Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

科学技術発展のイタチゴッコ

2014-08-17 | テクニック
眼がしょぼしょぼである。キンドルを弄っていて疲れた。タブレットはPCからも両方向やり取りできるようになったが、完全にLANに組み込まれたわけではない。急ぐ用も無いので、時間を掛ける心算だ。まだANDROIDを弄るには至っていないが、キンドルとLAN絡みでもう少し勉強してみないと分らない。

なによりも嬉しいのはレノヴォ「ヨガ」の蓄電池の強さで、夜中に充電しておけば、一日中蓄電量を気に掛けずに使い回せることだ。聞くところによると携帯電話よりもLANの下にいる限り圧倒的に使いやすい。なによりも、画面も大きく、PCとのコミュニケーションもやり易いので助かる。

なるほど写真などにおける画質はノートブックに及ばないが、丁度良い距離でも文字も読めるので使いやすい。もう少し文字を読んで感想を述べたいが、専用機の辞書機能などは付いていないが、とても素晴らしいと思ったのは音声による検索とその回答で、回答はフランス女性にして貰うことにしている。

嘗てスタートレックのスポック副船長が使っていたコムピューターとあまり代わらない。音声識別はここ十五年程大手のテレコムなどのお客様電話で御馴染みであるが、大分精度が良くなっているのを感じる。これももう少し遊んで感想を述べてみたい。

キンドル関係では、無料でダウンロードして、同期をするので、どうしても気分が悪いので - ビンラーディン暗殺ではないがGPSも付いているので、ターゲットが何ページを読み終えたところで無人戦闘機でピンポイント爆破暗殺指令も全く問題ない -、多くの人はPCの方にバックアップしたいと考えるのは当然であろう。そこで、様々な方法が書かれているが、コピーとなると違法性がある。本当の問題はAMAZON側にあって、所有権などの問題となるところである。更に著者や出版社に対して電子書籍化への圧力を掛けて大問題となっていることの意味が漸く分った。

フェースブックほどではないにしても、顧客の個人情報を集めることが無事だけでなく権力となることから、まさしく「ラインの指輪」ではないが、所有権まで脅かす問題となる。反対に、コピー防止をすり抜けようとする側の活動も盛んのようで、ここでもグローバリスムの問題となっている。上のアマゾン問題も、音楽におけるコピー防止と著作権問題などと同じく、少なくと権力が集中するという悪弊が蔓延る。

ガラス保護シールを貼った。二枚組みで決して安くは無かったが、反射防止シールにもなっていてとても見やすくなって、指紋が付かなくなった。張るのに苦労して、一枚目は放棄したが、二枚目は何とか使い物になった。但し切り方が若干大きめで端を完璧に収めるのは困難であった。

マイクロSDHCカードを初めて手に取ったが。これで32GBの容量とは驚いた。蓄電池を含めてこの分野では成長の速度が遅くなるどころか加速していそうで、二十世紀終盤に科学技術の終末論が学生などに論じられていたが、決してそのようなことが無かったのが証明されている。但しエコロジーとのバランスに立脚してという前提で、科学技術の方向が定まるということに他ならない。



参照:
ピクニックにタブレット 2014-08-15 | 生活
比較的良いヨガの初印象 2014-08-13 | テクニック
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豊かさの証明の衣替え

2014-08-16 | アウトドーア・環境
前日も涼しかったが、本日は寒い。衣替えである。一日中摂氏二十度にはならないようだ。流石に一ケタ台には落ちていないが、天気が悪く完全に十月から十一月の空である。気温の上がる日はあるだろうがパンツにTシャツの快適な日々は大体終了である。今年は冬支度も早くなりそうである。

先日SAARWEINEさんに持って来て貰った炊飯器が直ぐには使えないことが分ったのは既に輸送中のことだった。理由は、予定していた変圧器が使えないことを納屋から出してきて始めて気が付いたからである。そもそもその変圧器を平素使っていなかったのは理由があったからで、それをすっかり忘れていた。

そもそも変圧器は、日本からの駐在員家庭などには欠かせない白物で、日本で使っていた電化製品を公費で全て輸送する関係で、国外でも日本と同じ電化製品を使い続けるために必要なのである。その逆に、国外で購入した電化製品などを赴任の際にも使い続けるためにはまた変圧器が必要となる。安心して使える鉄にコイルを巻いた変圧器は重く、決して安くは無く貴重品でもあるのだ。

現在私の自宅で使用している日本の電化製品は、数は多くは無いが、それでもTEACのカセットデッキ、サンヨーの電気タイマーを使っている。そして三菱の炊飯器である。前のものは日本で愛用していた三十年ほど前の商品であるが、後者はこちらで使うために抱えて持ってきた商品で、それでも93年の訪日のときに抱えてきたものである。そして当時のマイコン付き炊飯器は五号炊きでも商品電力500W以下だったのだ。そのマイコンは電子変圧器を使ったお陰で帰宅後直ぐに日本からの食材に合わせて米を炊こうとして直ぐに吹っ飛んだのを覚えている。IC基盤だけを送ってもらって交換したのだった。

また上の大型変圧器は3000Wまで使えるのだが、今回改めて炊飯器とも200Vの出力で使っていた代物であった。だから普通の電化製品は使えない。リレハンメルの冬季オリムピックで公式時計のセイコーグループがメインテナンスグループのために持ち込んだものを買い受けたのだった。

興味深いのは、日本がこの二十年間ほどでオール電化とか叫び出して、高出力の電気製品を製品化して行った家庭であろう。なるほど日本以外の国に出かけた人は日本の100Vそのその電気事情に一種の貧しさを感じる人は少なくないかもしれない。そのような事情で高電圧化への計画もあったと聞く。そして起こったのがフクシマ禍であった。

今回入手した炊飯器も最大出力1200Wなので、手元にある600W相当の四つの変圧器では使えないのである。そしてその出力を見て電気代が心配になったのは事実である。インダクションヒーターなのである程度の電力は必要となるだろうが、それほどの価値があるのかどうかが、調べてみたいところなのである。

日本の成功は1980年ごろの省エネルギー対策による効率化であったと先日のラディオの討論番組でも触れられていて、最もエネルギー消費量を落とすには価格を上げればよいだけだと話があった。日本は当時はジャパンアズナムバーワンと言われた頂点であった。そしてその後今のように落ち込むことになるのは当時から分っていたことなのである。

面白いことに、SAARWEINEさんがビアーガルテンで水を注文して、その水で下痢をしたらしい。これなども何か今の日本を如実に表わしているようでおかしい。そもそも日本は水と人材だけは豊富で、只で軟水を楽しめたのである。それが今はどうだろう。ペットボトルを買わない日本人は少ないようだ。私などはここ二十年ほどは水を買わなくなった。地元の水道が葡萄の山の水になって軟水になったからである。そこに地元の豊かさがあると思っている。

郊外のレストランなどでも上水道の水を出すところが出てきている。そしてフランスで最も素晴らしい水もとても素晴らしい軟水なのである。それを喜んでミネラル水と称して石灰の多く入った水を ― 下痢は勿論マグネシウムの影響だろうが、飲みたがる日本人も増えてきているようっだ。

