橋本屋吉次郎電子日誌

YAMAHA SR400・マツダ デミオ・ツーリング・城廻りについて・その他

向羽黒山城

2023-05-21 | お城巡り(続日本100名城)
白河のホテルを出発して、会津美里町へやってきました。


本郷インフォメーションセンター
所在地: 福島県大沼郡会津美里町字瀬戸町甲3161-1
会館時間: 8:30~17:30
休館日: 12月~3月末まで火曜定休

こちらには向羽黒山城に関する資料・パンフレットが置いてあります。


インフォメーションセンターの正面が城跡入口です。

向羽黒山城は1561(永禄4)年に蘆名盛氏によって築城されました。
その後会津領主となった伊達政宗や蒲生氏郷、上杉景勝も詰の城として使用しましたが、
上杉氏が所領を転封されることに伴い、廃城となりました。
とにかく巨大な城だったようです。


向羽黒山城跡整備資料室
入口を少し進むとあります。
ここで、続日本100名城スタンプを押すことができます。


東日本最大級と自称するだけあって、向羽黒城は大きく、全部徒歩でまわると半日ぐらいかかると思います。
ただし、各曲輪付近には駐車スペースがあり、その間も道が整備されているのでバイクで移動させてもらいました。
四輪でも通行可能ですが、道が狭いので充分気をつけると良いかと思います。




出世稲荷神社


三曲輪跡
芝生の広い丘状のエリアで、馬場があったそうです。。


けっこう広いです。


三曲輪からの眺め


源平(げんべ)沼
馬の洗い場と伝えられています。


御茶屋曲輪
蘆名盛氏が茶の湯を楽しんだ所といわれており、会津茶道発祥の地ともいわれております。


会津若松方面を一望でき、天気のよい日には、磐梯山も望むことができます。


現在、福島県では「ツキノワグマ出没注意報」が発令されています。
ご注意を!


一曲輪と二曲輪の間にある駐車場に移動しました。
ここから、一曲輪、二曲輪、弁天曲輪と見て歩きました。


左が二曲輪、右が一曲輪、その間の堀が現在道路に使用されています。


一曲輪登り口


石段が整備されていますが、段差が大きく登りにくいです。


竪堀
ここまで綺麗に残されているのは珍しいです。


こちらの竪堀もわかりやすい。


一曲輪虎口


その先に土橋があります。
なかなか周到な!


一曲輪に着いたと重いきや


さらに石段があり、


そこを登ると、


また、さらなる石段がありました。


ようやく着きました。


一曲輪からの眺め


次は、二曲輪に向かいます。
入口



二曲輪虎口


二曲輪


二曲輪からの眺め


二曲輪から歩いて数分のところにある弁天曲輪


御水神社の祠があります。


所要時間:1時間40分


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河後森城

2023-01-29 | お城巡り(続日本100名城)
瀬戸内ドライブ3日目
朝、松山を出発し、クルマで1時間45分、河後森(かごもり)城にやってきました。


風呂ヶ谷駐車場に車を止めて登城。
河後森城の築城の年代は不明です。
渡辺氏,芝源氏,戸田氏と城主が代わり、1614(慶長19)年、伊達秀宗が宇和島藩を創立した際は付家老の桑折氏が入っています。
その後、1615(元和元)年の一国一城令により廃城になったとされます。


風呂ヶ谷
樹木でわかりづらいですが、三方を曲輪に囲まれています。
したがって、ここに立った時点で猛攻を受け戦力を大幅に削がれることになります。


現地案内板


反時計回りに進みました。


井戸のある曲輪


今でも使えそうな井戸


西第十曲輪の虎口


西第十曲輪


復元された掘立柱建物
続日本100名城スタンプはここで押すことができます。
駐車場からここまで約10分


土塁


一段高いところが西第九曲輪
木製階段の上が西第八曲輪さらに西第七曲輪とつながります。


さらに尾根沿いに小さい曲輪が連なっています。


西第五曲輪


上にある西第四曲輪、さらに西第三曲輪


堀切


手前が西第二曲輪、土橋の向こうが本郭


本郭は最も高いところにあります。
城主の居所である主殿所がありました。


本郭からの眺め


本郭の東にも小さな曲輪が尾根沿いに連なっています。


曲輪の間にみられる切岸


東第四曲輪


城内最大の堀切で通路にもなっていました。


古城


古城には番小屋や櫓がありました。


新城は少し離れたところにあります。


新城
周囲が急斜面なうえ、帯曲輪に取り囲まれており防御に力を入れている曲輪です。


新城からの眺め


始めに訪れた西第十曲輪が見えます。

所要時間約1時間で、さほどきついところはありませんでした。
その割には遺構がいろいろ残って見所がたくさんありますし、自分が歩いてきた道のりも振り返られるので達成感があります。
初心者の方にはお薦めの山城だと思います。

