今日あたりは町中で、皆滑りまくっている。滑ると云っても氷雪の上ではない。無事な年越を願う、GUTEN RUTSCHと云う挨拶である。発砲ワインを用意した。年越を過ぎてニューイヤーコンサートへの気分を盛り上げる。
フィルハーモニカーのコントラバス奏者ミヒャエル・ブラデラーがFAZのインタヴューに答えている。米国では馬鹿にされるプログラムを決めるのは86歳になるマイラー教授で、毎年少しづつ新曲を加えていっているが、それでも2100年まではネタが尽きないと云う。今回は、インド生まれのヴィーン子メータ氏が指揮をするが、その希望で「レモンの咲くところ」が曲目に加えられるらしい。その希望は受け入れたが、「発言権が殆どないのが事実だから」と笑う。
それでも十分に準備して 顔 出 し しない指揮者は皆無で、それとは 別 に 楽団員がニュアンスを出して演奏するのは容易くないと供述する。Hum-ta-tasと二拍目を少し前へずらして、旋律線を漂わせるエレガンスを意味する。
小沢氏が振って八百万枚を売り上げた2002年のCDを顧みて、今後はさらに早く現代的な方法で提供できる方法を考えていると、最近ドイツのアーカイヴで新発見されたクレメンス・クラウス指揮1941年初回の録音のHP公開を告げる。リンクから「常動曲」を聞くことが出る。またI-Tunesで各曲30秒の試聴が出来て購入することが出来る。
ニューイヤーコンサートに集まる聴衆も年々国際的になって、特に日本ではプレステージな事のようだと明かされ、「券を買い集めるようなことなどはヴィーンではありえないことだ」と最後にぼつりと呟く。
追記:
GUTEN RUTSCH(グーテン・リュッチュ)が、ヘブライ語の新年祭を意味するראש השנה טוב(ローシュ・ハッシャーナー)から来ていると読むとまた驚かされる。見えない神によって隠された世界が現に存在するかのようである。
フィルハーモニカーのコントラバス奏者ミヒャエル・ブラデラーがFAZのインタヴューに答えている。米国では馬鹿にされるプログラムを決めるのは86歳になるマイラー教授で、毎年少しづつ新曲を加えていっているが、それでも2100年まではネタが尽きないと云う。今回は、インド生まれのヴィーン子メータ氏が指揮をするが、その希望で「レモンの咲くところ」が曲目に加えられるらしい。その希望は受け入れたが、「発言権が殆どないのが事実だから」と笑う。
それでも十分に準備して 顔 出 し しない指揮者は皆無で、それとは 別 に 楽団員がニュアンスを出して演奏するのは容易くないと供述する。Hum-ta-tasと二拍目を少し前へずらして、旋律線を漂わせるエレガンスを意味する。
小沢氏が振って八百万枚を売り上げた2002年のCDを顧みて、今後はさらに早く現代的な方法で提供できる方法を考えていると、最近ドイツのアーカイヴで新発見されたクレメンス・クラウス指揮1941年初回の録音のHP公開を告げる。リンクから「常動曲」を聞くことが出る。またI-Tunesで各曲30秒の試聴が出来て購入することが出来る。
ニューイヤーコンサートに集まる聴衆も年々国際的になって、特に日本ではプレステージな事のようだと明かされ、「券を買い集めるようなことなどはヴィーンではありえないことだ」と最後にぼつりと呟く。
追記:
GUTEN RUTSCH(グーテン・リュッチュ)が、ヘブライ語の新年祭を意味するראש השנה טוב(ローシュ・ハッシャーナー)から来ていると読むとまた驚かされる。見えない神によって隠された世界が現に存在するかのようである。
パトカー、ドンナ・ドンナ、本、などなど
興味深いこと、心に残ることばかりです。
2007年もどうぞよろしくお願いします。
>皆滑りまくる。。。
なんだか面白い。
無事な年越しを願う挨拶、笑ってするのでしょうか?
今年は暖かく雪もないので滑りませんが、隠れた意味もあるとなると語呂も含めて面白いですね。
東京も予定に入っているとのこと、本当に教えていただきありがとうございます
どうか来年が良い年でありますように♪
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/ad057e8fdcea61c1d2d3fb51c6aff672
良いお年を。
第九は、EUや国連や、ローデシアなどを象徴する曲、国家になったりしているとか。もちろんナナさんも 喜びの歌 として歌っています。ニューイヤーは、ウィーンで始まり昨今は日本でもいろいろな楽団の記事が目に付きます。
売らんかなの、商魂もあるのでしょうが、この現象は世界のヒト、ニンゲンにすべて共通する感情の基盤があってこそと、巷の、料理番組と合わせて、Wein,und Gesangの普遍性を想います、、、、、真中はさて???
こちらは初めての「雨」の元旦です。
今年は皆様にも良い年でありますように。
sachiさん、新年も宜しくお願い致します。第九に関して幾つか記事を書いているので引用とリンクを貼ります。これからすると1918年もしくは1927年以前に日本で伝統化しているとは思えないのですが、どうでしょう。
― 年末の第九の歴史を紐解いて、1918年のライプツィッヒの労働運動「友好と自由の集い」での事始めを挙げ、戦争は終結して、君主制を乗り越えた民主主義の勝利が謳われて、アルテゥール・ニキシュ指揮のゲヴァントハウス・オーケストラは三千人の前で演奏したと述べる。更にその伝統は1927年にレオ・ケステンベルクの力でベルリンへと伝播して、1933年にはナチによってプロレタリアートの為の第九の上演は禁止された。 ―
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/eb6e4ba47736848c64368584cb16eaf2
http://blog.goo.ne.jp/pfaelzerwein/e/8a91fa248a301618eb82eb4ee09864ce
「喜びの歌」からその続きをみてみましょう。そこでシラーは、「歓喜を乳房から吸う」としています。ワインも乳房からとするとどうしても母性です。そうなると哺乳類全般共通となりそうですが、全ての生物と云った手前、蛆虫にも気を使っているんですね。この辺りは、シラーの育ちの良さの表れでしょう。
また「茨の道に、口づけを、ワインを、友を見出す」のです。
EUの歌で思い出しましたが、ナナ・ムスクーリがドイツでも人気がある事を誇りとして、EUに広く根をおろしている事を語っていました。その背景には、EUの本質は、決して政治経済域に留まらない、普遍な文化思想としての一体感があるのです。
早速リンク先を読ませていただきました。
なるほど、日本での第九演奏については、あちこちの地方オーケストラ楽団を主体にした、その地域の合唱団合同の大合唱などで盛り上がってきた感があります。歴史の古さというと確かにそんなに昔からではないかと。
いろいろとご教示いただき有難う御座いました♪
BSのニューイヤーコンサート放送をききながら♪♪
本年もよろしくお願いします。
>ニューイヤーコンサート
ここ3年ほど連続でテレビ東京の「東急ジルベスターコンサート」を見ながら年越しをしています。
大晦日の11時過ぎから生中継で
「フィガロの結婚」「トゥーランドット~誰も寝てはならぬ」から始まり、
エルガーの「威風堂々 行進曲1番」の終了と同時に2007年を迎えました。
>日本ではプレステージな事
ある種のステイタスになっているのは確かですね。家族で過ごすことが少なくなっているのも原因でしょう。
コタツに入り除夜の鐘を聴きながら年を越すのは遠い習慣になってしまったのかもしれません。