豊かであるためには、山の水が汚されないように殺虫剤などを一切使わないビオの環境が基本である。そうした積み重ねの構築されるのが脱近代の豊かさであることだけは間違い無さそうである。こうした意味で欧州は今後とも文明を開いていかねばならない。



参照:
へロー、タブレットと釜 2014-07-27 | 雑感
我が町のエネルギーミックス 2014-02-15 | アウトドーア・環境
二人の阿保のミックス 2014-01-06 | マスメディア批評
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ピクニックにタブレット

2014-08-15 | 生活
火曜日の朝食はピクニックだった。パン屋が夏休みであるから、客人の朝食は肉屋で揃えて、ワイン山へと出かけた。若干肌寒いぐらいであるが、乾燥していて天気は良かったので、一足早い晩夏を楽しんだ。

ハムとシュヴァールテンマーゲンそしてリースリングのニコゴリをパンに挿んで貰った。一人二種類ずつのサンドイッチである。コーヒーや野菜、半熟卵に果物の朝食である。そして前の晩に開けて試したゲリュンペルである。眼下にはウンゲホイヤーを望みながらの食事である。

最後の店売りの10本目を開けて、その残りを翌朝に飲み干した。流石に2013年は素晴らしく、柑橘系の皮のような味が格別で、その酸の美しさはとりわけ素晴らしいものだ。結局残り9本の内の6本を押さえた。

葡萄は見る見る柔らかくなっていて、もう少しで熟成へと入るのだろう。山の上の木はそろそろと色づきがかりそうである。初秋の気配がある。

タブレットは予想以上に弄り甲斐がある。ネットに入るのは早かったが、LANの中で位置を構築するのには可也時間が掛かった。漸くLANに参加した形だが、そのためにはアンドロイドのアプリケーションのダウンロードやPC側での受け入れなど結構工夫がいるのだ。

更にタブレットをアイフォン代わりにデジタルカメラと交信させたりGPS情報を入れたりと、弄ることは幾らでもあるのだ。要するに使いたいようにカスタマイズする可能性は想像以上に大きく、全く同じ様な使い方をしているタブレットなどは殆ど世界中に一つも無いと言うことである。

今までの使い勝手ではやはり動画の再生に使いよくて、WLANの中で独特の端末として使いこなせそうである。ガラスに傷がつきやすいと言うので保護フィルムを注文して、マイクロSDHCも発注した。



参照:
比較的良いヨガの初印象 2014-08-13 | テクニック
意味ある大喝采の意味 2014-08-06 | 文化一般
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ナーヘの谷へ戻る旅

2014-08-14 | 試飲百景
久しぶりにナーヘの谷に戻った。デーノッフ醸造所を訪問するためだ。昨年の秋も谷の奥へ試飲会に出かけるためにアルプス以北で最大の岩壁ロートフェルツに立ち寄ったが、その時は岩壁の上からの見学だった。今回は谷のオーバーハウゼンと言う町に立ち寄る。

戻ったと言うのはその町に近づくに連れて25年ほど前の記憶を思い出したからである。適当に走って辿り着いたのが今回出かけたオーバーハウゼンの隣町ウンターハウゼンだと気が付くまでそれほど掛からなかった。そして醸造所で土壌や地所の話をしているうちに隣町だと確信を持ったのだ。

当時訪ねたのはそこの零細の農家であったが様々な地所を持っているようで、何種類もの土壌の話をしていたのだった。そのワインと言えばリースリング以外にもやっていて、洪水で水に浸かる醸造蔵の水かきを手動でという様な話は印象に残っている。そしてその蔵の木樽の腐ったような臭いと、直に酢のようになってしまうリースリングは殆ど懐かしく一生忘れないだろう。要するに私のナーへ初体験だったのだ。

そして今、現在ナーヘでその品質から最も人気のある醸造所に遣ってきた。いつかTVで見たこだわりのアイスヴァインの話などをしていると、スイスからの予約客の相手にその親爺が出てきた。木樽で手動で絞り潰す作業は誰にもい任せないと言う頑固親爺である。しかし思っていたのと違って体の動きも頭も柔軟性があるように感じた。

今回は娘さんか嫁さんが御相手をしたが、御目当ての辛口リースリングは全て売り切れていた。高品質少量の2013年の特徴である。しかしなんとグローセスゲベックスを試飲出来た。三種類のなかでまだ予約以外に残りのあるフェルゼンベルクと言う火山性の斑岩の岩山である。

驚いたことに発売前から飲めるように開いていて、如何にこの土壌が特殊なものであるかが分る。似たような傾向のロートリーゲンスなど比較にならないほどの個性である。それにしても綺麗に上手に造っていて引っ掛かりが無いのが憎い。これだけのミネラルでくどくなっていないのはそれなりのノウハウがあるからだろう。見事である。

ピノブランも決して悪いつくりではないが10ユーロは高級だ。それに比較してシュペートレーゼのキルシュエックは16ユーロとそれよりも高価である。悪くは無いが昨今の軽い甘口に近い。更に高価なシュペートレーゼ「ブリュッケ」は立派だった。新鮮な甘口で、甘すぎずに尚且つミネラルを感じられるものは最近珍しい。エゴンミュラーの中ぐらいのものに近いだろうか?価格の21ユーロは大変価値があり、お得である。

顧客さんから聞いていた通り、決して甘口の醸造所ではなくて、立派な辛口を造っている。その土壌の多様性からしても潜在能力の高い醸造所であることは間違いない。アイスヴァインのマイスターだけではないことは十分に分った。培養酵母を上手に使っているのだが、それ以上に土壌感が確りしているので、決してつまらないリースリングとはならないのだ。

折角試飲できたのだからフェルゼンベルクを二本予約しておいて、秋にシェーンレーバーに立ち寄る際に取りに行くことにした。来年からは試飲会に出かけるところがまた増えそうだ。



参照:
裸の王様を斜に見ながら 2013-05-05 | 試飲百景
ナーへ渓谷の岩場を見学 2013-09-09 | アウトドーア・環境
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比較的良いヨガの初印象

2014-08-13 | テクニック
Tabletを入手した。タッチスクリーンを所持するのはこれが初めてである。本当にガラスで、手の指紋がよくつく。初めてのシナ製電化製品である。LENOVOのこのYOGAの仕上がりは決して悪くない。流石にIBMのノートパソコンを引き継いだ会社である。性能は分らないが最初の印象は合格である。

使い勝手はこれからとなるが、接続の準備などは結局半日ほど掛かった。先ず、WIFIのPINと間違って、立ち上がりのPINを適当に入力しまったので、リセットする方法を見つけるのに時間が掛かった。

LANには比較的問題なく入れたのだが、まだ完璧ではない。通常はLANのSSIDを隠して運営しているのだが、隠してしまうと読み込まなくなるのである。もう少し工夫が必要そうだ。総じて安全性はそれほど高くはないのだろう。

兎に角、スイッチ類が二種類しかないので、リセットなどには慣れが必要だった。更にANDROIDのソフトゆえか、弄って自分の思い通りにするのはPCよりも複雑である。それでもプロクシの設定も可能となり、世界中何処でも同じような環境でサーヴィスが受けられるのは便利である。その作業をしていて中々うまく行かないので、もしや彼の国での製品にはなにやら不便な設定になっていないかと疑ったぐらいである。

