Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ヨハネ受難曲への視点

2014-04-19 | 
ヨハネスの受難曲を聴いた。前回大変失望したグルノーブルのグループを芸術監督のマルク・マンコスキーが振ったものである。本来ならばフランクフルトまで出かける価値が無いのだが、一週間以内にバーデン・バーデンの復活祭音楽祭で同じ受難曲に接するので勉強のために出かけたのだった。

始まりの管弦楽を聞いてこれは価値があったかと思ったが、それは期待が高まり過ぎだった。それほど面白いバランスで管と高弦と通奏低音を鳴らせるのならと思ったのだ。それは、一般的には弦が通奏低音に乗って、管がそこに沿うという形になるのだが、小さな編成でもありそれがこの演奏会を通して独特の通奏低音感覚を示したことは事実であろう。

そして、合唱を用いずにソリストに全てを歌わせる経費削減は良いのであるが、それがコラールの強調としてその表現力として使われるのがこの指揮者の処方箋であったのだ。

しかしそれが何を示すのかは分らないが、この受難曲オラトリオの歴史的な背景をおさらいしておくことが必要であろう。1724年の初演から何回も手が加えられていて、少なくとも四種類の版があるようだ。一般的には最終版の管弦楽も大きくなっている版が演奏されるようだが、手元にあるとても優れた録音でヘルヴェッヘが1725年版を利用している。

大きな相違として最初の合唱

Herr, unser Herrscher



O Mensch, bewein dein Sünde groß

に取り替えられているのに始まって、

Wer hat dich so geschlagen

のあとに繋ぎとして挿入されていたソプラノとバスのアリア

Himmel, reiße, Welt, erbebeが後に省略されている。

ドラマティックな

Zerschmettert mich, ihr Felsen und ihr Hügel

が 

Ach, mein Sinn

と内省的な歌に替えられている。

Ach windet euch nicht so, geplagte Seelen

も 

Betrachte, meine Seel Erwäge, wie sein blutgefärbter Rücken

と替えられている。

Ach Herr, laß dein lieb Engelein 

のあとに続くカンタータ (BWV 23) 由来の

Christe, du Lamm Gottes   

が終曲に残されている。

その他、エヴァンギリストのそれも短縮されているようだ。第二版の変化は、年間を通してのカンタータ集の完成と相前後していることからと書かれている。またその後の版の変化は、マタイ受難曲の影響が大きいとされる。

それは、一つにはピカンデルとの共同作業を通しての受難曲オラトリオとしての芸術的な発展であったとされる一方、伝統的な前任者ヨハン・クーナウのやった仕事から離れていくことを指している。同時に、そもそもの依頼条件である、オペラティックになってはならないという必要条件を満たすための創造的な活動であったことは間違いない。

さて、こうした視点から観察すると、第二版の差し替えは全くされずに終曲のみが付け加えられている今回演奏された版は、何版なのだろうか?それは定かではないが、全体の印象は次のようになる。

具体的にアクセントを強くした運動性の良い現代的な通奏低音に対して、合唱自体もソリスト的に歌われて始まるのだが、そのディクテーションなどがじっくりと練られていなければ全く表現力を持たないことになり、ばらばらの印象しか与えないのである。これが個々の集まりとしての所謂テュルバと呼ばれる聖書に登場する群集以外のコラール合唱の強さを示すぐらいの読み込まれ歌い込まれたものであれば、丁度ヘルヴェッヘのゲントのそれに近くなったであろう。つまりそれは言葉の強さも失い、合唱の表現力を悉く失うことになる。冒頭の合唱で全てを失っていたのである。

その反面なるほど淡々と語り続けるべきエヴァンギリストの伸ばすくだりなどは強調され、ミンコフスキーの身振りなどもどこかオペラ的な効果を見せるものであった。それはそもそもの依頼目的とは異なるものであることは間違いないのだが、そこで態々付け加えている終曲のそれがそのものカトリックのアニュスディであることを思い起こさせた。しかし、そこから導き出される全体像が明白でないのが歯がゆく、失望を強くさせるのだ。

今晩は、生中継されるバーデン・バーデンでのヨハネによる受難オラトリオである。期待するのは、まさしくどのような版を採用するかと言う以上に、ピーター・セラーズとサイモン・ラトルの協調での上の件に関する明白な提出なのである。(続く)



参照:
期待してなかった以上の収穫 2012-03-20 | 音
18世紀啓蒙主義受難曲 2007-03-22 | 音

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