バウハウス運動と言うのは、建築やデザイン美術に興味のある者なら避けて通れない運動である。少なくともそこから飛び立った錚々たる名前だけでも知らぬ人は少ない。その反面、その運動のその後における発展と消滅、影響については充分に認識されているのだろうか?このサイトのコメント欄においても触れる必要が出て来たことから、この運動をもう一度考えてみたい。
最近からの視点と言う事では、東西統一後にバウハウス運動発祥のヴァイマール市での高等専門学校の開校式の祝辞を見ることで多くが知れる。
先ずはオリヴェッティー社での業績で有名な建築家で工業デザイナーのエットーレ・ソッツァース氏の行った「デザインは習う事が出来るかと?」と題された記念演説を読もう。「グロピウスからミース、クレーからカンディンスキー、ファイニンガーからイッテン、モホリナジからシュレマーが試みて、挑発したものは、何時も私の手元に書物としてありました。…そして私たち全ては、彼らの発明や社会的直感、そして文化やユートピアへの道を良かれ悪しかれ歩んでいるのであると思うのです。…グロピウス、クレー、カンディンスキー 、ミースやバウワー等は、同じヴィジョンを持っていたのです。それは、社会の動きから個人の其れへ、自然から芸術へ、高度に発達した文明から原始的な文明へ、宗教的なものから科学的なものへの進展の歴史を推し進めると言うプロセスの合理化へのヴィジョンであったのです。我々が日常戦っている未知のもの -それは無知の影であったり、不確かなものであったり、懐疑であったり、曖昧であったり、カオスのようなものであったりするわけですが-、それら全てを白紙に戻そうとしていたのです。」
この様に、この運動が強制的に終結される1933年ファシズム下のイタリアでバウハウス運動に手に汗握った16歳の建築学生が六十年後の1993年に語った内容には、今日の我々にとって思い当たる節の多い現代のキーワードが次から次へと散りばめられている。
そして歴史や社会を基礎においた方法や姿勢、コンセプトを発見するのをこの錯綜が不可能にしたという。「そしてこれらが何とか非常に実際的な方向で、公共的な意識下にデザインされて、我々の実存をはっきりと映し出して見せる事になるのです。それは、何の障害も無く受け入れられて繰り返し繰り返し定義され、新たに改正されて、図示化されて、利用されて行くのです。これは、生活を肯定的に進めて行くだけでなく、それどころか大量殺戮への判決を正当化して行くのです。」
そして、ヴァイマールスクールにある合理性を論ずる。氏に言わせるとそれはジャガイモを煮るようなもので、如何に平衡した感覚で短時間に見渡せる限りにおいて、それを自己納得して行けるかどうかと言う事になる。つまり、経済上の建物や飛行場をガラスや鉄で作る構想や原爆の威力の計算をする様にである。「ここに発生するハプニングに我々は、その合理性を見つけて光栄に感じるであろう。」と、他空間に介在する解決不可能な問題「Wicked Problems」を皮肉に満ち溢れながら、破局の理論へと導く。そしてこのようなアカデミズムを含む幾多に及ぶ分野において、その理性が探求した合理においてこそ我々の実存と言うものが朽ち落ちてしまっていると考える。
それでは、どのような形でその破局が遣って来るのだろうか。その内容を掻い摘む前に、その後の発展を垣間見てみる。ベルリンの博物館に展示してある様にバウハウスのアイデアは実際に現実化して、現代的で合理的な社会住宅群が計画され建造された。現在のブロックと言われる高層住宅の奔りでもある。同様にそのような建造物ではない一戸建建物を主とした新興の町を作るという田園都市構想も盛んになって行く。
これらの動きがインフレ戦争債務とニューヨークの投機市場の暴落などによる致命的世界恐慌でブレーキが掛かる。更にナチの台頭によるバウハウスの閉鎖は、第三帝国での建造物が全く新たな明白なヴィジョンと目的とコンセプトを以って「合理的な建設」へと推移して行く事を示す。これは、後年のヒットラーによるゲルマニア構想に知れる通りである。
ここで我々は、この運動の流れと並行していた現象に、はたと気が付くのである。それは、解決不可能な問題をナチスが最終解決の名の下に、輝くばかりの合理と効率を追求した企業家とエンジニアーの問題でもあった。それに関しては、ここでもヴァイマールのブッヘンヴァルト強制収容所の話から貴重なコメントを寄せて頂き幾らかの情報を得る事が出来た。また今日から見たナチ協力者が取った当時の行動も、もう少しバウハウス運動の内容を詳しく見て行く事で、更に良く理解出来る。(目的に適ったマニュアル [ 文化一般 ] / 2005-12-04へと続く、都市環境を考える第二話)
参照:
再生旧市街地の意義 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-11-20
強制収容所の現実 [ 歴史・時事 ] / 2005-01-26
IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20
工業化された時間のデザイン [ 文化一般 ] / 2005-04-02
最近からの視点と言う事では、東西統一後にバウハウス運動発祥のヴァイマール市での高等専門学校の開校式の祝辞を見ることで多くが知れる。