10インチであるが、予想より小ぶりの印象で、画像も期待ほどには良くないが、KINDLEで文字を読むのはあまり問題が無さそうである。但し、寝床で読むにはバックライトが明る過ぎるようで、可也の節電をしている割には最低でも明るい。十分過ぎるコントラストであり、この辺りは如何にも緯度の低い地域からの生産品だと感じられる。

画像は、偶々小澤征二の「執念」とか題したNHKのドキュメントを就寝前に観てしまったが、YOUTUBEぐらいならば全く問題が無い。まだMICROSDHCも購入していないので厳密な比較は出来ていない。使い勝手もまだ十分に分らない。

それにしても小澤の「青髭」のリハーサルなどを観たが、流石に得意のレパートリーであり、日本で公演しても世界で十分に通じると言う意識があったようだ。それ故に通常の程度から上をやれるのは当然と言う感じはした。身体が動かないというのはああしたことだと、なるほどクナッパーツブッシュが晩年はそうだったとかよく分る番組であった。スイスに保養を兼ねて訪れてと言うのも理解できた。通常のプロフェッショナルな指揮者活動はもはや困難とのことで小澤の集大成の録音などが出ているのだ。映像にもあったがルドルフ・ゼルキンとの協奏曲録音なども一つの頂点だったのだろう。

実はその前にカール・ベームの晩年の映像などを観ていたのだ。当時は老衰で指揮中に眠っているなどといわれていたが、リザネックとのリハーサルなど鬼気迫る昔ながらの厳しさがある。その音楽も身体が動かないでのテムポと言うよりは可也虫眼鏡で覗き込むような拘りがあって、その意味では楽譜の深読みということなのだろう。その点では、小澤の例とも似ているのだが、病身と老衰と言うのは大分異なるのだ。

再びYOGAに戻れば、充電池が急速に弱まるということが無ければ、二三年ぐらい変わらずに動けば価値があるだろう。価格も24000円程度なので、気軽に持ち歩けそうだ。LANの中での位置づけや、これを持ち出すときの使い方等を含めて、それに纏わる入れ物の購入など決断するには若干時間が必要である。現時点での印象は一度使い出すと、無いと不自由しそうだと言うことぐらいである。



参照:
へロー、タブレットと釜 2014-07-27 | 雑感
終に逝かれたもう一つの蝶番 2012-11-20 | テクニック
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熟成の可能性を探る

2014-08-12 | ワイン
ガンツホルンを開けた。2010年物である。写真にあるように可也黄色くなっていて、流石に味はふにゃふにゃにはなっていないが、酸の新鮮さもなくなっている。その一方、落ち方も早いようで、来年ぐらいに飲み干してしまった方が良さそうである。レープホルツ醸造所の問題は残糖がないことから、熟成の可能性が限られるのだが、これだけ鋭い酸が勝っていると、華を咲かすことはないであろう。一方において減酸の石灰の影響が大きいので、色とともに早くも黄昏へと進んでいる。

評価本の点数の高い石灰混じりや赤いスレート交じりの土壌のリースリングはこれよりも遥かに黄昏が厳しい筈だ。我々常連客は、評論家と違い、その味で選ぶのではなく、栽培や醸造技術のあれこれで評価するので、なにも2010年がこの醸造所にとって決して良い年度であっても驚かないのである。

恒例のCD落穂ひろいは、今回はバイロイト音楽祭詣でがあったので、適当に選択して注文した。リカッルド・ムーティーのデビュー当時のデジタル録音、つまりニューフィルハーモニア管弦楽団での制作録音に興味を持って特売を探している。今回はドニゼッティーのオペラが見つかった。このナポリ出身のディスコグラフィーの中であの当時のいくつかが予想通り最も価値がありそうだと感じている。

パーセルの「キング・アーサー」もガーディナー指揮のものが有名だが、その後にデジタルで録音されたクリスティーのそれも悪くは無さそうなのでこれも注文した。

同じくオペラでは、ペーター・シュライヤーがチューリッヒで歌った「後宮よりの逃走」が安売りで出ていたのでこれも購入した。アーノンクルがモーツァルトのオペラで成功し出した時分の制作録音である。

ブロムシュテットがサムフランシスコの交響楽団を指揮したニールセンの交響曲も注文した。なぜか前半の三曲は結局安売りにはならなかったので断念したが、後半のそれも立派な演奏をしている。

序に前から目をつけていたハイドンの「天地創造」をバルテーザー合唱団らが演奏した録音が安いのでこれも発注した。生ではあれほど聞いているヘンゲルブロック指揮の演奏であるが、録音でも感心させられる。



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パン屋の夏休みに合わせて

2014-08-11 | アウトドーア・環境
鼠径部が痛い。あまり経験したことが無い。金曜日に石切り場で登ったが、突っ張り技術を含めて、管轄以内の運動だったので起こる筈が無い。木曜日のそれが一日おいて出てきたのだ。なるほど、足でぶら下るような運動は、通常の動きでもなく、通常のクライミングでもないから当然かもしれない。

その分、肩の痛みは全く無いのだが、鼠径部の痛みは歩いても感じるのだ。だから走った。今週から沢沿いを奥まで走るようになったが、同じように往路13分2090歩は殆ど同じで、往復で27分4250歩も想定内である。これはもっと早く走れるようになりそうだ。

パン屋が二週間お休みになる。そちら方面に無理して車を走らせる必要もなくなるので、そうなると今度は必然的により高い別の頂上を目指すコースを走るようになる。涼しくなればそれほど悪くは無いだろうが、ここ暫くの蒸し暑さでは不快である。

帰ってきて体重を量ると71.9KGになっていた。バイロイト訪問時には76KGを超えていたから、もう少しで74KGの上下3KGほどの変動になりそうである。変動量が大きいのは食事量と水分の出し入れが少なくないからであろう。実際に沢沿いなどの比較的平坦な場所を走ると、スパートするときなどにまだまだ無駄な脂肪などがこびりついているのを感じるので、もう少し身体を絞り込む方がよいかもしれない。

ボールダーで今まで使っていない場所を動かせるようになると、若干感じる腹筋の張りとともに、いよいよ運動できる身体に近づいてきそうである。血圧ではないが、下が70KGを割るような体重変動になれば、かなり登れるようになるのではないだろうか?



参照:
不可能が可能になるのは 2014-08-09 | アウトドーア・環境
多少の揺れは想定内 2014-06-28 | 生活
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石灰が効いた引き分け試合

2014-08-10 | ワイン
2010年産のリースリングを開けた。二十年に一度の酸の年度なので辛口ファンには期待されている年度である。それでも実際にその期待に応えるリースリングは貴重なのだ。理由は収穫量が少なかったことと、減酸処理に投資できた醸造所が少ないからだ。結論として、偉大なワインを醸造できたのはドイツ国内では数件しかないと予想していた。

その証明に一本開けたのはドイツで最も辛口のリースリングで著名なレープホルツ醸造所の上から二番目のランクのフォン・ブントシュタインである。これは実質的にグローセスゲヴェックス「ガンスホルン」の先落としの葡萄から出来ている。

結論からすると飲み頃を過ぎていて、既に熟れてしまっていた。人によればオイリーと表現されるものかもしれない。容赦なく糖がアルコール化されているために、どうしても期間が経つと水のようになってしまうのがここのワインである。しかし、オイリーさは通常の場合は出ないので、これは減酸のときの石灰の使い方によるものと思われる。

