豊能町、高代寺への旧参道脇、野の仏としては申し分のない景観の中、地蔵石仏と一石六地蔵石仏が在る。
北摂山間部の谷間に拓けた豊能郡、能勢町と豊能町は鄙びた景観を今に残す大阪の奥座敷。
そんな豊能町能勢電鉄終着駅の妙見口は、吉川集落への入口でも有り、妙見山への登山口であると共に、高代寺への旧参道への集落。
集落の中程、西側山手に登る高代寺への参道は棚田の脇を抜け、ハイキングや写生に訪れる人も居るほどの景観。
野道山道を辿ること20分ばかり・・・、程よい登りだと思いかけた頃、右手斜面に石積み基壇の上、地蔵石仏が立っている。
高さ1mばかりの花崗岩自然石に深く舟形を彫り沈め、
中に中肉の定形地蔵立像を刻み出している。
単純素朴な像容・・・・石仏としての価値は薄いだろうが?石仏好きにはたまらない風情の中にある。
地蔵の先、少し進むと六体地蔵。
高代寺大墓への入口を示す六体地蔵だと言われている。
高代寺は弘法大師が開闢、霊域が紀州「高野山」に似ており、高野山に代わる寺として名付けられたという由緒正しき古刹。
往時、「源満仲公」の信仰により隆盛を見たようだが・・・、今では鄙びた山寺に成っている。
台形自然石の上部に横長枠を残して彫り沈め、六体地蔵を薄肉で刻み出す。
所謂一石六体地蔵・・・・、しかし風化激しく像容も覚束無い。
右端に銘が在り、江戸前期の慶安二年(1649)「玉手喜兵衛」を願主として吉川村の衆生が造立したと有る。
それにしてもこの参道風情にこの六体地蔵はよく似合います。
撮影2011.11.3