道の駅 みまで、宇和島鯛めし御膳をいただき、一気に帰りました。

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能島城

2023-01-25 | お城巡り(続日本100名城)
能島(のしま)城は、村上水軍の一族である能島村上家の居城です。


村上海賊ミュージアム
所在地: 愛媛県今治市宮窪町宮窪1285番地
開館時間: 9:00~17:00
休館日: 月曜日,年末年始
観覧料:一般 310円,高齢者 250円,学生 160円



能島城の縄張図や水軍に関わる展示が豊富です。
続日本100名城スタンプも1階で押すことができます。

展望デッキから見た能島城



大島と伯方島との海峡に位置する能島城は、周囲720m。
その南にある周囲240mの鯛崎島(たいざきじま)を出丸とし、全島が要塞化されていました。

能島上陸&潮流クルーズに前もって予約しておきました。
集合場所は、海賊ミュージアムの向かいにある、


宮窪町漁協能島水軍
所在地: 愛媛県今治市宮窪町宮窪1293-2
営業時間: 11:00~16:00 (ラストオーダー15:30)
定休日: 月曜日(祝日の場合は翌日)

漁港の一角にあり、レストランと物産館を兼ねています。

ここの船乗り場から出発します。


5分ほどで島に到着


船着き場に着船



南部平坦地
中世に埋められた場所で船荷のつみおろしだけでなく、道具の手入れ、軍事訓練など多目的広場として使われていました。


史蹟碑


現地案内板


向かいに見える鯛崎島
弁財天を祀る祠があります。


ガイドについて島内を見て回ります。


三之丸
建物跡が発見されています。


伯方・大島大橋
ちなみにこの橋下の一番高い部分と能島の最高点がほぼ同じ高さだとか。

三之丸の一段高いところに二之丸さらに上に本丸が位置しています。



船だまり
ここに船を着けていました。


この岩は犬走りすなわち横方向の移動に使われ、かつては島の周囲をぐるりと一周していたそうです。
また、岩に開けられた穴(ピット)は、船をつなぎ止める柱を立てるためのもので、島全体で約460個確認されてします。


二之丸
かつては島全体に桜が植えられていたが現在は倒され、切株は椅子代わりに残されています。


本丸


本丸から見た南側
一段低いところが二ノ丸、さらに低いところが三の丸です。


北の先端にある矢櫃
弓の稽古場や武器庫があったそうですが、歩道が壊れているので通行禁止になっていました。


東側
東南出丸そのさきに鯛崎出丸があります。
伝承では能島と鯛崎島の間に橋があったそうですが、発掘調査では跡が見つかっていません。


島のまわりは潮流が速く複雑になっており渦も見られ、敵を寄せ付けません。







鯛崎島のくじら地蔵
クジラの親子が島の周辺で遊んでいましたが、母クジラが居眠りしている間に潮が引いてしまい母クジラが島に取り残され海に戻れなくなってしまいました。
泣いてる子クジラを見かねてお地蔵様が海の生き物を呼び寄せ、皆で母クジラを海に戻したという昔話が残っています。

このツアーの良いところは船を巧みに動かしてくれること
したがって、片側にしかみえない景色も、方向転換することにより両舷どちらからでも見えるようにしてくれます。


75分,2,000円のツアーでしたが、結構面白かったです。



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三原城

2023-01-19 | お城巡り(続日本100名城)
三原城は、1567(永禄10)年頃、小早川隆景によって整備が始められたとされています。
1596(慶応元)年、隆景は新高山城から三原城へと本拠を移しました。


三原市歴史民俗資料館
所在地: 広島県三原市円一町2-3-2
開館時間: 9:30~16:00
休館日: 祝祭日

2階に三原城の展示コーナーがあると聞きましたが、閉館5分前に着いたので、続日本100名城スタンプだけいただきました。

クルマを市役所の駐車場に置いて、歩いて見て回ることにしました。


本丸中門跡


現地案内板


完全に町の中に埋もれています。


JR三原駅


構内を進み、


表示にしたがうと、



実はここは天守台で、

駅の北から見ると


駅に隣接している・・・いや、城跡の上に駅があるのです。


天守台の上からの東側の眺め


北側の眺め
背後の桜山は詰めの丸の役目をしていました。


東側の眺め


天守台東の広場


この石列は西国街道脇にあったものだそうです。


東から見た天守台


北から見た天守台


後藤門跡


さほど危険に思えませんが登ることが禁じられていました。
駅前にあることから、酔っ払いが堀に落ちたりしたのでしょうか?