要するに石灰質の地所のリースリングと同じで、色も黄色く味も丸くなってしまうのだ。二年でそのような傾向が出るのが普通で、本格的なグローセスゲヴェックスはアルコールの高さと残糖で、抽出されたモストの強みで、長持ちするようになっている。それ故にレープホルツのリースリング一般的に五年以上経つと完全にフィルン化するのである。しかし、二年経過で上のような状態になるのは減酸が影響しているのは明白である。

それでも、確りした抽出の効果はあって完全に熟れきっている訳ではなく、明くる日も全く酸化の進みを感じさせることなく楽しませるのは流石なのだ。同じ酸に特徴のあった2008年のそれに比較すると、丸くなり過ぎという感じもある。熟れたリースリングとしてはとても立派なものであることは間違いないが。そこで遅れないうちにグローセスゲヴェックス「ガンツホルン2010」を週末に開けてみることにした。

もう一つは、サントネーの2012産のピノノワールである。スーパーで14ユーロほどだと思ったが、やはり下手なSCブルゴーニュとは違ってお得だった。この価格帯ではドイツのシュペートブルグンダーには太刀打ち出来ないブルゴーニュであるが、流石地元ではこれ以下の価格でこうしたワインが飲まれていることを教えてくれる。シュペートブルグンダーとは異なり甘酸っぱいチェリー風のそれはブルゴーニュの特徴だろうが、決して食事の邪魔をすることは無く、比較的万能に食事に合ってくれる。欲を言えば限がないが、この価格でこの程度ならシュペートブルグンダーと大体引き分けぐらいだろうか。



参照:
CPのとても高いピノノワール 2014-03-22 | ワイン
スーパーブルゴーニュを物色 2014-03-17 | ワイン
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不可能が可能になるのは

2014-08-09 | アウトドーア・環境
FAZ新聞には安倍政権が分岐点に来ているとあった。アベノミックスで支持を保ち続けたが、経済そっちのけで自らの執念のようなものの拘り軍事色を強く出したことから国民に嫌われ始めたと言うのだ。そこで再び構造改革を柱とした経済政策に向かわざるを得なくなったと言う情勢分析で、さもなくば国際的な投資が手を引くことになるとある。実際にはあれだけ強引な円安誘導の政策をして、輸出は僅か2%としか伸びていないとある。予想通りだ。

パン屋は来週から二週間夏休みになる。その前に思う存分夏の朝食を楽しんでおきたい。水曜日には久しぶりに沢沿いの道を取水場所まで駈けた。往路13分2093歩は流した割には普通で、車まで戻ってきても27分も掛かっていなかった。これならばいつも奥まで走っても良いかなと思うようになってきた。

車のラディオはロシアの右傾化振りの状況を専門家が伝えていた。あれだけの民間航空撃墜の事故があってもロシアの国民から強い批判が沸き起こってこない社会的背景の解説であった。その一つにロシア正教会の影響があって、西欧的な個人主義を警戒することから、人権やその他にも一定の制限が付くいうものであった。それは西欧のカトリックなどを見れば、如何に個人主義的な自立が為されるところでは教会の影響が激減していくことから見れば十分に納得できるのものだ。

水曜・木曜とボールダーに戻って練習した。幾つかの課題を並行して試している。その中で久しぶりに、恐らくクラッシュパッドを購入して二三度試して以降時間をおいていた庇の課題に木曜日に再訪した。前日の雨にも関係なく下腕の疲れにも影響しないところだからだ。車から近いこともあって久しぶりにクラッシュパッド持ち出して、その庇の下に座るとやはりいい気持ちだ。陽射しはまだ強めで涼しくは無いがワイン街道よりは摂氏三度ほど低いだけでも違う。

そして徐に始める。最近試みている部分的に別けて解決して最終的に繋げる方法を取る事にする。最初の座った姿勢から左へと足が庇に掛かるまではそれほど問題は無かった。春に比べると腹筋が付いてきたのか、足を上げる動作が大分すんなりと出来るよいうになってきている。外気温も25度ほどなので身体も柔軟に動く。

そして核心部を先ずは手掛かりを定めて試す。意外に難しいのは最初の手掛かりの移動部分で滑りそうで怖い。そこで確りとしたにクラッシュパッドを持ってくる。それでも中々うまく行かないので、より左の繋がりを試してみる。ここは手掛かりが確りしているので足を上げるのは容易だが、その時点では足を右へと掛けている。つまりその途中で足を左から右へと移す動作のために確りとした手掛かりの場所を定める。両手でぶら下れれば何とか足の掛け直しは可能のようだ。

その次の左へと少し上がり気味の手掛かりを掴むのが足の蹴りを含めて厄介だ。そして最終の手掛かりまで身体を伸ばす感じがもうひとつ分らない。最後の乗り越しは上部の角に手が掛かれば乗り越しは全く問題なかった。VIDEOで調べると明らかに恐らく医者の博士親仁よりも私の方が乗り越しは遥かに上手だ。しかしその角の手がかりまでが遠いのだ。他の写真を観ると途中に手掛かりがありそうだが、それがないと腕の長さの分私には厳しいかもしれない。

さて、最初に戻って角から始める。VIDEOとは違って足を落ちると怖いが左足を嵌め込んでいる右足の向こうに更に添えると手の加重が大分減った。これで余裕を持って手掛かりを一番良い場所に置けた。そして続いて、驚くことに足の左から右への架け替えまで出来てしまった。冬の間は到底不可能と思っていた部分である ― 通常の登攀から最も縁遠く、異なった筋力や動きが必要とされるという意味において、そして勿論オヴァーハング克服には不可欠な動きだ。これは久しぶりに嬉しかった。要するに半分までは出来ると言うことだ。その後の課題もこなせそうで、最後の角に手が届くことが分れば、完登まで時間の問題だろう。

クラッシュパッドを購入する時点ではこうしたものを克服することが目標だった訳だが、それが実現しそうで、達成のときはとても自信がつくと思う。兎に角、数ヶ月前には不可能と思われていたことが可能になるというだけで素晴らしいことではないか。



参照:
Bouldern in der Haardt, Pfalz - Ravioli Explosion 6b (YouTube)
疲労困憊の継続性 2014-05-30 | 雑感
関節技のアナアブの地獄 2014-05-26 | アウトドーア・環境
我慢の軟着陸の連続 2014-05-25 | アウトドーア・環境
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原音再生を意識させるCD

2014-08-08 | テクニック
旅行から帰って来るとSACDプレーヤーが届くように手配しておいた。明け方ベットに入ったところだが、午前八時前に目覚ましを設定しておいた。予定通り荷物を受け取る。想像していたより軽い感じである。その印象は、睡眠不足を伴って最初の音出しにも共通していた。デノンDCD1510AEと称する日本で1500SEとして知られている欧州向けの商品である。32bit7192kHzのコンヴァーターの素子AK4399は旭化成が作っているとは知らなかった。

つまり所詮デジタル機器などはアナログ回路で音の質を変えるだけでそれだけという、とてもこじんまりとした印象を受けた。特に弦楽器などは、玩具のように、つや消しのようにちゃちに響いた。エージングの問題があるので、週末中集中的に鳴らした。最も審査で重要になるのはスタジオで知っている「生音」のCDがどのように鳴るかである。原音に忠実に鳴るかであって、そこでは一切の音作りは否定的な要素となる。要するにモニター的な比較である。

