Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

九月のドイツよりも悪い

2020-11-26 | マスメディア批評
朝起きできなかった。典型的な11月の天候で一日中暗かった。仕方がないので昼にお勤めの一っ走りをした。パン屋に寄ったら通常は売り切れているクロワッサンなどがあったので、如何に人出が無いかが分かった。天気のせいだ。その代り沢沿いの道には有閑爺婆が結構いた。

12月からは商店での入場規制が再び起こりそうだ。スーパーは再びワゴンを強制させて、必要ならば規制すれば事足りる。最近の研究によればスーパーでの空気感染が可成りあるという事で、全く驚かない。コロナの感染はそういう所でも起きる。しかし、発覚するのはクラスターとしてのパーティーとか家族なので、あまり話題にならなかった。美術館とか音楽会も自身の経験からすれば発覚しないだけで大分発生していると思われる。

その事から走りながら考えていたのは、日本は新感染者指数が既に10になっているようだが、ドイツではいつその数字に至ったか。調べてみると9月7日だった。但し当時の陽性率は僅か0.87%で日本のそれとは比較にならないほど低かった。その当時のドイツでの規制は、音楽会なども四分の一も入れていなかった。フランクフルトでオクサーナ・リニヴの公演を聴いたのが丁度その頃だ。当時のフランクフルトもあまり高い数字は出していなかった。因みにオーストリアは既に指数24、スイス28だった。

これから分かるように12月に東京で演奏会とかそれも第九とかというのは完全に地獄の道を歩んでいるとしか思われない。ヴィーンでも客席に関してはそこまでやっていなかった筈だ。スイスは逸早くスキー場を開けるとしているが、音楽会でのマスク着用と共に新たな道を歩んだスイスはある程度の死亡者を出すことは既に試算されていて国民が容認しているので、スェーデンよりもその施策はハッキリしてしているかに見える。要するにマスクはアリバイとして使われている。

先日の無観客デビュー演奏会での指揮者オクサーナ・リニヴへの批評記事が南ドイツ新聞に出ている。何故最もいま世界で引っ張りだこの女性指揮者か?と話を進めている。「タランテラ」では無観客であることを忘れさせたが、モーツァルトではまだ最初堅かったとしている。他の批評では、劇場で振っていた時のような正確さを追い求めたものでは無かったとして、アウフタクトを大きく振って独奏者にやらせていたともあった。そして二曲目の「イタリア」に入って解放されて時局柄いい中継になったとしている。残響が多かったヘラクレスザールよりも家庭では若干シャープに鳴ったとしている。このストリーミングが予想に反して熱狂的だったのはリニヴのお蔭だとしている。

リニヴは、微笑みを絶やすことなく音楽に音楽家に距離を置く、自らは全てを曝け出す時にもである。自らの憚りの無いエゴの演奏とはしない。柔軟なテムピで、楽しい旋律の中にも痛みを、透明さを目指しつつ、その中に繊細な影の秘密を、深淵を、悲劇を伝えるとしている。

更にその前に中継されたヴィーンモデルンからの放送を振り返って、人間のカタストロフをエレガントに縫い合わせるスペシャリストであり、ライヴストリーミングでの感嘆度を見事だと絶賛している。他の批評では「イタリア」でのその指揮の動きと出てくる音との差を指摘して、平常化したらもう一度招聘されるべきとしていた。

ミュンヘン辺りの玄人筋の評には楽団内部からの声も反映されているだろうが、大分評価は定まって来ている感じで、この二つの評を読む限り、比較的早く後任として決まるのではないかと思われる。



参照:
Im Lavastrom, Reinhard J. Brembeck, SZ vom 24.11.2020
改訂版イタリア交響曲 2020-11-22 | 文化一般
歯を食いしばって耐える 2020-11-21 | 女

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