ドラマはけっこうですが、1年間は長いかな?


東から見た天守台


三原駅南口
このあたりも本丸でした。


駅前のビジネスホテルにこの日は宿泊しました。
ここは二の丸に当たります。
城内に宿泊するなんてラッキー!


この表示を進むと、


門があって、


船入櫓


往時は、船入櫓から本丸中門までが、海に面していました。
満潮時にはあたかも海に浮かんだように見えるところから浮城とも呼ばれいました。
もっとも、現在は建物に囲まれています。

所要時間:45分


夜は三原焼をいただきました。
(我慢しきれずに写真撮る前に一口食べてしまいました。)
三原焼きは広島風お好み焼きに鶏もつが入っています。

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新高山城

2023-01-17 | お城巡り(続日本100名城)
岡山からクルマで1時間25分、広島県三原市にやってきました。


本郷生涯学習センター
所在地: 広島県三原市本郷南6丁目25番1号
開館時間: 9:00~21:30
休館日: 12/28~1/4

ここで新高山城や高山城,小早川氏に関するパンフレットと続日本100名城を得ることが出来ます。


生涯学習センターから2km、登山口近くに無料駐車場があります。


目前に新高山がそびえ立ちます。

なお、川を挟んで向かいには高山が見えます。
ここには小早川家代々が支配する高山城がありました。


小早川隆景は、新高山の山頂に本拠地を移動しました。



登城口


山の入口にある案内板
先ほどの写真の場所から3分しかたっていませんがすでに息が上がっていました。


鐘の段
一番低い位置にある曲輪です。


番所跡
三段の曲輪になっていました。


匡真寺(きょうしんじ)跡
小早川家の菩提寺で隆景の父母の法要が行われています。
「こんなところに寺なんて、法要に呼ばれた人はたまらん」とは同行した妻の言葉です。


このあたりが中間地点と思い、しばしベンチに座って休憩しましたが、
実は山頂までは、あと少しでした。


山頂部分の門跡が見えてきました。


中の丸
ここから先は尾根部分につくられているので、移動は楽です。
ちなみにここまで40分かかりました。


本丸


冬で良かった。


石垣
1596(慶長元)年、三原城に本拠地を移動したため、石垣も持って行かれました。


本丸の先の詰の丸へ

仏教的な碑が多く置かれています。






高山城が目の前に見えます。


詰の丸からの眺め



音声説明機
ボタンを押して、説明を聞きながら、ひとやすみ。

本丸の一段下に見える釣井の段



6か所も井戸がありました。




釣井の段東のライゲンガ丸
立派な土塁です。


堀切を通って中の丸に戻ってきました。


山頂部東側にある石弓の段


北の丸


所要時間:1時間45分

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備中高松城

2023-01-12 | お城巡り(続日本100名城)
続日本100名城スタンプラリーも残すところ10城。
このうち、瀬戸内にある5城を2泊3日でまわってきました。
今回は、家内を伴いデミオで出掛けました。

5:15に自宅を出発、備中高松城跡に到着したのは9:30でした。

【蛙が鼻築堤跡】
高松城といえば、1582(天正10)年黒田官兵衛が豊臣秀吉に進言したの水攻めの主戦場となったことで有名です。
その際につくられた堤は、ほとんど後世に崩されてしまいましたが、ここだけ残されています。



数台置ける駐車場があります。


堤跡上にあった供養塔

堤跡が公園になっています。


【高松城址公園】
高松城跡は、高松城址公園となっています。
蛙が鼻築堤跡から2km、クルマで約4分です。
本丸北の駐車場


橋を渡って、




本丸
簡単に本丸に着いちゃったんですが、当時は何重もの防御があったはずです。
でなけりゃ水攻めなんて面倒くさいことしませんよね。


「清水宗治城跡」と刻まれています。
高松城の築城年はわかっていませんが、平城でありながら低湿地に囲まれた堅固な城だったようです。
水攻めの時の城主は、清水宗治。
彼は、家臣らの命と引き換えに切腹をして事を納めたのでした。