弦楽四重奏を鳴らしたが、とても素晴らしく細かな部分も聞き取れるのに反して、ソニーのDATのDAを繋いだ方がより新鮮でスタディオモニターもしくは卓台を通した原音に近い感じがした。暫くそのまま聞いていると、なるほどCDドライヴが優れているのかとても高品質で生々しい音が響くのだが、そのうちに高弦などに量子化歪が感じられるようになった。なるほどこれで鋭く突き刺さるような音になっているのだと気が付いた。そしてプレーヤーのDAに切り替えるとその歪が取れてとても素直な音になった。反面、鋭さが無い分暈けた引っ込んだ感じになるのだ。

この手で最も一般的なのは中音域をイコライザーで下げたような感じで所謂欧州トーンを作る方法である。するとJBCのような張り出した音にならずタンノイサウンドとなるのである。もう一つ面白いと思ったのは残響の響き方で、お気に入りのザビーネ・マイヤーのEMI録音はなにか残響が後ろに逃げるように聞こえる。若干人工の残響を加えていてそれが目立つようになった可能性もありえる。

スタジオ機器はレヴォックスが多いのでそれらとは全く機械的に比較の対象とならない。特にトレー周りの堅牢性や早送りや頭だしの速度、十分の一秒単位のディスプレーは放送局などでは欠かせない。要するにオーディオマニアが求める音楽性やHIFIなどとはまた違う基準ということでもある。勿論アフターサーヴィスを含めての業務機器を個人の居間に持ち込む価値は無い。それでもトレーの出し入れの機械音や駆動はもう少し質が高くても良いと思うが、トレーの塗装などは如何にも振動などに拘っている感じで印象は悪くない。

さてここに来て初めてピュアダイレクトという機能を使ってみた。取扱説明書に詳しくないのだが、どうもデジタル出力とディスプレーなどを遮断することでHIFI的に純粋な音を追及するというものらしい。これを押してみて、消えたディスプレーの背後に鳴る音を聞いて瞬時に理解した。全く上の篭ったような引っ込んだサウンドが表に出てきて、まさに録音中のモニターの音を髣髴させた。少なくとも24BITマスターの音は再現できている感じである。それ以前に念のためにヘッドフォーンも使って比較したが、これならばヘッドフォーンで確認するまでのことが無く原音に近い。

久しぶりにマスター相当の音を聞いて、その録音風景や感覚が蘇り、テーク毎の出来不出来などさえ記憶に戻ってきた。そしてその出来上がりの良さに改めて驚愕した。この録音ならSACDで聞いてみたいと思わせるのだが、それ以上に制作自体が素晴らしく、恐らく曲によっては現存する最も優れた録音に違いないことを再認識した。

ここまで異なることにも驚愕したが、一般にはそれを感じさせないような作りになっているということはデジタル出力自体がかなり質の高いもので、DATのDAがかなり上質に鳴っていたことが実証された。逆に歪のように感じられたのはデジタル処理の問題なのだろうか。

USB-A を使った入力を試してみた。手元には上質のMP3音源が無いので試しにYOUTUBEやライヴストリーミングをダウンロードした。楽劇「ヴァルキューレ」が全曲で30メガほどにしかならないのでこれでは話にならないと思った。実際それをこのプレーヤーで鳴らしてみるとなるほど実況録音の程度ならばそれほど違和感は無いのだが、かつてのデジタルやアナログのラジオ生中継と比べると話にならない。音楽家なども喜んでアイポットなどを使っているが、もしこれで十分だとしたら全くSACDどころかCDでさえ要らない。なるほどオーディオメーカーが軒並み店じまいして行く筈で、そもそもHIFIなどは特殊な趣味で、結局はラジカセの大市場がこれに移ったに他ならないと認識する。

MP3の音質がこの程度なら、SACDなどに興味を持つ市場も今後も限られて結構厳しいと感じる。なるほど生録音の臨場感が全てだと感じる市場も大きく、所謂録音芸術だとかが顧みられることがなく、ラディオ放送も手薄になっていることから、複製芸術としてのメディアはもはやあまり重要視されなくなってきているようだ。技術の発展が全く其処に寄与しなくなってきているのは面白い。

さて、購入決定前に気になっていた批判点、例えばCDの読み取りに時間が掛かりすぎるなどの欠点は、使ってみると全く問題なく、こうして時間を置いた方が昔のLPの儀式に似て、じっくり聞く機会を与えるかもしれない。兎に角、SN比がCDとは思えないほど大きく感じるので、スピーカーから音が浮き上がってくる瞬間は生演奏におけるアウフタクトと同じような効果がある。また、あまり使い勝手の良くないと書かれるリモコンは事実で、これは致し方ない。

連邦共和国内で数台出ていた棚卸のシルヴァー色の商品価格640ユーロの価値は無いことはない。なぜか黒色は人気が無いようでその後440ユーロまでに落ちている。明らかにシルヴァーの方が高級感がありそうで、高値安定しているようだ。後継の商品1520AEは、デジタル入力が付いているが一部ではなぜか音質に関してあまり評判が良くないのは回路が複雑になっているからだろうか?若干改善されていると言う評価もあるが、標準価格への上積みの価値は疑わしい。

SACDディスクの安売りなどを調べたが、価格は一枚5ユーロ以下でも、ジンメルン指揮のトーンハレ管弦楽団のマーラーでは態々ハイファイテストに購入しても殆ど鳴らすことが無いように感じた。いづれもっと興味深いディスクが安売りになれば試してみたい。



参照:
チャイナ製の昔の名前など 2014-07-25 | テクニック
理のある変換とその転送 2006-04-20 | テクニック
骨董化した空間のデザイン 2005-04-03 | 文化一般
究極のデジタル化 2004-11-29 | テクニック
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5.13を登るフランケンの家族

2014-08-07 | アウトドーア・環境
新たに購入したペッツル社の「シャント」を使って登ってみた。ハーケンなどは低いところにないので、大きな木と小さな木の二本にアンカーを作って、そこにザイルの端を結びつける。そして十分にザイルを流して登り始める。容易なルートなので只一つだけ打ってあるハーケンは核心部の真っ只中にあるので、先ずは最初の中間支点を機械式の楔で取る。これで、先ずはザイルで確保された形になる。

凹角のその上の立ち上がるとハーケンに手が届いたが、ザイルを掛けるには伸ばしてやらないといけないのでごそごそとバランスを取りながら掛ける。これで地面への墜落はなくなった。

そのまま凹角を登っていくには都合よくザイルを伸ばしてやらなければいけないので、少し右横の足場を利用して、凹角へ戻って三本目の中間支点を機械式楔でとる。安全策は万全なのだがザイルを登りながら伸ばすのが結構難しい。ソロクライミングの準備を確りと整えないとこれ以上難しいところは登れないと思った。勿論初見でザイル無しで登るような場所ではない。

