滋賀県湖東南部 南部域の竜王町に位置する鏡山は古来、新羅からの渡来人「天日槍(あめのひぼこ)」の持ってきた八宝のうち、鏡をこの山中に埋めたされる山で、古くから信仰の山としてあがめられている。
そんな山頂近くには推古天皇の勅願所として聖徳太子が創建したといわれ、後「信長の焼き討ち」に遭い再建される事無く廃寺に成ってしまった「雲冠寺(うんかんじ)」跡が今も山中にあり、2~3小さな磨崖石仏も有ると言うので訪ねてみました。
薬師地区の住宅地奥にある薬師登山口から登山同に入り歩くこと約30分で鳴谷池という一休みするにはもって来いの場所に出ます。
この先迷うことの無い整備された遊歩道を約30~40分登ると雲冠寺跡の標識がありその指示通りに登っていくとこの石仏さんがお出迎え。
高さ70~80cmの自然石に特徴の有る五角形光背彫り沈め連弁に立つ形式化の進んだ地蔵立像を薄肉彫りで刻み出している。
顔容にもこれと云った特徴はないが何処と無く素人ぽさの有る石仏です。
此処から一段登った台地にはこの磨崖の阿弥陀三尊石仏。
緩斜面に立つ大石の正面にやっぱり将棋の駒のような五角形の浅い彫り窪み。
彫りくぼめの高さは1m足らず、中央上部には小さな二重蓮弁の上に立つ阿弥陀如来立像??
総高50cm足らずの大きさゆえ手印など詳細までは不明です、脇侍の観音、勢至菩薩は中尊両脇下方にそれぞれ立っている。
いずれも形式化の進んだ像容・・・・、両石仏共に同じような五角形の彫りこみの中に刻まれていて多分同じ頃の像立ではないだろうか??
信長の焼き討ちが元亀二年(1571)、それに相前後した頃の像立では無いだろうか??石仏に火災に拠る影響は認められない。
雲冠寺跡の石組みは山肌にへばりつくようにあちこちの斜面に残っていて、確かに此処に寺があったことを物語っています。
撮影2011.10.26
僕は韓国の後のんびりゆっくり・・・・近場ばかりをうろうろと・・・・。
このあたりから湖南に掛けてこんな五角形石仏が見れます。
他では見かけないんですが、これは舟形光背を略式化したもでしょうがね。
おもしろい磨崖仏ですね~
まあ現役離脱で余り時間を気にしなくても良い様になったし、体力持続のためにも・・。
でも山登り年々きつくなってきました。
韓国も含めて最近上りのキツイ石仏さんが続きますね。
ここも近い内に行ってみようと思っています。
霊山にも上らないと・・・
行きたい所がいっぱいですわ(笑)