Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

骸の上で商売をする

2021-04-18 | 
オペラ指揮者ティーレマンのBR交響楽団デビュー無観客演奏会を観た。期待されたのは独墺作品における次期首席指揮者サイモン・ラトルの弱点を埋めれる指揮だった。結果はそこまでは行かなかった。

オープニングの「ヴィーナーフィルハーモニカーの為のファンファーレ」ぐらいの曲ならば本領が発揮されていたと思う。しかし音響自体は鈍く、楽団の方も間隔が空いているので仕方が無いのかもしれないが、決まらない。アンサムブル上の特徴もあるが、ヤンソンズ後遺症の共通したものも感じる。その点流石にラトルが振ると違うのだ。

インタヴューで面白いことを話していた。指揮の動作が小さくなるほど良いということで、クナッパーツブッシュ程になればそれは良いけどと、それは長時間のオペラ指揮での省エネ指揮の極意だとしていた。特にバイロイト音楽祭で身に付くとしていた。小さい動作で始めればまだ次があるかと思わせて、「もっともっと効果」が出るというものだ。

そこでミュンヒェンにいたのに指を加えて放送交響楽団の方を見ていたというが、楽団を名指しすることなく、余程フィルハーモニカーに対しては悪口しか出てこないのだろう。

もう一つ、そうして経験を積むと指揮が巧く出来るようになるというのとは反対に、若い時は楽師を信用できないので上手くいかないというのがあった。まさしく一昨年の「影の無い女」が「副指揮者」の力を借りて上手く行ったように、任せることが出来るのは年季だろう。ティーレマンの若い時のどうしようもなさを聞いているので、そうなんだろうなと思う。比較的長くアシスタントなどをしていたようだが、出来の悪い職人も時間を掛けるとなんとかものになるということか。

シューマンの作品におけるテムポルバートの話しをしていたが、メインレパートリーとされるロマンティックな曲での指揮がもう一つ冴えないのは、そうした意識で以って指揮しているからだとよく分かる。テムポとリズムの関係は一生やっていても身に付かないに違いない。

生演奏を聴いた十八番とされるブルックナーの交響曲五番でもやりたそうなことは分かるのだが、それが実際にフレーズの中で正しいアーティキュレーションとして音楽にならない。要するにまどろっこしい。

残念ながらあの指揮ではどこの放送交響楽団を振ってもあまり相性が良くないだろう。やはり座付楽団とかローカルの交響楽団で振っている方が価値がある。ラトル時代になってこの人が振っても新ホールが満席になるとは到底思えない。ミュンヘンの故カイザー教授が彼の何を評価したのか分からない。フルトヴェングラー指揮はこんな不細工なものとは違う。勿論カラヤンの器用さは更々無い。

朝一番でポストに投函して自動引き下ろしへと出かけたが故障中だった。現金を下ろせなくて困った。幸いパン屋の金だけは何とかなったので手数料を払って他所で下ろすことは無かった。銀行の支店が無くなって他に方法が無くなると郵便局だけでは心もとない。また月曜日の早朝に試みるしかない。現在現金しか使えないのはパン屋だけになって肉屋などそれ以外はカードで済むようになった。コロナ化がキャッシュレス化を進めた。

昨秋、特恵日本公演をしたヴィーナーフィルハーモニカーはクルツ首相が菅首相に電話したことで入国したが、今回ヴィーン市の特恵でミラノ公演を控えたヴィーナーフィルハーモニカーが接種を済まして問題になっている。命の危険に曝されている人達を差し置いての接種だった。それも現在日本滞在中のムーティ指揮でのミラノ公演をキャンセルすると違約金が発生するという理由での要請だったらしい。昨春には特別に演奏をする許可をクルツ首相に申し入れて、オーストリア政権のコロナ対策に甚大な影響を与えた。ヴィーナーフィルハーモニカーはどれほど多くの骸の上で商売をしているのか、その道義が問われる。



参照:
新音楽を浪漫する 2021-03-30 | 音
殆ど移民の為に酸素吸入 2021-03-08 | 歴史・時事
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