先ずはオリヴェッティー社での業績で有名な建築家で工業デザイナーのエットーレ・ソッツァース氏の行った「デザインは習う事が出来るかと?」と題された記念演説を読もう。「グロピウスからミース、クレーからカンディンスキー、ファイニンガーからイッテン、モホリナジからシュレマーが試みて、挑発したものは、何時も私の手元に書物としてありました。…そして私たち全ては、彼らの発明や社会的直感、そして文化やユートピアへの道を良かれ悪しかれ歩んでいるのであると思うのです。…グロピウス、クレー、カンディンスキー 、ミースやバウワー等は、同じヴィジョンを持っていたのです。それは、社会の動きから個人の其れへ、自然から芸術へ、高度に発達した文明から原始的な文明へ、宗教的なものから科学的なものへの進展の歴史を推し進めると言うプロセスの合理化へのヴィジョンであったのです。我々が日常戦っている未知のもの -それは無知の影であったり、不確かなものであったり、懐疑であったり、曖昧であったり、カオスのようなものであったりするわけですが-、それら全てを白紙に戻そうとしていたのです。」
この様に、この運動が強制的に終結される1933年ファシズム下のイタリアでバウハウス運動に手に汗握った16歳の建築学生が六十年後の1993年に語った内容には、今日の我々にとって思い当たる節の多い現代のキーワードが次から次へと散りばめられている。
そして歴史や社会を基礎においた方法や姿勢、コンセプトを発見するのをこの錯綜が不可能にしたという。「そしてこれらが何とか非常に実際的な方向で、公共的な意識下にデザインされて、我々の実存をはっきりと映し出して見せる事になるのです。それは、何の障害も無く受け入れられて繰り返し繰り返し定義され、新たに改正されて、図示化されて、利用されて行くのです。これは、生活を肯定的に進めて行くだけでなく、それどころか大量殺戮への判決を正当化して行くのです。」
そして、ヴァイマールスクールにある合理性を論ずる。氏に言わせるとそれはジャガイモを煮るようなもので、如何に平衡した感覚で短時間に見渡せる限りにおいて、それを自己納得して行けるかどうかと言う事になる。つまり、経済上の建物や飛行場をガラスや鉄で作る構想や原爆の威力の計算をする様にである。「ここに発生するハプニングに我々は、その合理性を見つけて光栄に感じるであろう。」と、他空間に介在する解決不可能な問題「Wicked Problems」を皮肉に満ち溢れながら、破局の理論へと導く。そしてこのようなアカデミズムを含む幾多に及ぶ分野において、その理性が探求した合理においてこそ我々の実存と言うものが朽ち落ちてしまっていると考える。
それでは、どのような形でその破局が遣って来るのだろうか。その内容を掻い摘む前に、その後の発展を垣間見てみる。ベルリンの博物館に展示してある様にバウハウスのアイデアは実際に現実化して、現代的で合理的な社会住宅群が計画され建造された。現在のブロックと言われる高層住宅の奔りでもある。同様にそのような建造物ではない一戸建建物を主とした新興の町を作るという田園都市構想も盛んになって行く。
これらの動きがインフレ戦争債務とニューヨークの投機市場の暴落などによる致命的世界恐慌でブレーキが掛かる。更にナチの台頭によるバウハウスの閉鎖は、第三帝国での建造物が全く新たな明白なヴィジョンと目的とコンセプトを以って「合理的な建設」へと推移して行く事を示す。これは、後年のヒットラーによるゲルマニア構想に知れる通りである。
ここで我々は、この運動の流れと並行していた現象に、はたと気が付くのである。それは、解決不可能な問題をナチスが最終解決の名の下に、輝くばかりの合理と効率を追求した企業家とエンジニアーの問題でもあった。それに関しては、ここでもヴァイマールのブッヘンヴァルト強制収容所の話から貴重なコメントを寄せて頂き幾らかの情報を得る事が出来た。また今日から見たナチ協力者が取った当時の行動も、もう少しバウハウス運動の内容を詳しく見て行く事で、更に良く理解出来る。(目的に適ったマニュアル [ 文化一般 ] / 2005-12-04へと続く、都市環境を考える第二話)
参照:
再生旧市街地の意義 [ アウトドーア・環境 ] / 2005-11-20
強制収容所の現実 [ 歴史・時事 ] / 2005-01-26
IDの危機と確立の好機 [ 文学・思想 ] / 2005-04-20
工業化された時間のデザイン [ 文化一般 ] / 2005-04-02
対談をしている中で、デザインの歴史や深さを知り、とても興味深く感じて居ります。
こちらのブログもとても参考になります。
今後共、時々寄らせて戴きます。
シラーの歓喜に寄せて [ 文学・思想 ] / 2005-12-18
こちらこそ宜しくいお願い致します。
建築やデザインにおける歴史上の動きについて大変興味深い内容です。
これからも折に触れ読ませていただき、勉強していきたいと思っています。
大変アクティヴに音楽に関わっていらっしゃるようなので、こちらからもコメントさせて頂きます。こちらこそ宜しくお願い致します。
バウハウス運動なんてあったんですね(無知ですいません)
これからはこちらのブログで勉強させていただきます♪
今年も宜しくお願いします。
こちらこそ、宜しくお願い致します。