名阪国道の山添インター辺りが山添村の中心地の大西、そこから布目湖に至る県道を奈良方面へ走るとすぐに遅瀬川の小さな橋を渡る。
橋を過ぎてすぐの四差路を左手にとると遅瀬川に沿って道路がのびている。
花田の石仏は道路右手側、道路が遅瀬川を再度渡る橋の手前の大きな岩塊に二つに分かれて彫られている。
僕が確認できたのは全体で九体???約30cmぐらいの地蔵が多い。
傍に立っていた掲示板によると「大阪城築城のおり日本各地に大石の献上を強制された、この難を逃れるために彫られたと言う秘話とと共に現存する石仏」とある。
はたして、石仏を彫ったために大阪城の石垣になることから逃れたのか、単に石奉行のおめがねに適わなかっただけなのか???
こういう話の伝わる石仏は確かにあちこちで聞く話である。
橋を過ぎてすぐの四差路を左手にとると遅瀬川に沿って道路がのびている。
花田の石仏は道路右手側、道路が遅瀬川を再度渡る橋の手前の大きな岩塊に二つに分かれて彫られている。
僕が確認できたのは全体で九体???約30cmぐらいの地蔵が多い。
傍に立っていた掲示板によると「大阪城築城のおり日本各地に大石の献上を強制された、この難を逃れるために彫られたと言う秘話とと共に現存する石仏」とある。
はたして、石仏を彫ったために大阪城の石垣になることから逃れたのか、単に石奉行のおめがねに適わなかっただけなのか???
こういう話の伝わる石仏は確かにあちこちで聞く話である。