美濃路を歩く旅も6日目になりました。
名鉄尾西線の萩原駅にクルマを置いて歩き始めます。
【萩原商店街】
駅の北側にある萩原商店街
ここに萩原宿がありました。
近年、多くの駅前商店街でかつての賑わいが廃れ、閉店する店が増え、シャッター通りになっている光景が見受けられます。
郊外型大型量販店に対し個人商店ではなかなか勝負にならないようです。
この萩原商店街も閉店してしまった店や
営業しているのかどうかわからない店も点在していましたが、
まだまだ、元気な店舗もけっこう見られました。
なんだかうれしくなります。
そして、商店街の中にも宿場らしい建物や
趣のある建物(写真は萩原郵便局跡)が点在しています。
【正瑞寺】
正瑞寺は、萩原宿西の端にあります。
蓮如上人巡行の際に天台宗から浄土真宗に改宗した寺院で、このあたりに高札場があったといわれています。
本殿は改築中でした。
萩原宿はここで直角に折れ曲がり、南北に方向になります。
古い建物がちょくちょく見られます。
(左)馬頭観音、(右)地蔵菩薩で奥の建物は山車倉庫として使われています。
馬頭観音は1763(宝暦13)年に萩原宿の馬持ち12名が建立し、2008(平成20)年再建されました。
ベランダ?にも神様が祀られています。
【問屋場跡】
【本陣跡】
問屋場跡・本陣跡ともに碑が建てられているだけでした。
ただ、昔を忍ばせる建物はこの近くにも見られます。
萩原宿最北端にあった建物
以前は茅葺きだったのでしょう。
熱田から美濃路を歩いてきて初めて見かけました。
【萩原城跡】
問屋場・本陣跡の東あたりに、かつて萩原城がありました。
城主は、三次吉房、豊臣秀次の父です。
1590(天正18)年、秀次が尾張を領した際、吉房は10万石を与えられ、犬山へ移りました。
その後、1595(文禄4)年、秀次失脚に連座して領地を失い、讃岐へ追放されました。
江戸時代に入ると、徳川義直の御茶屋御殿が築かれたそうです。
現在はNTT西日本萩原電話交換所になっており遺構はありませんでした。
(続きます)
SevenFiftyです。
ここは行きましたよ。
伊藤理容の前では写真も撮りましたし、犬矢来がのこる古い建物・郵便局跡の前でも写真を撮りました。
舟木一夫さんの生家跡(今は別の建物が建っている)もありましたね。
さすがですね。私も仕事などで何度か萩原を通過したことはあります。なぜ、一宮の端にこんな立派な商店街があるのか不思議でした。歴史あるところだったんですね。そして端にあることに現在まで維持されているのですね。美濃路は江戸時代以前に使われていた道で、その名残を折っているのですが、ここはそれだけではなく昭和の香りも平成らしさもある商店街ですた。
利便性を考えても自然な流れかもしれませんが、商店街の店主の皆さんには、頑張って欲しいですね。
ちなみに、我が家は応援の意味も含め、いつも地元商店街の八百屋、肉屋で購入してます(^^;;
かつて私の家も食料品店を営んでおり、HNの橋本屋とはこのときの店名です。父の代のとき、先祖代々の土地にしがみつく曾祖父に対して、新しくできた幹線道路に移転したい父と話が合わず結局閉店となりました。「あのとき、移転していれば、今頃大きなスーパーマーケットになっていた。」と生前父は行っておりましたがはたして・・・