無事上の折り返し点にザイルを掛けて横の難しそうなルートを登り直すが、最初の核心部は結局超えられなかった。下で誰かに確保して貰っていても、最初のハーケンに掛ける動作が出来なかっただろう。トップロープで引っ張って貰わないと難しい。恐らく七級だろう。その核心部の右手の手掛かりが指先に引っかかるような背びれに力を掛ける典型的な石灰手掛かりである。こうしたものを、指の入る穴等と同様使いこなすにはそれなりのトレーニングをしないと怪我をすることが分っている。その上部は傾斜はあっても手掛かりが大きく何とかなりそうだった。

その前にはドイツでクルト・アルバートが開いた九級の岩場を見学して、その付近の岩場で知り合った人たちから情報を入れたのだった。一組はチェコからの家族で、如何にもこの辺りが、丁度プファルツがフランスの国境にあるように、東欧からの訪問客が多いのだ。

そして谷の下に降りて、渓谷の左右に直接ある岩壁群を探索する。結局見つけたのはピュットラッハーヴァンデだった。七級から九級までの垂壁もしくはオヴァーハング交じりの壁である。高さも30Mあるので十分だ。其処で出会った家族ずれはローティーンの少年からおばあちゃん格まで全て5.12を登っていた。我々の地域では考えられない強さである。

ミドルティーンの少女は5.13の垂壁を完璧にこなしていた。弟はオヴァーハングの5.12bを、お婆ちゃんはハングを超えて降りてきた、お母さんで降りてきた、長女は5.12をこなして、最後にボーイフレンドがそのオヴァーハングの用具回収に登らされていた。

なるほどお母さんが言うように、プファルツは中間支点がないから自分で設置をするのが大変なのだが、ここならば室内壁の実力を示しやすい。だから、レッドポイントが生まれたのである。なぜならば中間支点にその都度ぶら下る必要がないからである。

バンベルクの北の方から来ている地元の家族であるが偶然に投宿した宿のレストランに食事に立ち寄ったので再会した。こちらの動機付けのために冬のトレーニングなどを聞いた。室内壁を使って、室内と同じような難度を外で登っているに過ぎないようだ。勿論それでよいのだが、雑食砂岩では室内壁のようなオヴァーハング登りが出来ないのである。オヴァーハングがあっても庇の割れ目を登るか巻く形になるからである。そして何よりも手掛かりが違う。

ボールダーの重要さと同時にこうした登りの価値も再認識する。石灰の岩壁は技術的には難易度は高くはないのだが登りつけていないとその難易度には至らない。バーデン・バーデンで代用とはなるが、室内壁でその難易度に至らなければ意味がないだろう。そもそもあるパインクライミングにはある程度の難易度がこなせれば十分なのだが、ドロミテなどで大岩壁を登ろうと思えばやはりスポーツクライミングであの程度登っていないと余裕がない。



参照:
フランケンのオーバーハング 2014-08-05 | アウトドーア・環境
フランケンの神戸ビーフ? 2014-08-03 | 料理
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意味ある大喝采の意味

2014-08-06 | 文化一般
承前)フランケンのスイスから「ヴァルキューレ」のためにバイロイトに向かう。途上、昼食を摂る場所を探した。我々からするととても田舎なので ― 夜更けに帰る時に恐怖感を覚えるほど誰も居ない空間なのだ ―、適当なところが見つからなかったが、バイロイトが近づく前に街道沿いの廃線になった鉄道脇に涼しそうな場所を見つけた。とは言っても、ビーアガルテンでもなく只の駅前食堂のような所だ。テラスには地元の年寄りや街道を走る車の運ちゃんなどが座っているフランス辺りにありそうな光景で、それはバイエルンとフランスに共通する田舎らしさである。

予想通りメニューには軽食しかなかったが、腹が減っているからと入り口で話していると、厨房の小母さんが「昨日のザウワーブラーテンがあるけど」と言うので喜んでそれにする。いかにもこの手の店らしくまともなものが食せるとは期待しないが、テラスに座っていると、その小母さんが出てきて、団子がまだ残っていると言うのでヌードルにするかどうするかと尋ねてくる。何か残り物ばかりを食わされそうだが、折角のお勧めなので従う。最初はヌードルと思ったが、ジャガイモ団子にした - まだ食していない、まさしくこの地方の名物料理なのだ。

そして出てきたのは、山小屋でも出てくるような感じの普通のそれなのだが、結構ジャガイモ団子が粘っていて餅のようで美味いのだ。喜んで食べるとソースは足りるかとまたお勧めしてくれるが、十分だ。ヴァイセビアーも冷えていて美味い ― ミュンヘンのそれと違ってこの地方は結構ビールを冷やして出している。昔バイロイトの町で飲んだのも冷えていた記憶がある。だがサラダの酢が恐らく麦酢で可也きつく私にしては珍しく残した。

腹いっぱいになって満足していると、小母さんがやってきて、バイロイトのフェスティヴァルの話になる。色々な世間話をしたりしていると、無愛想な爺さんまでが鉄道が廃止になった理由を教えてくれた。テラスにはそこを通過する自転車の観光客などが居ただけで、交通量も少なく本当に長閑な国道沿いなのだ。雷雨が予想されることを話して支払いを済ます。殆どのメニューが3ユーロほどのものなので、もはや我々の地域ではハイキングの途中でも食べられない額の食事である。だからこれだけ食べて13ユーロしか支払わなかった。

その後一時帰宅して、二泊後、最終日の楽劇「神々の黄昏」の前に、同じように終演後の帰宅を考えて食事を考えた。経路は若干違ったのだが土地勘があるので、結局その小母さんのところに行ってみようと思って立ち寄った。「また来たよ」と行くと親爺はいつものように無愛想を決め込んでいて、また厨房に聞こえるように今度は通常の焼きソーセージ二本を注文する。

すると今度はまた小母さんが出てきて、「三本とか四本に出来るけど」と言うのでそうして貰う。更に「ジャガイモつけようか」と尋ねるので有難くそれに従う。私自身旅行でどたばたしているので、最初のときに何を話したか良く覚えていないのだが、終演後に三時間ほど走るので腹拵えをしたいことも話していたようだ。なるほどこの地方の焼腸詰はニュルンベルガーに代表されるように細く長いのだ。これなら二本では足りなかった。さらにジャガイモも焼き目が入っていてとても美味であった。大変満足して十分に10ユーロ支払いをする。これでやっとのこと原材料の三倍の売り上げは上げれただろう。

そして、「月曜日は雷雨が酷かったでしょう」と尋ねるので、記憶があまり定まらないまま「そうそう、ヴァルキューレのときは雨で、外に出られずに、ピクニッックも出来なかった」と話すと、彼女が隣に座るのであまり長話は出来ないと思い「買い物に行かなければ行けない」と言うと、TVで観たというのだ。普段ならばあまり祝祭訪問の人も立ち寄らない場所なので、いつもより関心をもってローカルニュースを観たのだろう。「今日は最終日で、終わったら、また自宅へ戻るんだ」と話すと、「神々の黄昏はいつもよりは長いわね」と言うので、「買物に行く」と立ち上がると、「家に帰ってからの用意ね」とよく分っているのだ。勿論ピクニックの用意でもあるのだ。

ザルツブルクの音楽祭と全く異なるのは、あの町周辺の人たちには観光収入源としての音楽祭であるが、このバイロイト周辺の人には地元の祝祭であることだ。スーパーに出かけても、宿泊地でも可也の距離があるにも拘らずそれらしき客を認めると、訪問客だと直ぐに認知する。その仕方が上の小母さんのそれではないが、巡礼的な意味があって、とは言っても全く宗教とかドグマとはかけ離れたそれが定着しているのに気が付くのである。その通り我々の税金がそこに注入されている訳で、決してエリートの物見遊山であってはならないのである。

