木津川左岸、八幡市の南東端「岩田」地域の府道22号線と第2京阪道間に広がる田園地帯の鎮守杜に鎮座する。
延暦6年(787・奈良末期)山階(やましな)の石田神を久世郡石田荘に遷座するようにとの神託があり当地へ勧請したと式内石田神社明細帳にあるが詳細不明。
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江戸時代には「御霊社」と呼ばれていたが、明治6年(1873)に村社に列し、同22年(1889)に御霊社から石田神社へ改称、久世郡の式内社である石田神社(イワタ)に比定されている。
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祭神は五十日足彦命(イカタラシヒコ)で、垂仁天皇の第五皇子・・・命の後裔氏族・石田君がその祖神を祀ったのが始まりとも推測される。
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当社は江戸時代には御霊神社と呼ばれ、平安時代の朝野で畏れられた御霊神八座の一「宮田麻呂」祭祀していたらしいが現在では不詳。
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末社として水神社を祀ります
撮影2015.8.15