Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

月の明かりを求めて

2021-10-08 | 文化一般
フランクフルトのオペラの券を購入した。迷いに迷った。夜中から売りに出ていても、知らぬふりをして就寝して、朝になって気になって発券状況を見た。ティテュス・エンゲル指揮の新制作「マスケラーデ」の初日以外の券の発売日だった。初日を一足先に買ったのだが、入場規制でまともな席が買えなかった。だから初日は安い席で観に行く。その後残り席解放になって、アルテオパーでのベルリナーフィルハーモニカー演奏会同様に悔しい思いをしたのだ。

フィルハーモニカーの夏のツアーの表プログラムを、四回目のパリ公演に続いて、五回目を二月おいてフランクフルトで演奏してから、中共に飛ぶのが最初の計画であったのようだ。その公演はフランクフルトの幾つかの定期会員で捌かれていて、気が付いて電話予約したのは五月だった。電話でしか買えなかったのは昨年のキャンセル券との交換の必要があったからだった。多少の手間賃を払って入手可能だったのは舞台から二列目の嬉しがりの席だったが、通路脇で安全で尚且つ指揮を横から観れる席だった。しかし九月に不用な券を使いルツェルンで二列目に座ったので、まさか二回もそれもより高低差のあるアルテオパーで座ったら馬鹿でしかない。どうしても交換したかったから、発売時刻10時から30分ほどかけて電話が繋がるまで、欲しい席をネットでキープしておいた。何とかまあまあの席を確保した。再び手数料必要だが、それでも二回もそれどころかルツェルンのKKLの舞台上の音響が聴けるようなところではない二列目で聴く馬鹿をしないで助かる。世の中には喜んで最前列齧り付きに行きたがる嬉しがり屋もいるので経済は上手く回るのである - 齧り付きで下から補ってまともなバランスで聴ける人はある意味玄人である。

さてオペラの方の躊躇は、指揮者エンゲルの彼の若いころからの音楽をたとえ知っているとはいってもこうした劇場での手腕は知らない。更にペトレンコの職業倫理のような「絶対新制作は指揮する」というものもたとえ個人的にその人柄を知っていてもそれは分からない。そもそも公演が上手くいくかどうかも分からないのに二度も行くだろうか?ペトレンコ指揮の場合はミュンヘンが遠方地であったから二度同一公演指揮を聴いたのは五演目ぐらいしかないのである。エンゲル指揮は今シーズン中に少なくとも三演目は出かける。つまりペトレンコを一シーズンに劇場三演目も聴くことも殆どなかったのである。

しかし最終日にだけ私の狙っていた席が空いていた。これは、やはりお誘いだと感じ、買わないと後悔すると思った。そしてその額と初日の額を合わせても、初日の希望席の価格と変わらなかった。買わずにはいられなかった。

万が一、お目当てのエンゲルが振らなくなったらと思ったのだが、その時は本人にお見舞いと苦情のメールをすればよいと思った。ミュンヘンでは招待して呉れと書くのだ。よかった、いい席を確保した。

先ずは金曜日の「サロメ」で、バリーコスキー演出の音楽への集中はエンゲルの指揮に幸いすると思う。声楽に合わせるのは昔からよかった。女流マルヴィッツ指揮が不発だった制作再演で、是非聴かせて欲しい。私にとっては、それ以上に七月のペトレンコ指揮最後の全てを出し尽くした「サロメ」との比較になる。とんでもなく高いハードルが課されている。ペトレンコと並んで音楽劇場指揮者賞を分け合ったエンゲルであるが、少なくともペトレンコ指揮では聴けなかった音楽を奏でてくれるのではなかろうかと期待が膨らむ。

テキストから「月」がシンボルになったフランス風象徴主義の演出らしい。先週末のシャツをもう一度着て、スーツもブルー系で月の明かりをイメージしたい。
Richard Strauss: SALOME, Oper Frankfurt




参照:
オペラが引けて風呂と酒 2019-07-11 | 歴史・時事
欧州のユダヤ人感への評価 2019-07-08 | 歴史・時事

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