Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

制作者の目、その選択

2023-09-29 | 文化一般
雑誌「オペルンヴェルト」の昨シーズンのアンケート結果が発表された。またもや昨年の指揮者はバーデンバーデン復活祭で「影のない女」を指揮したキリル・ペトレンコとなり、ティテュス・エンゲルの二回目の授賞とはならなかった。並列にもならなかったのにはそれなりの原因があるだろう。

その他目ぼしいところでは、「戦争と平和」が昨年の最高の上演となり、座付き楽団もミュンヘンのそれが授賞した。演出家も「戦争と平和」のチェリカノフの授賞でこれは妥当だろう。

それで分かるように、ウクライナ侵攻で時事に合わせた演出の修正を余儀なくされたことが評価にも結び付いた。それに引き換え「アシジの聖フランシスコ」には時事性が欠けていたのだろうか?

先日放映された新制作「アシジの聖フランシスコ」のドキュメント「鳥と歌う…」を一時間かけて観た。想定されていたような聴衆の体験を映像化するには至らずメーキング映画になっていた。勿論それを観ることでそこで体験した人々はそこで何が起こっているのかは回想できるのだが、一般の視聴者にとってはどうだろうかとなる。

例えば、環境問題に対する姿勢も聖フランシスコの詩や行いを越えてどれ程のメッセージ性があったかが疑問となる。その後にルツェルンで指揮台が狙われるとなるならば、余程のことをしないと主張を鮮明にすることは難しい。番組においても衣装を市内から集めというような説明はされているのだが、上演を通してその環境に配慮というような主張を通すことは難しく感じた。

しかし、主目的な野外音楽堂迄皆が歩いて少し苦労をして至るという行いに意味があったことは示されている。聖フランシスコが山へと登る時について来た者の喉が渇き泉を出現させて、そして聖傷へとの逸話を思い起こさせる。その様な観想の情景が幾つかそこに映される。

ある意味この演出が所謂読み替えなどとは程遠いリアリスティックなもので、体験を通してという現代的な哲学に組している。やはり環境テロとは一線を画している。高度な芸術はそれでよいのだ。

同様なことは音楽的な行いについても全く同じであり、そこで映されているのはなによりもシロフォンなどの打楽器と厳密な練習を行って、それを各パートに繋げていくということをエンゲルが語っている。なるほどそれはメーキングの行いでもあるのだが音楽表現として最も基本的な行いでもある。

そうしたことをしっかり評価できる人が少ないのである。音楽ジャーナリストや評論家と呼ばれるような人は制作の現場をあまりに知らな過ぎる傾向があり、正しく芸術を評価することが出来ないという結果を生じさせている。

番組は、何度か話してその笑顔を絶やさなかった制作主任のジルヒャー女史を中心に据えてドキュメントを綴ったのはまさしくそうした制作者の目であり、選択なのである。



参照:
八時間に及ぶ千秋楽公演 2023-08-09 | 音
天使が下りてくる歌劇 2020-09-29 | 音

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