橋本屋吉次郎電子日誌

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金山城(美濃国)

2018-12-25 | お城巡り(続日本100名城)

岐阜県可児市にある金山城へ行ってきました。

まずは可児市観光交流館で予習兼資料収集

隣接する可児市戦国ミュージアム

 所在地: 岐阜県可児市兼山674-1
   電話: 0574-50-8443
 開館時間: 9:00~16:30
 休館日: 毎週月曜日(祝日の場合は翌日),祝日の翌日,年末年始
 入館料: 入園料200円,高校生以下無料
   公式サイト: http://www.city.kani.lg.jp/10017.htm

受付で続日本100名城のスタンプを押すことができます。

金山城は、守護代一族の系譜をひく斎藤正義により。烏峰城の名で1537(天文6)年に築城。
1565(永禄8)年には織田信長家臣森可成が城主となって金山城と改称。
長可、蘭丸、忠政が城主となって、関ヶ原の戦いの後に破城。
一説には犬山城に移築されたとの伝承(金山越)もあります。

いざ、登城


第1駐車場

さらに、小学校を越えるとある第2駐車場


ここからは道が狭くなります。
クルマでも通行できるのですが、対向車に対して待避できるところがありません。
運転に自信のない人や大きな車の人はここに駐車しましょう。
その点、私はバイクですから・・・

城跡にある出丸駐車場まで行っちゃいました。


出丸の駐車場手前にある登城口
ここには、杖、パンフレット、登城者を記録するカウンターが置かれていました。


ちなみにカウンターの数字は4767でした。

短い山道を上がると、
三の丸です。


破城の痕跡
廃城の際、再び利用できないように意図的に壊わす「破城」がおこなわれました。


三の丸の脇にこの虎口があります。
ここから城内の水源地である「水の手」に行く道があるそうですが、
「この先危険」と書かれ、通行止めになっていました。


古城山払下記念碑
古城山とはこの山のことです。
江戸時代、尾張藩のお留め山として村人の入山は禁止されていました。
明治時代には皇室の御料林となり、後に国有林となりました。
1953(昭和28)年、住民の念願であった払い下げが行われ、この碑がつくられました。
長年にわたって利用できなかったことにより、遺構が残されることになりました。


少し登ると、


二の丸があります。


二ノ丸物見櫓跡
残念ながら目の前の木々のため、見晴らしはよくありません。


二の丸から上がる道の入口に、石で囲まれた虎口があります。
ここが大手門の跡です。


天守台
本丸に入る所に、上の方が崩れた石垣があります。


角を見ると、算木積みのようにも見えます。

本丸に到着しました。


本丸から見下ろした景色


本丸虎口
右奥にも、石で囲まれた四角い所がありました。
四角いスペースを直角に曲がる桝形虎口で。


西曲輪
本丸の先端から、一段下に見えました。


東腰曲輪の本丸石垣下にある自然岩盤を利用した集水桝跡
岩盤上に、方形に石垣を築いて雨水を溜めたと考えられています

東曲輪の端には、搦手門跡の案内がありました。

ここから左近屋敷と呼ばれる曲輪への道があります。



登城口近くにある物見の櫓

観光用に造った展望台兼休憩所です。

眺望は本丸からの方が優りますが、

出丸の様子がよくわかります。

コメント (4)
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