布目大橋をわたってすぐの信号を直進すると右手にさほど大きくない岩の塊が道路わきにぽつんと置かれている様にあって、阿弥陀仏が刻まれています。
桐山阿弥陀磨崖石仏で、像高70 Cm、文和四年(1355)南北朝期の作、街道の通行安全を祈った物だといれています。
しかし像容は良く判らないほど風化がが進んでおり痛々しい。
ここから、元の信号まで戻ってダム湖の西岸沿いの道路を北進するとす右手、ダム湖岸に小さな広場があって、そこにダム建設で移住を余儀なくされた烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏が、小さな池の中にたたずんでいる。(もちろん小さな人口池)
布目ダムの建設による水没から逃れるため巨岩を切断、移築してこの場所に安置したものだと言う。
像高約90cm、寛政の年号が入っています。
この先をそのまま直進するとトンネルを抜けダム湖にかかる橋を渡り塚腰から、牛ヶ峰へと向かう。
牛ヶ峰の墓地もダム湖の水没から逃れてここに丸ごと引っ越してきたとか??
墓地の石垣に埋め込まれている六体地蔵磨崖石仏はこの地域でよく見かける姿です。
墓地内の傍らにも小さな地蔵磨崖石仏、その隣にあまり見かけたことのない姿の石仏を刻んだ板碑?があった。
いよいよ、ここから牛ヶ峯岩屋桝型岩へと登る。
桐山阿弥陀磨崖石仏で、像高70 Cm、文和四年(1355)南北朝期の作、街道の通行安全を祈った物だといれています。
しかし像容は良く判らないほど風化がが進んでおり痛々しい。
ここから、元の信号まで戻ってダム湖の西岸沿いの道路を北進するとす右手、ダム湖岸に小さな広場があって、そこにダム建設で移住を余儀なくされた烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏が、小さな池の中にたたずんでいる。(もちろん小さな人口池)
布目ダムの建設による水没から逃れるため巨岩を切断、移築してこの場所に安置したものだと言う。
像高約90cm、寛政の年号が入っています。
この先をそのまま直進するとトンネルを抜けダム湖にかかる橋を渡り塚腰から、牛ヶ峰へと向かう。
牛ヶ峰の墓地もダム湖の水没から逃れてここに丸ごと引っ越してきたとか??
墓地の石垣に埋め込まれている六体地蔵磨崖石仏はこの地域でよく見かける姿です。
墓地内の傍らにも小さな地蔵磨崖石仏、その隣にあまり見かけたことのない姿の石仏を刻んだ板碑?があった。
いよいよ、ここから牛ヶ峯岩屋桝型岩へと登る。