久しぶりにヴィーナーフィルハーモニカ―のオペラを聴いた。以前は奈落のそればかり聴いていたが、最近は板付きの演奏ばかりだった。どちらが如何とは言えないが、やはり座付管弦楽団である。声に付けるのが巧い。ドレスデンのシュターツカペレも同様だ。最近はミュンヘンの楽団ばかり聴いていたので、それが基準になっている。
やはりそこはヴィーナーフィルハーモニカーで、ああいうたっぷりとした音響はベルリンでもドレスデンでも無理だろう。その点ではミュンヘンの座付楽団というのは元々大分毛色が違う。指揮者で元音楽監督のヴェルサーメストは座付管弦楽がそもそも好きではなかったようだが、今はとても評価している。そしてミュンヘンのオファーは受けずにまた楽員からもあまり好評ではなかったようだ。ドレスデンではとても成功していて、次期音楽監督と目されている。
今回の楽劇「エレクトラ」での指揮はそのヴィーナーの欠点を上手に補う以上に素晴らしい演奏をさせていた。なるほどルーティンで簡単に合わせてしまうところもあったのだが、主役のエレクトラを歌ったアウスリーネ・シュテュンディーテを引き立てるために最大の努力をしていた。初日には明らかに大舞台での生中継の緊張から最初のアガメノーンの一声からして上手くいかなかったのだが、流石に二日目となるとしっかりと抑えて来ていた。
初日における妹役のアスミク・グリゴーリアンの歌声も明らかにカヴァーに入っていて、公演を救う事に全力が尽くされていたと思ったが、案の定二日目は若干引っこませる形でこれまた主役を立てていた。相変わらず拍手喝采は最も集めていたのだが、主役の出来はメストが選んで一年間準備するだけの価値を示した。なるほどメストが指揮で抑えて主役の声を上手に盛り立てて、同時に管弦楽の抒情的なパッセージがこの歌手の最も得意とするその歌声に劣らなかった。同時に高音も強い音も過不足なく出していたので、なるほどこの人は当分エレクトラとして大きな舞台で活躍できるだろう。何よりも初日の印象とは裏腹に歌詞がとても良く聴きとれて、グリゴーリアンの何を歌っているのか分からないものとの差が大きかった ― グリゴーリアンは独語歌唱をもう少し熱心にやらないとバイロイトデビューで大成功しないだろう。
歌手の質としてはサロメでデビューしたグリゴーリアンとは比較のしようが無いが、リリックなエレクトラでの成功という事ではメストの腕は今回の方が評価される。そしてヴィーナ―フィルハーモニカーをしてその抒情的な音響効果はペトレンコ指揮の「サロメ」での成功と繋がるところがあり、どこまでも表現主義的な演奏でありながらも印象主義的な音響は存分に得られていた。なによりも楽想ごとの表情付けなど嘗ての指揮者陣とは異なり新世代に相当する。まさしくこれが出来るようになればこの座付楽団もとても気になる存在となるのは指揮者だけの成果ではない。
それにしてもヴィーナーフィルハーモニカーの密は激しかった。120人ほどの楽員が奈落に入るとすれば、どんな病気でも感染する。指揮者は「いつもの通り演奏しなければ、ヴィーナーではないと彼らがするのだから」と客観的な立場をとっているが、たとえPCR検査を頻繁にしていても駄目である。その証拠に公演後の木管陣などは戸外とは言い乍私の近くで、一般の客との背中合わせに、ベンチに十人以上が犇めき合って夜食としていた。感染はいつどこでも起こる。一度内部のIDカード赤組で陽性が見つかれば、秋のシーズンは吹っ飛ぶだろう。それを覚悟で音楽祭で小遣い稼ぎをして、次のノイヤースコンツェルトまでは公務員として最低の給料だけは確保しておこうという魂胆らしい。(続く)
参照:
トウモロコシはまだか 2020-08-08 | 生活
壊滅に向かうか墺音楽界 2020-07-14 | 文化一般
やはりそこはヴィーナーフィルハーモニカーで、ああいうたっぷりとした音響はベルリンでもドレスデンでも無理だろう。その点ではミュンヘンの座付楽団というのは元々大分毛色が違う。指揮者で元音楽監督のヴェルサーメストは座付管弦楽がそもそも好きではなかったようだが、今はとても評価している。そしてミュンヘンのオファーは受けずにまた楽員からもあまり好評ではなかったようだ。ドレスデンではとても成功していて、次期音楽監督と目されている。
今回の楽劇「エレクトラ」での指揮はそのヴィーナーの欠点を上手に補う以上に素晴らしい演奏をさせていた。なるほどルーティンで簡単に合わせてしまうところもあったのだが、主役のエレクトラを歌ったアウスリーネ・シュテュンディーテを引き立てるために最大の努力をしていた。初日には明らかに大舞台での生中継の緊張から最初のアガメノーンの一声からして上手くいかなかったのだが、流石に二日目となるとしっかりと抑えて来ていた。
初日における妹役のアスミク・グリゴーリアンの歌声も明らかにカヴァーに入っていて、公演を救う事に全力が尽くされていたと思ったが、案の定二日目は若干引っこませる形でこれまた主役を立てていた。相変わらず拍手喝采は最も集めていたのだが、主役の出来はメストが選んで一年間準備するだけの価値を示した。なるほどメストが指揮で抑えて主役の声を上手に盛り立てて、同時に管弦楽の抒情的なパッセージがこの歌手の最も得意とするその歌声に劣らなかった。同時に高音も強い音も過不足なく出していたので、なるほどこの人は当分エレクトラとして大きな舞台で活躍できるだろう。何よりも初日の印象とは裏腹に歌詞がとても良く聴きとれて、グリゴーリアンの何を歌っているのか分からないものとの差が大きかった ― グリゴーリアンは独語歌唱をもう少し熱心にやらないとバイロイトデビューで大成功しないだろう。
歌手の質としてはサロメでデビューしたグリゴーリアンとは比較のしようが無いが、リリックなエレクトラでの成功という事ではメストの腕は今回の方が評価される。そしてヴィーナ―フィルハーモニカーをしてその抒情的な音響効果はペトレンコ指揮の「サロメ」での成功と繋がるところがあり、どこまでも表現主義的な演奏でありながらも印象主義的な音響は存分に得られていた。なによりも楽想ごとの表情付けなど嘗ての指揮者陣とは異なり新世代に相当する。まさしくこれが出来るようになればこの座付楽団もとても気になる存在となるのは指揮者だけの成果ではない。
それにしてもヴィーナーフィルハーモニカーの密は激しかった。120人ほどの楽員が奈落に入るとすれば、どんな病気でも感染する。指揮者は「いつもの通り演奏しなければ、ヴィーナーではないと彼らがするのだから」と客観的な立場をとっているが、たとえPCR検査を頻繁にしていても駄目である。その証拠に公演後の木管陣などは戸外とは言い乍私の近くで、一般の客との背中合わせに、ベンチに十人以上が犇めき合って夜食としていた。感染はいつどこでも起こる。一度内部のIDカード赤組で陽性が見つかれば、秋のシーズンは吹っ飛ぶだろう。それを覚悟で音楽祭で小遣い稼ぎをして、次のノイヤースコンツェルトまでは公務員として最低の給料だけは確保しておこうという魂胆らしい。(続く)
参照:
トウモロコシはまだか 2020-08-08 | 生活
壊滅に向かうか墺音楽界 2020-07-14 | 文化一般