宗治公首塚


辞世の句碑


高田馬治
高松城保全に奔走された方だそうです。


橋の向こうは二の丸です。


城のまわりは低湿地で宗治蓮が植えられています。




東屋を修復中








高松城址公園資料館
所在地:岡山県岡山市北区高松588‐2
開館時間:10:00~15:00
入館料:無料

続日本100名城スタンプは、ここで押すことができます。


三の丸跡です。




高松城と築堤の高さを示す案内図


コメントは控えさせていただきます。


【清水宗治自刃址】
三の丸西の駐車場から徒歩1分のところにある高松山妙玄寺



その境内に、清水宗治自刃址があります。
清水宗治は、敵味方両軍が見まもる中、舟上で見事切腹を果たしたそうです。

いやぁ出来ないですよね~
無様な姿をさらけ出しかねないもの
私が切腹するなら、ちょんと刀を刺したらすぐに介錯してもらうように頼んでいくもんね。
だから、衆人環視の中では無理ですよ。


こうやぶ遺跡
宗治が切腹する船を追って、家臣が刺し違えて殉死したところと伝わっています。

所要時間 45分




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ラスト10

2022-09-17 | お城巡り(続日本100名城)
かくして東北遠征は、成功裏に収めることができた 。
その前に行った山陰遠征も合わせた成果が、これじゃ!


オレンジは日本100名城と続日本100名城ともに訪れた地域、赤は日本100名城のみ訪れた地域である。

残り10城の続日本100名城を攻め、赤をひっくり返しオレンジにすれば、二度目の天下統一じゃ!

ちなみに未訪問の続日本100名城は、
三春城・向羽黒山城(福島県)
これは、先に行った東北遠征に入れるつもりじゃった。
しかし、余裕を持った計画にするため、あえてはずした。
ワシも歳だから、無理は禁物じゃな。
二泊三日ぐらいで攻めるとするか。
前に訪れたとき修復中だった小峰白河城と白石城にも寄ると良いじゃろう。

備中高松城(岡山県),三原城・新高山城(広島県),能島城・河後森城(愛媛県)
この夏、山陰に進行するか山陽にするか迷ったのじゃ。
新高山城は山城だから真夏はキツイだろうと判断したのだ。
愛媛県を背後から突き、しまなみ海道を通って広島・岡山と抜け、
吉備津神社に戦勝報告しようと思っておる。

唐津城(佐賀県),福江城・原城(長崎県)
3月の九州遠征の際、福江城の庭園が整備中だったのであとまわしにした。
唐津城と原城は行ったことがあるので気が楽じゃ。
女房が原城へ行きたがっていたので同行しようと思っている。
したがって、計画は奥方しだいである。

うん、天下統一の道筋が見えてきたのう!
しかし、油断は禁物じゃ!
百里を行く者は九十を半ばとす
と唐土の偉人が言っておる。
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白石城

2022-09-09 | お城巡り(続日本100名城)
米沢からバイクで1時間30分、宮城県の白石市へやってきました。

白石城は、1591(天正19)年、蒲生氏郷によって築かれました。
上杉景勝が会津に入封すると蒲生氏に替わって支配しました。
豊臣秀吉が没すると徳川家康は上杉氏の討伐を決め、伊達政宗に対して背後から上杉を牽制するように命じ、政宗は白石城を攻め落とします。
1602(慶長7)年、白石城は片倉景綱に与えられ一国一城令の例外として明治まで存続しました。

ナビにしたがって来たところ、



車両進入禁止
ただ、離れたところに駐車場はいくつか用意されていました。

案内にしたがって到着した、


白石城城下広場駐車場
所在地:宮城県白石市大手町2
駐車料:無料


白石城まで550mありますが、歩行者用にデザインされた道に沿って行けば迷うことはありません。


城来路(シロクロード)とは、おしゃれです。


本来ならば丘の上に大櫓(三階櫓)が見えてはずですが、工事中なので覆いしか見えません。


坂を登ります。


左に城が見えてきました。

右には、


白石城歴史探訪ミュージアム


白石城や片倉家の歴史資料の展示や映像を見ることができます。
続日本100名城スタンプは、受付で申し出ると出してくれました。


こういう雰囲気が好きです。


2021年,2022年相次いで発生した福島県沖地震により被害が発生したため、修復作業中です。


大手門も工事中です。




本丸


土塀
こちらは修復がすでに済んで綺麗です。


鐘堂


三階櫓(大櫓)
工事中で入れませんでした。
今回、訪問すべきか悩みましたが、工事中の様子を見るのも一興。
完成した姿は、また見に来ればよいと判断力して、訪れました。


