楽劇「エレクトラ」を観た。最初は放送を聴いていたが映像が始まったのでそちらに写った。カメラアングルが生放送であり浴槽やシャワーから離れて歌手をアップしたりするので全体像は浮かばなかった。バイエルンの放送局のノイホッフ氏などの感想でも全体像は分からなかった。演出に関しては、更に横に広い舞台でどのような解決法をしているかも分からなかった。先に出ていた写真とは異なって、上手でのソロが多く、中心線も上手寄りになっていた。それどころか合唱も右の壁のくぼみに配置されていた。
Elektra 2020 · Trailer
管弦楽団は120人超えでギッシリと入っていた。よかったのはヴェルサーメストの指揮で、これは中々の聴きものになった。ヴィーナーフィルハーモニカーを上手く振っていて、嘗てのベーム指揮の録音などよりもよい。但し、劇が佳境となってくるとやはり平素の慣れが出て来ていたのだが、放送が無くともウニテルの映像化もあるので、もう少し細かなところも直して行って欲しい。放送局では「サロメ」よりも良くなっていると評する
まあ、しかし何といってもお待ちかねのアスミク・グリゴーリアンの歌が良かった。三人で主役一人とあるが、演出上も前宣ではあまりにも主役を売り込む動きだけがあったが、三年前の泥鰌は到底無理でもせめてと思ったのだろう。
なるほど今までのエレクトラからすればアウスリーネ・シュテュンディーテの歌は抒情的でもあり、小柄故に舞台ではサロメ風の娘風に演じているのだろう。流石に最初は頑なっていて音がもう一つ決まらなかったが、総体的には目されたとおりの仕事をしたのかもしれない。しかし、やはりシュトラウスのドイツ語の歌が全く歌えていないので、準備を一年かけても難しいのだろう。
母親役のバウムガルトナーはフランクフルトで歌っているだけにその点はドイツ語歌唱は立派でよく聴き取れた。反対に声は仕方がないとして音楽表現としてはこうした大舞台では物足りない。フランクフルトぐらいの入れ物なら全く問題ないと思われる。
そして肝心のグリゴーリアンの歌であるが、バイロイトでのデビューを控えているだけに集中的に学んでいることが窺われた。インタヴューぐらいはドイツ語で通せるようになるのではなかろうか。よってサロメの時よりも音楽的にも自然であり、昨年のミラノでのマリエッタとは大分異なる。指揮者がいいからには違いないが、それだけでは解決しないようだ。
またしてもへそ出しからビキニにまで想定通り脱いでいたが、へそ出しもビキニも本人の希望であるとしか思えない。歌う時に横隔膜の動きが最早見世物になっているのだが、やはり自由になって歌いやすいに違いない。しかしこうした頂点の人がそこまでするとなると舞台衣装など要らなくなる。なるほどグリゴーリアンはサロメの時は裸であったし、フランクフルトのマノンレスコーもビキニとへそ出しだった。その他にもYouTubeを見れば幾らでも臍だしが出てくる。私などは父親の遺伝で腹を出したり冷たいもので直ぐに腹具合が悪くなる。
そして演出が上の三人の配役を上手に活かしているもので、これが何よりもよかった。矢張り生で舞台の全体像も把握しないと評価できないと思う。その点では商品化される映像は兎も角、演出自体もライヴで吟味したいと思う。
参照:
四苦八苦している内実 2020-07-17 | 雑感
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女
Elektra 2020 · Trailer
管弦楽団は120人超えでギッシリと入っていた。よかったのはヴェルサーメストの指揮で、これは中々の聴きものになった。ヴィーナーフィルハーモニカーを上手く振っていて、嘗てのベーム指揮の録音などよりもよい。但し、劇が佳境となってくるとやはり平素の慣れが出て来ていたのだが、放送が無くともウニテルの映像化もあるので、もう少し細かなところも直して行って欲しい。放送局では「サロメ」よりも良くなっていると評する
まあ、しかし何といってもお待ちかねのアスミク・グリゴーリアンの歌が良かった。三人で主役一人とあるが、演出上も前宣ではあまりにも主役を売り込む動きだけがあったが、三年前の泥鰌は到底無理でもせめてと思ったのだろう。
なるほど今までのエレクトラからすればアウスリーネ・シュテュンディーテの歌は抒情的でもあり、小柄故に舞台ではサロメ風の娘風に演じているのだろう。流石に最初は頑なっていて音がもう一つ決まらなかったが、総体的には目されたとおりの仕事をしたのかもしれない。しかし、やはりシュトラウスのドイツ語の歌が全く歌えていないので、準備を一年かけても難しいのだろう。
母親役のバウムガルトナーはフランクフルトで歌っているだけにその点はドイツ語歌唱は立派でよく聴き取れた。反対に声は仕方がないとして音楽表現としてはこうした大舞台では物足りない。フランクフルトぐらいの入れ物なら全く問題ないと思われる。
そして肝心のグリゴーリアンの歌であるが、バイロイトでのデビューを控えているだけに集中的に学んでいることが窺われた。インタヴューぐらいはドイツ語で通せるようになるのではなかろうか。よってサロメの時よりも音楽的にも自然であり、昨年のミラノでのマリエッタとは大分異なる。指揮者がいいからには違いないが、それだけでは解決しないようだ。
またしてもへそ出しからビキニにまで想定通り脱いでいたが、へそ出しもビキニも本人の希望であるとしか思えない。歌う時に横隔膜の動きが最早見世物になっているのだが、やはり自由になって歌いやすいに違いない。しかしこうした頂点の人がそこまでするとなると舞台衣装など要らなくなる。なるほどグリゴーリアンはサロメの時は裸であったし、フランクフルトのマノンレスコーもビキニとへそ出しだった。その他にもYouTubeを見れば幾らでも臍だしが出てくる。私などは父親の遺伝で腹を出したり冷たいもので直ぐに腹具合が悪くなる。
そして演出が上の三人の配役を上手に活かしているもので、これが何よりもよかった。矢張り生で舞台の全体像も把握しないと評価できないと思う。その点では商品化される映像は兎も角、演出自体もライヴで吟味したいと思う。
参照:
四苦八苦している内実 2020-07-17 | 雑感
初アスミク・グリゴーリアン 2019-10-11 | 女