ドイツ連邦共和国ほど劇場が林立しているところはない。それがたとえ音楽劇場であろうとなかろうと同じである。そこではミュージカルも公演されるようになっているが、基本は商業演劇として成立しないものが税金を使って公演されている。ヴァークナー音楽祭もその一つと考えて差し支えない。こうした広範な人がティケットを申し込むからなかなか協会員以外には廻ってこないのは当然であろう。

私は、今回の指輪に関しても上の食堂の小母さんがこれを観劇したらどのように感じただろうかと想像してみる。そこがドイツの劇場の基本である。革命家の楽匠が目指したものもそこにあるのだろう。ドイツにはフランスの革命精神はないが、こうして劇場の教養があるのだ。その教養とは、特定のドグマやイデオロギーに洗脳されたり教え込んだりするべきものではない。それはアナーキズムに関しても然り。

フランク・カストルフとキリル・ペトレンコが最後に大喝采を受けたものは、そのようなものだったのだ。全く飽きさせずに、欠けるものの無い指輪の上演。ヴィーラントも為しえなかった余すことのない実現化、ベームの指揮のいつもの無理強いの一貫よりも柔軟に舞台と対話する。要するにここにネガ像として描かれているのは68年に否定された世代であり思潮なのだ。それ以前では、ナチ高官のティーテン演出のものが気になるぐらいで、その他のコジマやヴォルフガンク・ヴァークナー演出、ハリー・クッパーなどが挙がるが、指揮者のクナッパーツブッシュ、ケムペやカイルベルト、ショルティ、マゼールなどは全て想定内である。歴史的観点から、初演、ヴィーラント・ヴァークナーの二度目とパトリス・シェローのものに続いて、今回のカストルフ演出が思い出されるときに必ず舞台美術以上にぺトレンコの指揮が回想されると言う批評は事実であろう。

バイエルンの放送協会は、初日を生放送して、その後も全て録音中継する。来年は録画の可能性も否定できないような状況になってきている ― FAZの文化欄は熱心に指揮者がこの制作から降りることを噂として書き、そうした実現化を否定する。そしてその放送の前宣伝で、カストルフが「専門家は批判するが、子供には理解できるよ」と語る。子供向きではないのは確かなのだが、短い言葉で、「眼鏡を掛けたミーメの企みと学習」の演出ではないが、ここで表現したのはそうしたスノビズムへの挑戦であり、本来の創作も祝祭劇場もそのようなものであったことが分ったのが、今回の一番の成果なのである。

最後に、祝祭劇場の今年から市が集金するようになった駐車場を通る近所の小学生の言葉を書き留める。自転車を漕ぎながら友達二人が話している「祝祭は嫌いだよ」、「だって、みんな、黒い服着ているだろ」。この会話以上に今回の演出の神髄を表わしている感覚は他に見つからない。因みにメルケル首相は最終日には多色の服を合わせてきたそうだ。


ミュンヘンからのネット・ラディオ放送予定
8月5日 「ヴァルキューレ」
8月12日 「ジークフリート」
8月16日 「神々の黄昏」



参照:
私の栄養となる聴き所 2014-07-14 | 音
ヴァークナー熱狂の典型的な例 2014-07-26 | 音
正統なアレクサンダープラッツ 2014-08-02 | 文化一般
石油発掘場のアナ雪の歌 2014-07-30 | 音
やくざでぶよぶよの太もも 2014-07-29 | 音
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フランケンのオーバーハング

2014-08-05 | アウトドーア・環境
フレンキッシェユラの岩場については書くことが沢山ある。しかし資料を集めてから出かけたわけではなので、なかなか纏まらない。調べたりすることが多過ぎる。それでも先ずは大まかな旅行記として書いておこう。

手元には僅かな資料しかなかったので、それを基にして、ホテルにチェックインする日曜日の十三時までに岩場を見学した。そのために五時前に起きて、六時過ぎに出発したのだった。夜の公演に合わせて、十五時頃にはホテルを出るので、空いているアウトバーンを飛ばして時間を作った。

ヴァインスベルクを過ぎて暫くするとバイエルンなので車も少なくなり走り易くなる。ニュルンベルクから降り口までは早かった。そこから車の通行も殆どない田舎道を走る。岩場や洞穴で有名なポッテンシュタインに着くと奇岩が国道が通る谷の両岸に並ぶ。

問題なく宿の町へと車を走らせ宿の場所を確認後、再び谷へと降りていく。そこから川の上流の方へと入ると暫くして駐車場にクライマーを見つけた。丁度十時頃になっていたので、多くが登り始める時刻である。そこで資料を写させて貰ったり、トップロープを掛けやすい岩場を教えて貰った。

そしてそれを目指して行くと駐車場には既に車が大分あって、野原を渡るクライマーに声を掛けた。後から分ったのだが、彼らはポーランドから来ているようだった。難易度5.13を登りに来ていた。彼が克服するところは席を外していて見れなかったのだが、余裕をもって登っていたようで可也の技術力は感じ取れた。確保してくれると言ったが、その夜に公演があるので、厳しいことになると思って辞した。たとえ私が挑戦しても5.12が限度だろう。先ず技術がない。

その岩場は本当に高さは低いのだが結構横に長いので可也のルートがあり人気の岩場であるのは分った。技術難度にして5.11ぐらいが多いが、5.7から少なくとも5.13まであるのだ。あの周辺に住んでいたら間違いなくこの程度のものは頻繁にこなしていただろうと感じた。兎に角、石灰特有の手掛かりと乾いた感じが気持ちよかった。その後、昼飯を岩場で頬張ってから、ホテルにチェックインしたが、なにも登らないでも結構汗を掻いたのだった。

翌日は、バイロイトへの途上で岩場の場所の確認をした。帰宅後、再度の滞在では、先ずはポッテンシュタインにあるクライマー団体の情報立て札を写真撮影して、その他の岩場の場所等を確認する。

最も目指していたのは既に事故で亡くなったクルト・アルベルトがレッドポイントを設定した岩場やルートの見学である。なるほど石灰岩は確りとボルトを埋め込めるので、それだけ中間確保用に打ってあれば、それに乗りかからないことが重要になるのは当然である。このあたりは雑食砂岩の自ら中間支点を設置していく岩場とは大分事情が違う。どちらがスポーツクライミング向きかと言えば明らかだ。しかし、この地方のクライミングの真髄はまた一寸違ったところにあったことを、一日中探し回って、ソロで試し登りをして分った。(続く)



参照:
煙に捲かれるナルシスト 2010-05-23 | 生活
キリストの昇天に飲む「神の棺桶」 2010-05-19 | ワイン
農民国から帰宅する都会人 2010-05-17 | アウトドーア・環境
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阿呆のギャグを深読みする阿呆