井戸


裏御門


南丸跡
白石高校のグラウンドになっています。


二の丸


第18代横綱 大砲萬右衛門像


二の丸から見上げた三階櫓
2022年9月末に修復工事は終了する予定です。
次に訪れる際には、白く綺麗な城が見られることと思います。

所要時間:1時間20分
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米沢城

2022-09-07 | お城巡り(続日本100名城)
新潟県の村上城から、バイクで3時間、再び山形県にもどり米沢城にやってきました。

この時点で予定よりも到着時間が遅れています。
理由のひとつは村上城で時間をかけすぎたことです。
思いがけず好天であったことと、綺麗な山城であったのでゆっくり見ていきたくなったからなのでこれはいいとして・・・。
もうひとつの理由は、8月初旬におきた豪雨災害のためです。
あちらこちらで復旧工事が行われており、片側交互通行になっているか所もしばしば、時間がかかってしまいました。

途中の道の駅で昼食


いも煮そば
ボリュームたっぷり


米沢城は、続日本100名城に認定される前の2014年に一度訪れています。
その時の記事
米沢城

したがって、今回は早足で見てまわることにしました。


往時の米沢城は、本丸・二の丸・三の丸からなる輪郭式縄張りの城でした。
現在は本丸跡が上杉神社となり、遺構はほとんど残されていません。




米沢観光コンベンション協会観光案内所
ここで続日本100名城スタンプを押しました。


上杉謙信
上杉神社の主祭神でもあります。


上杉景勝公と直江兼続公像


一の鳥居


二の鳥居


拝殿




稽照殿(宝物殿)
けっこう見応えがあったことを記憶しています。
時間があったら、もう一度所蔵品を見てみたかったなぁ。


本丸と二の丸の間の堀


北側はハスでいっぱい。


北門土塁
伊達時代はこちらが正門だったそうです。
上杉景勝入城以降、東門が正門に変更されました。


西には搦手門がありました。


これは神社とともに作られたのかな?


南側にある菱門橋
御殿に近いので警備が厳しく「秘し門」が名の由来だそうです。


上杉鷹山
かつては上杉神社に合祀されていましたが、いまは松ヶ崎神社に分祀されています。


松ヶ崎神社は上杉神社の東門前にあります。



上杉鷹山を大河ドラマにする動きがあるようですね。


所要時間:40分


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村上城

2022-09-05 | お城巡り(続日本100名城)
鶴岡のホテルを出て、バイクで1時間50分
新潟県の村上に着きました。
まずは、


東北電力村上電力センター
所在地:新潟県村上市二之町6番36号

ここの入口にて続日本百名城スタンプを押印、パンフレットも置いてありました。


東北電力村上電力センターの少し先に駐車場があります。
駐車場は新しく、数十台位停められる広さでした。
村上城は、総構え(城下町全体を要塞化すること)であったのでここらは、すでに城内です。


一文字門跡
ここから山頂にある本丸まで続く七曲道が始まります。
七曲道は緩い勾配で登りやすいですが、それでも息があがり、汗が吹き出ます。


四ツ門跡
左へ行くと三の丸、右は二の丸・本丸、直進するともう一つの登城路である中世遺構散策コースと四叉路になっており、ここに門が設けられていました。
合理的ではありますが、防御的観点から見るとどうでしょうか。
私ならば、あえて互い違いにしますが・・・。




三ノ丸
調練場として使われていました。


武具櫓跡


靱櫓跡(ゆきやぐら)
三の丸隅には、二重櫓が築かれていました。
靱(ゆき・ゆぎ)とは、武士が矢を詰めて背負った籠のことで、武具庫の役割もしていたと考えられます。


二の丸


御鐘門跡




礎石も綺麗に残されています。
村上城は戦国時代だけでなく江戸に入ってからもころころ城主が変わっています。
しかしながら明治維新まで存在していました。
村上藩は親幕府派と新政府派で意見が分かれて分裂状態となり、1868(慶応4)年、親幕府派は山麓居館に火を放って庄内方面へ脱出、庄内藩兵と合流し、新政府軍と羽越国境で交戦しました。


出櫓跡



黒門跡


本丸が見えてきました。


埋門跡


冠木門跡


本丸到着


本丸からの眺め


天守台
3層天守があったそうです。


所要時間:55分


訪問する一週間ほど前で村上市を豪雨を襲いました。
よって、訪問すべきか悩みましたが、村上城のあるところは被災地とは違うという情報を得て今回登城することにしました。
しかし、このあと米沢城に向かう途中、災害の爪痕を目にしました。
被災された方々にはお見舞い申し上げます。

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