Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

未熟な食品危機管理

2008-10-20 | マスメディア批評
世界中で食料の安全性が大きな社会問題となっている。そしてその危機管理こそに、その社会の質が見えるととする記事が載っている。

欧州や北米ではBSE騒動を経てそうした危機管理の社会システムが構築されたが、中国でのスキャンダル振りのみならず、先頃のソウルでの今更ながらの米牛肉輸入解放への若者の反対行動に、― 智恵遅れとは流石に書かないが ― 社会の未熟な機構を指摘している。

そもそもEUの中立機関Efsa(Earopean Food Safety Authority)が採用した危機管理の方式は、米国発のNational Reseach Councilのインターアクティヴな危機管理情報システムであり、そこでは個人・グループ、団体、機構間の意見や情報が交換されることが基幹とされる。

そこまで読めば、誰もがいくつものことを想起するであろう。個人はなんらかの食品に不安を持ったりもしくは害を受けた場合、その情報が属する社会の団体に正しく伝わり、尚且つ風評もしくは被害状況を確認して然るべき処置を取らなければいけない機構が存在して、またその情報や意見が正しく個人や団体に伝えられることを指す。

個人が、ある特定の団体や機構を信用してそれらが発する情報や意見を鵜呑みにすることは同様に正しい危機情報の伝達とは言えない。というよりも、鵜呑みにすることが出来ないスキャンダルが発生していて、そのような状況がパニックを起こしているからである。

また団体が個人に対してもしくは機構に対して、風評被害を苦情したり安全を主張する場合も、個人や機構が団体に対して情報を求めたり規制や不買を起こすこともこうした情報や意見の中に含まれる。

その中では、自由意思と非自由意志の場合の二種類が峻別されるようだ。つまり、公共上水道の場合などは自由意思によって選択の余地がない訳で、そこでは市場の淘汰は働かなく、それによって死を招く場合を指す。

要するに不要不急のものは、規制をしなくとも不買をしてしまえばもしくは危険承知で需要することだけなので、市場から淘汰されて社会的な問題とはなり得ない。

そうした死者が出た場合、如何に危機管理をして行くかの問題で、これは既に述べたように、どこかに正統性が存在する訳ではない。そこで、ジャーナリスムが報道機関として考えなければいけないことが明白となる。

つまり、機構や団体によって安全との主張がなされていても、一部の学者など専門家内では危険とされる商品や食料などは数限りなく存在する。そうした情報を危険防止の立場から積極的に広報するのかどうかなど、報道機関は判断をしなければいけないと主張する。

それは、他でもない批評というジャーナリズムの問題であって、単純に報道機関としての判断ではない。結局、自由な本当のジャーナリズムの機能するところでは食品の安全性のスキャンダルから社会がパニックになることは防げると言うことだろう。

中国などはそうした議論に遥か遠く及ばないことは言うまでもないが、英国では十八万件のBSEケースが、ドイツでは四百十六件のケースの発生が確認されているのにも拘らず、発生国である筈の合衆国では今日までたった二件しか確認されていないと記事を結んでいる。


写真:フェーダーヴァイセもしくはノイヤーヴァインと呼ばれる葡萄の濁酒



参照:
Jetzt geht die Angst an der Ems um, Christina Hucklenbroich, FAZ vom 20.9.08
消費者行政大臣と・・・ (つきみそう)
マルチ商法って、どうなんだろうねぇ (tak shonai's "Today's Crack")
消えゆく蒟蒻畑を惜しみつつ (壺中山紫庵)
腹具合で猛毒を制する [ 生活 ] / 2008-01-17
コメント (2)
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