2014-08-04 | 
やはり記憶が新鮮なうちに書き留めておかないといけないのは楽劇「神々の黄昏」についてだ。写真が示すように、演出家のカストルフもブーイングを悠々と浴びていた。なにか手で示していたが、インタヴューを読むと分るのだろうか?いずれにしても悪役を一手に引き受けていたが、一部の支持者どころか可也のブラーボーも飛んでいた。今回分ったのだが、バイロイトの聴衆は、その他の音楽祭のエリート層とは異なり連邦共和国のごく普通の劇場訪問者層なので人気投票のようなところがある。それは一部の新聞評でも指摘される。しかし、もはや肯定的な反応が殆どとなってしまったのには意味がある。

その中で一人だけ大分得をしているのが指揮者ペトレンコで、また多くの歌手も可也得をしたようだ。徹底的に甘えた声で歌ったジークフリートは損をしたかもしれないが、カーテンコールでおどけた姿を見せていたので、なかなかつぼに入っていたということでもあろう。大変な経歴になったことだろう。

カストルフほど細かく台本を読んでいれば、指揮者はその舞台を助けに思い切って楽譜を読むことが出来る。第三幕冒頭のラインの乙女たちの歌への繋がりは、最初の「ラインの黄金」に対応していて、「フィナーレの始まり」と大見得を切るようなブルックナー効果が示されるところだが、その前夜祭の冒頭のそれ以上にその音楽的効果にはぞくそくとさせられた。ジークフリートの角笛が響き、陽の出を思わせるかのあの情景に張り巡らせられた「苦悩の動機」などの究極の音楽表現をここまで完璧に示せたのは、薄汚れたたようなオールドタイマーのメルセデスのトランクに死体を放り込み手の血のりを拭うラインの娘たちがいたからだ ― ここだけみてもこの演出が音楽と台本に如何に忠実かであるかが示されている。

その光景は殆ど喜劇的なつくりで、まさしく武のヤクザ映画でおなじみの場面なのだ。楽譜を引っ張り出してみれば分る筈だが、そのように作曲されているのである。あの薄汚れ感は今まで聞いたことのない音楽表現であり ― 反面最初のノルン三重唱は街中のブーデュー教のアジトで血ぬられていたが、音楽的にそのもの裏町効果を逸脱するものではなかった ―、初めてヴァークナーの音楽の本質に触れた気持ちがした ― そういえば「ジークフリート」でのドビュシーを越えて全く表現主義的な音楽表現は、ここに来てグスタフ・マーラーの萌芽を見せるのである。そうしたときに必ず舞台では相応の演出が為されていることを中々専門の音楽評論家も気が付いていない。舞台が指揮者を助けて、歌詞に音楽が付いている好例なのだ。

しかし頭でっかちの人はどうしても意味を考えてしまうようだ。例えば最後に覆いが外された建物はニューヨークの証券取引所であったりと、そこになんらかなの意味を探してしまうのだ。私などは完全にバイロイトの建物を感じていたので、同じ角度を探して写真を撮ったぐらいである。恐らく、神々の居所はバイロイトの祝祭劇場だったのだろう。ドイツェバンクでもない、流石にそこまでは挑発は出来まい。ギャグに深読みの意味合いなどを考える方が阿呆である ― カストルフは皆が彼のことを馬鹿扱いすると怒っていたようだが、中途半端な教養があるとどうしても実験劇場的な意味で納得したがるのだ。寧ろギャグはそのまま、挑発行為であるから意味があると、今回のプログラムに執拗に挑発している ― その意味から吉本新喜劇のギャグと変わらないのである。

開演前のベンチでシュトッツガルトのヴァークナー協会員と話したが、ああした保守的な層にとってももはや今回の演出は受け入れられないものではないようで、音楽の邪魔にならなければ良いとする意見が方々で聞かれた。そうしたいい方をする人は決まって音楽を十分に読めない人なのだが、そうした好意的な印象はなんといっても退屈させない演出と進行のお陰なのだ。既に書いたようにギャグや設定に関わらず創作の通りの演出だから違和感が少ないのである ― 上の会員にも寧ろヴィーラントのやり方が如何に本筋から離れていることを示唆したが、当然シェローとブーレーズの制作もあまりにもフランスらしい一貫した論理を主張したものであったかが明白だ。

そして何よりも重要なのは、今回は昨年観劇出来なかった後半の二作のために御忍びでやってきたメルケル首相夫妻ではないが、劇場空間の自足の中にだけ劇場の価値があるのではなく全く正反対に開かれていなければいけないのだ。それはどういう意味か?(続く



参照:
ヴァークナー熱狂の典型的な例 2014-07-26 | 音
正統なアレクサンダープラッツ 2014-08-02 | 文化一般
石油発掘場のアナ雪の歌 2014-07-30 | 音
やくざでぶよぶよの太もも 2014-07-29 | 音
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フランケンの神戸ビーフ?

2014-08-03 | 料理
連邦共和国の中でもっとも高度なスポーツクライミングが行われたフランキッシェシュヴァイツについて報告する前に、そして「指輪」四部作の最終日について語る前に、今回の旅の新鮮な印象を書き留めときたい。

フランケンは、マイン河の上流下流があり、上流が二本の源流から合流する場所である。北から流れるのは白いマインで、南から流れるのが赤いマインとなる。今回滞在したのは赤いマインの支流地域であり、バイロイトに近い。

岩登りの関連で土壌に興味があると色々と気が付くのだ。ホテルなどに飾ってあるのがハーブ類で、尋ねてみると自生しているのだと言う。まるで南フランスのようだ。それほど岩場では気が付かなかったのだが、石灰土壌との関連としか考えられない。

地質的には、マコン当たりからスイスを通って、フランケンに繋がるユラ地方で、なるほど植生は似ているのだが、ここまでハーブに気が付いた場所は南フランス以来である。岩質は似ているが、気候は大分違うのだ。とても不思議に思った。

バイロイトのビール「ライカイム」はヴァイツェンを主に結構飲んだが、品質も良くて美味かった。しかし、メニューには地元のビーフがある。そして、下流のフランヴァインを試した。ドミーナと称する赤ワインである。飲み口はドルンフェルダーにも似ていたが調べてみると、ポルトギーザーとシュペートブルグンダーの交配種らしい。土壌感などは殆ど感じられないので日常消費用で、そもそもフランケンンのワインの品質から考えれば普通であろう。

さて地元のビーフ、聞くところによると地元内でも名称について議論があるようで、依頼したミディアムがドイツ語圏では初めてといってよいほどに本当のミディアムであったので思わず写真を撮った。ドイツ語圏では、フランス語圏のエンテルコートと違って、間違いなく完全に焼けてしまっているからだ。それに頼んだハーブバターソースが全く塩気が濃くないのだ。それどころか薄味なのだ。それで理解した牛はハーブを食していて特別なのだと。

だから、神戸ビーフのことを話して上のことを語った。調べてみると、日本の五井さんと言う人がそこで和牛を増やしているようなのだ。まだ地元の飲食業者もそこまで詳しくなかったがいずれはドイツの神戸ビーフとして有名になる可能性があることを確信した。ハーブが育つ土壌が違うからだ。200Gで19ユーロは、それほど安くはないのだが、ワインとの合せ方や出し方によってはまだまだ金の取れる産物である。



参照:
HERZLICH WILLKOMMEN BEI JURA-WAGYU
Legendäre Kobe-Rinder: Ein Japaner auf dem Bauernhof in Franken
Legendäre Kobe-Rinder in der Fränkischen Schweiz
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