一針薬師の左側の脇侍が瘡神社の弥勒だとすると、もう一体の脇侍がこの西勢野墓地の阿弥陀石仏だと言われています。
なんの因果か細かい目の金網でぐるぐる巻きされて囚われの身になって居ます。
場所はちょうど春日社裏山の麓、新興住宅団地県道194号線沿い、小さな丘が墓地そのものになって居る。
長らく付近の草叢に埋もれてらしいのですが・・・・・、瘡神社の石仏にウリ二つ、しかしこれではどう見ても二重光背のお化け、おかげでこんな金網越しの写真しか撮れず、肉眼でも全く像容すら見えません。
高さ130cmの花崗岩自然石表面に高さ約1m強の二重光背形を深く彫り沈め、蓮華座に立つ像高84cmの独特な印相を持つ阿弥陀立像を詳細に線彫りしている。
石の大きさ二重光背型の高さ像高までが瘡神社の弥勒石仏にピッタリ同じ。
往時、一針薬師を中尊にし、これらの石仏を脇侍にした三尊形式の石仏が「旧惣持寺」の本尊として崇められていたのかもしれない。
撮影2012.6.10:2006.6.18
何時頃、何処に建つんでしょうかね。
もう自然光の下では見られないのでしょうか・・・
まあ、文化庁がどう出るか次第やと思いますけどね。
三体並べる事になるんやろうかね。