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Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

外国国歌を起立して歌う馬鹿

2022-03-15 | 文化一般
バーデンバーデンの空き室情報を見た。復活祭中にも例年にはないほど空いている。少なくとも二年前の最初の中止の前の状況より悪い。海外からの足は遠のき、その代わり近隣欧州諸国からの訪問者は増えたという。しかし団体旅行などのマスはこなせない。

なによりも実質上の復活祭の芸術監督キリル・ペトレンコの知名度は前任者のラトルにはまだ到底及ばない。そういうところにメディアとの繋がりの差が出てくる。だからせめて登場する歌手ぐらいはビッグネームとか大人気ものが求められていた。目玉だったアスミク・グリゴーリアンのキャンセルで追加の集客力はあまり期待されなくなってしまった。少なくとも彼女がSWRなどのインタヴューを受けたりしていればフランクフルトやミュンヘン辺りからも見込めたのだった。

さて、通常は地元の放送局SWRで前宣伝を兼ねて、三月には復活祭関連の番組が並ぶはずなのだが、なぜか4月17日復活祭初日と18日二日目に昨秋の延期されたミニ復活祭の番組が並ぶだけとなっている。これでは宣伝効果は全くない。どうしてこのようなことになっているのかは分からないのだが、考えられるのは映像のパートナーである独仏共同文化波Arteが予定されていた通り上の同時刻に新制作「スペードの女王」最終日を生中継するのかどうかが関心の集まる所である。

少なくとも日曜日のドレスデンからのオペラ中継の番組では三月末の予定しか明かされずに、含みが残されていた。理由は分からないのだが、通常ならば追放される指揮者のティーレマンが最後にザルツブルクでオペラを振るのだから、何もまだドレスデンで公演があるそれもヴェルディの「アイーダ」を中継する必要などはなかった。意味不明であり、演出も危なっかしいもので、中継に出てきていたタイラー支配人の話しぶりも優柔不断な感じで解せなかった。結局ティーレマンの就任且つドルニーの左遷には州の政府がそのまま係わっていただけで、上が代われば全てが変わるという機構になっていることがよく分かる。そこには西ドイツにおける我々のような騒ぐ人間がいないということで、まさしく芸術的な社会程度の低さを其の儘露わにしている。

「アイーダ」が戦争を扱っているといってウクライナ国歌を演奏して起立するシーンは馬鹿そのものであって、私がいればブーを上げ続けていたと思うが、私達のような感覚の人間はそんな催し物にはそもそも行かない。それがセンスの差なのである。

さて、バーデンバーデンもそろそろ来年のプログラムが正式に発表される。ロシア音楽から一挙に大テーマは変わり、リヒャルト・シュトラウス「影の無い女」を中心にシュトラウスに何が混ぜられるのか。昨年のモーツァルトが再び取り上げられることがあるのかないのかなど、情報を持ち合わせていないので分からない。

しかし何よりもそこでの配役がとても気になる。染物屋はヴォルフガンク・コッホでまず間違いないだろうが、嫁さんを誰が歌うのか?ニナ・シュテムメでもよさそうだが、皇帝と皇后のペアーの方が難しい。再演の時はメルベートとかだったが、昨年のミュンヘンのお別れガラでの初日シリーズのピエツォンカはやはり声が違った。皇帝も亡くなったボートほどの声を探すとなるとなかなか大変である。それ程遊びも余裕もないと思う配役である。



参照:
公演曲目を確認する 2022-03-14 | 歴史・時事
ポートレートの色合い 2019-04-11 | マスメディア批評

コメント
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