に在る古刹です。
用明天皇の勅願により聖徳太子が創建、後、空海(弘法大師)が入山し、高野山を開く前に道場としたと事から「元高野」とも呼ばれている。
しかし現在、下記の如く一般参拝者の入山を禁止しているので事前の予約が必要です。
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今まで大蔵寺は境内を解放し、誰でも自由に出入りが出来ましたが、平成23年12月31日をもって一般参拝、観光、行楽の受け入れを終了しました。
今後、大藏寺敷地に許可無く立ち入る事を禁止致します。
敷地に許可無く立ち入った場合は防犯上、不審者として対応致します。
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参道を歩く事約20分ばかり、鬱蒼とした山中にひっそりと庫裏等が建ち、対面する石段を登った斜面上に、鐘楼、本堂(薬師堂)、大師堂が建つ。
本堂後方に建つ十三重石塔・・・・・、しかし経済的理由からか境内は整備管理等が行き届かず荒寂感は否めず、屋根の檜皮などは早急に改修が必要な状態になっている。
十三重石塔は、あの般若寺の大石塔の建立より遡ること約10年ばかし、当時宋より来朝の名石工を招致し石塔を建立させる程の権勢を誇っていたのだろう・・・・。
現高約4.2m、鎌倉時代中期 延応二年(1240)造立、地震などにより崩落、現在は屋根の傷みが激しい十重と、頂部を欠損した相輪を載せて建つ。
切石基壇の上に基礎を置き、塔身初軸部には月輪内の蓮華座上に金剛界四仏の種子を闊達な薬研彫りで刻み込む。
正面、東面には阿シュク如来のウーン・・・上部の屋根石は度々倒壊したのだろう?・欠損部が目立つ。
南東方向から・・・蔦が絡みつく宝生如来のタラーク。
北東側から・・・北面は不空成就如来のアクを刻む・・・・西面の阿弥陀は裏に周り込むのが無理でした。
正面基礎部には「道俗三千余人」「延応弐年(1240)庚子二」「月四日造口了」「大工」「大唐口州伊行末」などの刻銘が有る。
この寺は、かの白州正子も「隠れ里」シリーズで「宇陀の大蔵寺」として紹介している。
撮影2011.7.16