
カーネーギーホールでの三日間に批評がニューヨークタイムズに載っているようだ。プリントで14日付けらしい。一番興味深い記載は、初日よりも三晩目の方が大分よくなっているということである。
先ず初日のマーラーの七番について、六年前の前任者ラトル指揮が最後のアメリカ公演でのプログラムとしていたことから、それとの比較となる。そのラトル指揮は表現意欲満々で屡これ見よがしにまたは発し発しであったが、ペトレンコ指揮となると小柄ににこにことして反意欲のようで、透明さやバランスを整えることに重きが置かれていて、まるで小さな自由な非強制を求めて、まるで指揮台では自分自身の表現を敢えて犯すよりもやり易くするような指揮だったとなる。
ここまで読めばこの筆者ウールフという2015年から編集者で今年から評論となった人の見識が大体分かる。その音楽や演奏に関してのそれは可也限られている。しかし、その様な聴衆でも何を感じたかが我々の興味のありどころなのである。
その木曜日、特にその終楽章の運動性が、重量感である以上に構造の網目の表面の対比によって性格付けされているという事実が明らかになって、一楽章では潤滑油でのスムースさが特筆されて、スポーツカーがそのエピソード間の避けがたく、論理的な大きな差異にギア―チェンジしていたと書いている。
ここまで読めばこの筆者が音楽の藤四郎の、その綴り方自体が下手な編集者だと分かるのだが、それでもこの人の脳を通すとそうなる。
それでペトレンコは透明性を上げ乍ら、屡弦やブラスが被る管の内声を取り上げたりすると、二楽章で琥珀色の管の断片を点滅させて、オーボエとヴィオラの音を磨き、夜のそれを描くべく、ホルンのソフトな呼びかけは月光を呼び込むにはまだ強過ぎるとしている。
この記者がどこで何を耳にしているかはここ迄でよく分かる。
チェロもスケルツォで絹のようにしなやかで、ヴィオラも管の咆哮にフェードオフしていく、四楽章はまさに音色のスタディーであって、フィナーレはオズの魔法使いみたいだと書いている。
多かれ少なかれ、バイエルンの劇場楽団での評判の録音と同じだとしながらも、それよりも良かった木曜日の演奏会。しかしその旨味を失わないで演奏された土曜日に行ってとてもよかったと語る。その演奏は荒くはなっていなかったのだが、その作品の荒々しい、その特殊性は余計に強化されて、絹の柔らかさは其の儘にブラスの明るさもその儘、より激しく、密度を得た。交響曲全部を通してのまた各楽章でのその音楽的な効果がパワーとなって集約されたと書いている。
漸く、全体の流れがこの人にも呑み込めるようにななって来たようだが、細部に関してはまだまだ聞こえていないに違いない。
参照:
The Berlin Philharmonic Gives a Master Class at Carnegie, TheNewYorkTimes on Nov. 14, 2022
耳を掃除してチェック 2022-11-13 | 暦
カーネギーホールライヴ 2022-11-10 | 文化一般
先ず初日のマーラーの七番について、六年前の前任者ラトル指揮が最後のアメリカ公演でのプログラムとしていたことから、それとの比較となる。そのラトル指揮は表現意欲満々で屡これ見よがしにまたは発し発しであったが、ペトレンコ指揮となると小柄ににこにことして反意欲のようで、透明さやバランスを整えることに重きが置かれていて、まるで小さな自由な非強制を求めて、まるで指揮台では自分自身の表現を敢えて犯すよりもやり易くするような指揮だったとなる。
ここまで読めばこの筆者ウールフという2015年から編集者で今年から評論となった人の見識が大体分かる。その音楽や演奏に関してのそれは可也限られている。しかし、その様な聴衆でも何を感じたかが我々の興味のありどころなのである。
その木曜日、特にその終楽章の運動性が、重量感である以上に構造の網目の表面の対比によって性格付けされているという事実が明らかになって、一楽章では潤滑油でのスムースさが特筆されて、スポーツカーがそのエピソード間の避けがたく、論理的な大きな差異にギア―チェンジしていたと書いている。
ここまで読めばこの筆者が音楽の藤四郎の、その綴り方自体が下手な編集者だと分かるのだが、それでもこの人の脳を通すとそうなる。
それでペトレンコは透明性を上げ乍ら、屡弦やブラスが被る管の内声を取り上げたりすると、二楽章で琥珀色の管の断片を点滅させて、オーボエとヴィオラの音を磨き、夜のそれを描くべく、ホルンのソフトな呼びかけは月光を呼び込むにはまだ強過ぎるとしている。
この記者がどこで何を耳にしているかはここ迄でよく分かる。
チェロもスケルツォで絹のようにしなやかで、ヴィオラも管の咆哮にフェードオフしていく、四楽章はまさに音色のスタディーであって、フィナーレはオズの魔法使いみたいだと書いている。
多かれ少なかれ、バイエルンの劇場楽団での評判の録音と同じだとしながらも、それよりも良かった木曜日の演奏会。しかしその旨味を失わないで演奏された土曜日に行ってとてもよかったと語る。その演奏は荒くはなっていなかったのだが、その作品の荒々しい、その特殊性は余計に強化されて、絹の柔らかさは其の儘にブラスの明るさもその儘、より激しく、密度を得た。交響曲全部を通してのまた各楽章でのその音楽的な効果がパワーとなって集約されたと書いている。
漸く、全体の流れがこの人にも呑み込めるようにななって来たようだが、細部に関してはまだまだ聞こえていないに違いない。
参照:
The Berlin Philharmonic Gives a Master Class at Carnegie, TheNewYorkTimes on Nov. 14, 2022
耳を掃除してチェック 2022-11-13 | 暦
カーネギーホールライヴ 2022-11-10 | 文化一般
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