昨日紹介した京田辺市東、同集落内にある真言宗大徳寺の茅葺き屋根本堂。
列島改造以後急速に都市化が進み、僕の子供の頃には集落内横断する幹線道路が一本有るだけの小さな集落、都市化が進んでやがてバイパスが集落の西端を横切るように新設され、それでも交通量の増大のため、更に集落の東端をかすめる様に新しい国道が増設された。
現在旧集落は新興住宅や都市化した建物に飲み込まれてしまったように息を潜めている。
集落の西端バイパス沿いに、唯一、竹藪雑木林に囲まれた「真言宗智山派」東福山大徳寺の風情豊かな茅葺き屋根の本堂が建っている。
大徳寺は元、此処よりもっと木津川に近い地に村の大日堂として存在してたようですが・・・・木津川の氾濫により流失、その後時を置き、安政三年(1856)現在の本堂に再建された。
寺の本堂としては珍しい民家風大和棟茅葺き屋根を持ち、間口正面庇を「廻り庇」より一段高く上げ、それらしく突き出し幅も多くしていて、その分、茅屋根母屋部に独特な切り込み部を見せている。
この建物は再築の折り新築されたものではなく、そう遠くない現在の八幡市辺りに在った建物を移築したものだそうです。
落ち棟袖部はかなり大きく突き出し庫裡として利用されて居たのだろう。
南面して建つ本堂を東側より見る。
破風板には切り抜きの「丸に橘」紋・・・・、この寺は橘氏とゆかりの有る寺なのだろうか??
こちら側妻部は入母屋造りになっている。
西側から見ると間違いなしの大和棟、下り瓦棟には鳩瓦が載せられていた。
こうして見ると・・・・、寺院というよりは民家そのもの様です。
撮影2013.2.16